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【情熱弁当ができるまで】①上京と出戻り

はじめまして。
情熱弁当のイケメン店主、原田主税です。

当エントリーが、note最初の記事です。

情熱弁当の10周年(2018年時)に、ブログにて書いたものに加筆修正をしてnoteに再投稿しています。

いつ情熱弁当が潰れても良いように。笑
また、ボク自身が独身で子どももいないため、死んでしまったら何も残りません。自分が生きていた証を残すために、このnoteを使おうと思います。

しれっとシリーズ化しますので、ヒマな方だけお付き合いください。

◆上京物語

中学生から陸上競技(メインは1500m)に明け暮れ、楽しかった毎日。いつも陸上部ではビリでしたが、とにかくカラダは丈夫になりました。

愛知県名古屋市の東邦高校に入学。
学校全体がスポーツ一色で、とてもレベルが高かったですね。

在学中に、硬式野球部が春のセンバツで全国優勝しました。

同じクラスの優勝投手、山田喜久夫を見てスポーツの世界のヒーローはカッコいいなと思いました。

高校2年生位まで、職業は公認会計士か税理士になろうと考えていました。
が、机の前でじっとしている事が苦手な事に気付き(笑)方向転換。

高卒で手に職をつけようということになり、全く未経験の料理を選びます。
当時は高卒でも、一人あたり50社くらいの求人が選べました。

ホテルオークラ東京へ就職が決まり、卒業してすぐ上京。
面接官の一人は、当時専務だったあの小野正吉氏。
(初代ホテルオークラ東京総料理長)

後にも先にも、小野ムッシュに面と向かってお話しさせていただいたのはこの時だけ。そんな時代でした。

虎の門の本館「和食堂 山里」をメインに、三重県の涼仙ゴルフ倶楽部・ホテルオークラレストランの立ち上げメンバーや、夏期だけ山里がオープンする軽井沢のホテル鹿島ノ森など、他の場所も経験させていただきました。

4年ほどでホテルを出て、街場の店で修業を積みました。
その後、23歳で東京都ふぐ調理師免許に一発合格。

赤坂や銀座などの一流の場所とお店で日本料理を勉強させていただき、念願の料理長も経験できた頃。
上京から13年経った、31歳の時でした。

実家の名古屋の母が、糖尿病起因の壊疽で片足を切断する事になったのです。また余命の話しも出た為、実家のある名古屋に戻る事にしました。

学生時代はかなりやんちゃで親に迷惑を掛けたので、最後くらい看取ってやろう。最後くらいは、親孝行しようと思ったから。

ボク自身、名古屋には二度と戻らない。
ずっと東京で生きていくと決めていました。

タイミングが合えば、日本を出て外国(特にNYが好き)で、外国人相手に日本料理を作ってみたい。
あわよくば、外国で自分の店も出してみたいなぁと思っていた頃。

当時の自分の夢は、一時お預け。
「東京でも自分なりに頑張れたので、名古屋でも必死にやればなんとかなるだろう。」

当時、結婚を考えていた女性もいました。
しかし、長男のボクと一緒になると、名古屋に来て嫌でも介護をしなければいけない。
東京でやりたい事もある人だったので、よく話し合って置いてきました。

帰省なのか、本当は都落ちなのか。
複雑な気持ちで東京を後にします。


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◆いざ、名古屋の実家へ

名古屋に戻り、実家に生活基盤を移します。

「自分の店を持つ前に、飲食店で料理人以外として働いてみるべきでは?」
そう自問自答してみる毎日。

料理は一通り作れるものの、客席での接客や、店舗のマネジメント等は未経験。つまり、料理以外の役に立たないんですね。

日商の珠算・暗算・簿記は1級所持なので計算はそこそこ早くできますが、お金を産み出す方法を知らない。
これは間違いなく弱点だと思い、まとめて経験出来る飲食店の店長候補で職場を探します。

給料の額云々より、名古屋で一番繁盛している飲食店で働こう。
忙しい店には、魅力が一杯詰まっているのは確かだし。
個性ある個人店より、学びたいのはチェーンストアのしくみと運用方法。

何店舗かを、実際に客として食べに行きました。
最終的に決めたのは、「旗籠家」という、まだ3店舗しかない洋風居酒屋。(現在は完全消滅)

どこも連日超満員。接客もとても良かった。
積極的に出店をすすめている様子だったので、これはチャンスだと思いました。

早速、社員募集に応募。
副社長に面接していただき採用が決定します。
「仕事を早く覚えたいので、一番忙しい店舗に配属してください。」

そして、配属先は「旗籠家なごやみせ」。
名古屋駅前の地下街、ユニモール直通。
客席数180、月商は3000万円オーバーのモンスター店。
社員は6人、アルバイト在籍数約70人。
一日の出勤は25人くらいいたかな。

もちろん、平社員からスタート。
ボクが、東京の第一線で働いていた板前なんて、誰も知らないのです。
大学生の既存のアルバイト達に、敬語を使って仕事を教わりました。

そこで、自分の重大な欠点に気付きます。

【②へつづく】


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