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 TBSがダイジェスト放映していた時代からF1は観ていたのだが、夢中になったのはフジテレビが全戦中継を始めた1988年からだった。特に12月に放映したシーズン総集編を観て、虜になってしまったと言っていいのだと思う。まだ実際に現場では観たことがなかった暑さや熱気、サーキットを取り巻く空気を味わせてくれたのが、そうした映像に被せられる言葉だった。
そこでは、例えば、ドライバーをこんなふうに表現していた。
『ピケは、ロータスで4年間を無為に過ごしてきた。自ら失った情熱を再び取り戻せるだろうか? 今37歳。ファンジオは53歳と46歳で、ブラバムは44歳で、グラハム・ヒルは40歳で、アンドレッティは38歳で勝っているのだ』
例えば、マシンについて。
『クイックラップを決定する最も重要な最後の5分間・・・その時がやってきた。人間が育てた美しい機械=F1マシン。力のある限りを絞って、加速していくマシンは巨大な生き物のようだ。ヒョウのように身をよじっていく。音もすごいが、空気が振動する。見ている人の心の底まで震わせるように伝わってくる』
例えば、スタートのとき。
『フォーメーションラップを終えてグリッドにつくマシンの群れは、まるで花のようだ。見上げれば、濃縮され、手をかざせば染まりそうな青い空が広がっている。ヘルメットの奥で、オオカミのような目がキラキラと輝いている。
 そして、キリキリと引き絞った弓のつるのように緊張した一瞬があり、次の瞬間、放たれた矢のように26色のマシンが弾け飛んでいった。
 スコアボード越しに夏雲が銀色に輝く。
 フヨウの花が晩夏の大気の中で静かに咲いていた』
例えば、観客について。
『静寂の空気を切り裂いて、マシンが目の前を駆け抜けてゆく。獰猛で、繊細な子供のような素早さで・・・。
 ほとんど暴力的な太陽の熱射にさらされて、マシンや人々の影たちは萎縮し、肩をすぼめて、その居場所を無くす。
 太陽はへばっているドライバーたちに、追い打ちをかけるように猛烈な熱気を吹き付けていた。正に今、肌が焼けると感じるほどの強烈な太陽。
 轟音と歓声が身体を揺すり続け、それがギリギリと焼き付けてくる太陽の暑さとないまぜになって、脳髄の奥底まで狂気を運んでくるのだった。
 サーキットの路面にタイヤが黒い爪痕を残していくように、レースを目の当たりにした観客にも、700馬力の爆音が突き刺さり、排気ガスとオイルの匂いが染みつき、熱い昂ぶりをいつまでも残している』
例えば、モナコGPについて。
『モナコには、様々な匂いがある。潮の香り、甘い香水の香り、肌を焼くサンオイルの香り。それらに混じって、5月のモナコには、タイヤの焼けこげた匂い、ガソリンの匂い、強烈なエキゾーストノートに包まれる』
例えば、こんなナレーション。
『情熱と太陽と生命の国に憧れて、死んでいった男がいる。
1年のドラマがここに始まる。
地上で最も美しく、攻撃的なレーシングマシン。
まゆ、秀でし者。瞳、まばゆき者。
1,000分の1秒に生命を賭ける。
戦慄するほど魂に響くエキゾーストノート。
夢かと見まごう鮮やかな色の集団。
そこに集い、走り、走らせ、
感動と陶酔に身を委ねる人間たち。
声があり、汗があり、思惑があり、栄光がある。
目に見える速さは300キロ。
しかし、瞬間の判断は光よりも速く、心の葛藤は地球よりも重い』
 これらの総集編で、構成作家として、こうしたナレーションのコピーを書いていたのが高桐唯詩(本名:波多野成章)さんだった。モナコGPのプレスルームで、初めて話をさせていただいたときから、母校の先輩ということもあってか、なぜか気が合って、いつか一緒に仕事ができたらと思っていたが、とうとう、そうした機会は訪れなかった。『モナコGP殺人事件』というタイトルでサスペンス・ノベルを書きたいと言っていたが、3年半に渡った闘病の後、2021年4月14日に72歳で逝ってしまった。