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ある朝、目が見えなくなってから #人生を変える学び 石井健介 vol.2

――フリーランスとして、ファッション、占い記事の編集、セラピストと様々な仕事を精力的にこなしていた石井さんは、2016年のある朝起きたら目が見えなくなっていました。

暗闇のなかで目を覚まし、自分を見失う

武井:その当時、仕事は楽しかったのですか?

石井:すごい楽しかったです。目が見えなくなったのはストレスが原因だと言われましたが、そんなことはないと思います。

武井:目が見えなくなっていくのはどのような状況だったんですか?

石井:朝起きたら視界がすべてぼやけていて、その夜には光も感じられないくらい真っ暗闇になっていました。24時間でどんどん見えなくなっていきました。「怖い、怖い」と僕は言い続けていたんですけど、妻が看護師で落ち着いて対応してくれて助かりました。

妻が病院に連れて行ってくれました。僕はずっと自分の体をつねっていたのを覚えています。恐怖にのみこまれて、体がここにあることを思い出さないとやっていられなかった。

武井:それは非常に恐ろしい体験だったと思うのですが、なぜ恐れにのみこまれたのだと思いますか。

石井:自分を見失ったからだと思います。もう完全に自分を見失っていました。今の状況が受け入れられないから、「今ここ」にいられないんです。未来と過去にしかいなかった。未来の心配と、過去は「こうだったのに」ということしか考えられなかった。そんななかで、体の痛みは「今ここ」にしかない感覚ですから、それを思い出そうと必死だったんだと思います。

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「かわいそうだね」の一言で始まった自己との対話

石井:友達がたくさんお見舞いに来てくれて、Facebookにもメッセージがたくさん来る。僕のことを気遣ってのことだと思うのですが、みんなが「大丈夫、大丈夫」「これは神様からの試練だよ」と励ましてくれる。夜は布団をかぶって「死にたい、死にたい」って泣いているような状態でした。

武井:その状態から、どのように抜け出していくのでしょうか。

石井:ある日、僕の師匠の鍼灸師の先生が来て「かわいそうだね」って言ってくれたんです。すごくフラットに自然な感想として「昨日まで見えていたものが見えなくなったら、かわいそうだ」と。

その一言が、僕には必要だったんです。

自分が抱えていた「どうしてこんなことになってしまったんだ」という怒りや悲しみの気持ちに初めて共感ししてもらえたんですね。それで、セルフコンパッション(自己受容)が進んだというか、自分も自分の気持ちに向き合おうと思えました。

励ましを受けていると「死にたい気持ち」なのに「ムリに浮上する気持ち」が出てくるんです。励ましがイヤなわけではないですよ。ただ、今振り返ると、その2つの気持ちが相反してバランスを崩していたんだと思います。

絶望と希望が入り混じるなかで、自分は絶望を味わい切ってないな、と思ったんです。そこから「とことん嘆き切ろう」「絶望を味わい尽くそう」と発想が変わりました。

どうしてこんなことになったんだろう、何がこんなに悲しいんだろうって、自分に対して共感的なアプローチを始めました。

「どうしてこんなに悲しいんだろう」「そうだ、娘の顔がもう見えないからだ」「どうして娘の顔が見えないと悲しいんだろう」「子供が大切だからだ」「どうして、こんなに子供が大切なんだろう」「自分が子供の時に大切にしてほしかったからだ」と自分との対話をどんどん進めて、自分のことを理解していきました。

僕は正義感が強くて、歩きタバコをしている人が目の前でポイ捨てしたら、「おい、拾えよ」って注意しにいくようなタイプだったんです。「自分が正しい」とすごく思っていた。でも、その根っこは、例えば、僕には優秀な兄がいるんですけど、その兄といつも比べて気にしてたことがあったんだな、とか。自分のことがいろんな視点から見えてくるんです。

自分との対話を重ねていくと、自分が怒りに満ちていたことに気づいたんですね。そして、小さい自分が膝を抱えて泣いているのが見えてきました。ああ、僕が欲しかったのはただ無条件に愛されることだけなんだなとわかったんです。

それがクリアに見えた時に、自分が自分を無条件に愛していなかったこともわかりました。自分が欲しいものを、自分自身があげてなかった。

ネイティブ・アメリカンの言葉に「怒りは自分に盛る毒だ」という言葉があるのですが、その意味が初めてわかりました。目が見えているときは、自分が怒っていることにすら気づかなかったですし、怒りがあっても、自分の怒りは正しいと思い込んでいたと思います。

他者と比べて劣等感を抱くって、自分を否定していることになるんですよ。それで怒っている。だから、自分で自分を否定するのをやめようと自分に謝りました。

その状態でもう一度周りを見渡したら、友達はたくさんお見舞いに来てくれるし、みんなメッセージをくれるし、入院しているから世話もしてもらえるし(笑)、愛情をいっぱい感じられて、まさに欲しかった状況に今あるじゃないか、と。

励ましのメッセージも、その奥にあるみんなの気持ちがわかるようになったんです。

希望に舵を切り、弱さも隠さないようになった

石井:自分のことが見えてきて、「じゃあ、自分が大切にしたいものって何だろう」と考えたときに、家族とか友達の笑顔を大切にしたいと思いました。自分がふさぎこんでいたら、みんなが笑顔でいられない。そこで僕は希望の方に舵を切ったんです。

回復していくプロセスは、みんなへの恩返しなんだと思うようになりました。でも、現実はそう簡単にはいきません。

家の中にいても迷子になるくらいで、娘とも遊んであげられない。自分はなんて役立たずなんだろうかと、また絶望するんです。

でも、アパレル屋だったから、洋服は何も見えなくてもたためる。ああ、今日は洋服がたためた、「服がたたためたよ」と妻に報告して。そうやって1つひとつ自分ができることを増やしていきました。

それでも時には魔が差すことがあって、何の前触れもなく泣き崩れる瞬間があるんです。でも、そんな自分をダメだと思わないようにしました。そして、隠さない。妻の前でも、子供の前でも、友達の前でも泣き崩れました。

そうやって、絶望と希望の間を行ったり来たりしたりするうちに、だんだん大丈夫になってくるんです。

今振り返って思うのは、恐れとか不安とかってありますよね。そういう感情に”寄り添う”という表現も、ちょっと違う気がするんですけど、波のように感情がやってきて、それにのみこまれてみたら、意外に恐れも不安も続かないものなんです。感情の波の下は静かだったりしてね。でも、抵抗したり、ムリして明るく浮上しようとしたりすると、長引くし、自分がわからなくなる。

自分をありのままを見ていくのがマインドフルネスですが、僕は目が見えなくなった時にそれをとことんやったんだな、と後でマインドフルネスの勉強をしてから思いました。

――絶望から希望に舵を切った石井さんは、どのように現在の仕事に辿りつくのでしょうか。vol.3に続く。