大学入試現代文の道標⑧〜余談「比較について」後編
皆様こんにちは。現代文科講師の竹中です。
前回の記事では、「比較」という技術の効果やその頻出パターンについて確認しました。
今回は、後編として「比較を見つけたら何を考えなければならないか?」についてお話します。
◎「1+1=2」から「比較」がわかる!
唐突ですが、「1+1=2」という数式を見てください。
皆さんは、この式をみて何を考えますか?
おそらく多くの方が、「=は等号だから、1+1と2は同じという意味」と考えると思います。
もちろん、それは間違ってはいません。確かに「1+1」も「2」も同じ数を示したものです。
でも、本当に「1+1」と「2」は、完全に同じものなのでしょうか?
あくまで現代文的な解釈ですが、「1+1」というのは、「2」の成立過程を具体的に説明したものと言えます。それに対し「2」とは、結論だけを抽象的に述べているものです。「2」という数の具体的な成り立ちが、「2」からは見えてこないのです。
つまり、一見同じに見える「1+1」と「2」ですが、見方を変えれば「1+1」は具体的で、「2」は抽象的、両者は逆の関係とも言えるわけです。
そう、ここに「比較」というものの本質があります。
◎「比較」の本質は「類比」と「対比」!
2つのものを「比較」する場合、その両者の間には「共通点」と「異なる点」の2点が存在します。
さきほどの、「1+1」と「2」であれば、どちらも同じ数を示しているという点が「共通点」、具体的な内容と抽象的な内容という点が「異なる点」、ということですね。
そして、比較の中でも、共通点に注目する技術を「類比」といい、「異なる点」に注目する技術を「対比」というわけです。
《「比較」とは》
①2つの事物の「共通点」を見つける=類比
②2つの事物の「違う点」を見つける=対比
逆に言えば、この2点を含まないものは「比較」できないということでもあります。
例えば「1+1」と「石油」は比べられますか?・・・・ちょっと厳しいですよね。この両者の間には共通点がありません。つまり、完全に無関係なものがただ並んでいるだけなのです。これでは比較は成立しません。
では、「1+1」と「1+1」はどうでしょうか?・・・・これも比較はできません。なぜなら、両者は全く同じもので「違う点」が存在しないからです。全く同じものを比べることに意味はありません。「1+1=1+1」という数式は、ただ「1+1」を繰り返しているだけですよね(ちなみに、この「1+1=1+1」のようにただ同じものを繰り返していることを「トートロジー」と呼びます)。
◎「比較」が出てきたら、「類比」「対比」を確認!
評論文では様々な「比較」が登場する、ということは前回お話した通りです。では、そうした「比較」を文章中で見つけた場合、皆さんは何に注意して読まなければならないのでしょうか?
もう、答えは明白だと思います。
つまり、「共通点」(類比)と「違う点」(対比)に注目しながら読むのです。特に、「文明」と「文化」のように一見似ているが、でも実は違う!という対比的な論調は非常に多く登場しますし、設問を解くためのカギを握っていることも多々あります。よって、特に「対比」への意識を高めて読み進めていくとよいでしょう。
そして、この比較については評論文読解に限らず、普段の日常生活の中でも意識しておくと、より比較の意識が高まります。
例えば、よく似た2つの事物を目にしたときに、「どこか違うところはないかな?」と少し考えてみるのです。
これであれば隙間時間でもできますよね。こうした日々の習慣もまた、比較への高精度なアンテナを持つことにつながり、読解に活かすことができます。
次回の余談からは、よくある質問への回答という形でお話してますね。
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