[仮面浪人]父に話した日

こんにちは。
今日は仮面浪人に関しての記事を書きたいと思います。

仮面浪人する、と決めるまでの過程を「[仮面浪人]きっかけはプライドだった」「背中を押した一言」」で途中までお話ししたと思います。あのふたつの出来事からの日々は、大学や教習所に通う日常を過ごしつつ、仮面浪人についてネットで調べ、悩み、、、という生活を送りました。

そして悩みに悩んだ末、仮面浪人をしよう、と決意します。

このまま下を向いて歩き続ける大学生活を4年も続けるのは無理だと思ったこと。
そして、今やらないと絶対に後悔すると思ったこと。

仮面浪人をするにあたって、受験終了までの大きな計画を立てました。春学期は受験勉強をしつつそのまま通い、秋学期は休学して受験に専念することなど、受ける模試の日程や併願校などなど。
立命館の入学金と春学期の受験料とでおよそ80万円かかっているので、予備校に通う選択肢は選びませんでした。自宅浪人ということです。

前置きが長くなりましたが、本題へ。
決めたからには、当然両親に話さなければなりません。

母には、決めた次の日くらいに、母がパートから帰ってきていつもの様に一緒におやつを食べていたとき、話しました。

「やっぱ浪人しようと思う」と。

あまりハードルは高くなかったよう思います。多分、何回か「浪人しなくていいの」と聞いてくれていたことがあったから。
あまり反対されるかもという心配はありませんでした。これからどうするのか、大学はどうするのかとか、受験校など、今決めていることの全てを伝えました。

母はわかった、といつもの世間話と同じ感じでした。特にびっくりすることもなく。

ただ「お金のことは気にしなくていい」と何度も言ってくれたのを覚えています。

問題は父です。
私は家事全てを母に任せて、料理が出てくるのが当たり前と言った態度の父が嫌で嫌で、結構反抗期でした。こんな中で仮面浪人をすることを父に話さねばならず、反対される可能性もあったので、かなり嫌でした。

反対されたとしても、私はかなり頑固な性格なので、自分の気持ちが変わらないだろうと思っていました。
ですが、立命館のお金を出してくれたのも、これから進むかもしれない大学のお金を出してくれるのも父。
父が絶対にだめだと言ったら何もできません。

立命館の学費を出してもらったのにと言う申し訳なさと、きちんと最後まで話せるかという不安と、反対されて怒られるかもしれないという恐怖。色々抱えて、大学でもらってきた休学届を片手に。

母に話してすぐの土曜日の夕方に、2階の部屋でスマホを見ていた父の背中に声をかけました。

休学届を差し出して、
「お父さん、大学を休学して、やっぱり受験しなおす。だから、サインお願いします」
と。

春学期はこのまま通い、秋学期は休学して夏から自宅にこもって浪人すること。母の時と同様、今決まっていることの全てを話しました。

「ほんとに?ちゃんとよく考えたの」
どう答えればいいのか、と迷っているように見えました。

そして、父が言ったのは、
「どうして、その大学じゃなきゃだめなの。その理由が、知りたい。今の大学だって、いいところでしょ。また受験しなおしてまで、どうしていきたいのか、それが知りたい。なんとなく、じゃないよね?箇条書きでもなんでもいいから、分かるように教えて」

私はこれに「わかった」とだけ答えて、自分の部屋に。
いちばんに思ったのは、「何をいまさら行きたい理由なんて、」でした。

今更。
去年、ここに行くために一年苦しい思いをしてきたのに。
今更。
行きたい理由なんて、今更。
去年のことを、父は何も知らないのか。
去年の一年を、何だったと思ってるの。今更理由なんて。

去年の自分を、否定されたような気がしました。

でも考えて、なんかどうでもよくなって、
ああ、そんなもんか、しょうがないか、もう、どうでもいいか。
という感情に。

あとはもう説得するしかないので、ルーズリーフになぜその大学に行きたいのかを書きました。書いてみて気づいたこともありました。私こんなに行きたい理由あったんだ、と。気づいてみて、決めてよかったなと思ったりもしました。

渡されたルーズリーフを読んで、父が言ったのは、

「なるほどね。まずさ、すごいと俺は思ったよ。俺は大学選ぶ時も憧れとか学びたいこととか、何も考えなかったし、大学入ってからも、やったー大学入れたーって喜んで遊んでばかりだったから、ここまで思えるのはすごいことだと思う」(日記より)

と。これを聞いて私はまた思います。何をいまさら、と。去年一年なにも考えずに大学を選んで勉強してたとでも思ってるのか、とも。

そして
「俺がただ一番に思うのは、○○(私)が将来、幸せでいてほしいってことだけなの。お父さんとお母さんの子だから、幸せに、生きていってほしいの。ただ、それだけ。この選択が、○○の人生の幸せにつながるものなんだったら、俺は応援するよ」(日記より)
と。

初めてそんなことを聞いて、正直驚きました。
そんな風に思っていたのか、と。
ただ、素直にうれしいとはならなかった。

「家族」だからとか「娘」だからとか、ただ血がつながっていて長い間一緒にいるというだけで無条件に愛を与え受取るという関係性になれる、ということそのものに疑問があって、私にはそれができる自信がない。相手の愛を受け取る自信も、与える自信もない。

この時父から、愛のようなものを渡された気がして、複雑でした。

「家族」に関しては私自身今でも付き合い方が分からなくて、なんでこんなに色々考えてしまうのか、自分でも不思議です。またじっくり考えて言語化出来たらnoteに書きたいと思っています。

話を戻すと、休学届にサインをもらい、浪人の許可を得ました。
お金に関しては、最初から私は自分で負担すると決めていました。ただ今お金はないので、父から借りて、返していくという形に。

その日の夜は蕎麦でした。
さっき父から言われた言葉を思い出して、その愛をまっすぐ受取れない自分が嫌で、申し訳なくて、なぜだか涙が止まらず。ワサビのせいにしていた記憶があります(笑)。
その日の蕎麦は全く味がしなくて、おなかも満たされたのかどうかわかりませんでした。
よく聞く「味がしない」ってこういうことかと思いました。

こうして私の浪人生活がスタート。もう7月が始まっていました。

今更志望理由を聞かれ、去年の自分を否定されたような気がした私は父が許せず、浪人している間は一切口を利きませんでした。
もう時間がたったのでだいぶ薄まっていますが、正直今でも許せていない気がしています。そんな私は心が狭いんだろうか。

長くなりましたが、今回はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。また。

大屋千風







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