見出し画像

和歌浦の風景

僕がまだ人工透析を受けている時だから、今から10年以上も前の事になります。
結婚して夫婦でオートフォーカスのカメラをそれぞれ買い、
散歩をしながらその時に目に入るものを喜んで写真を撮っていました。
そのころのカメラは、フィルム写真ではなくてデジタルになっていてピントもオートフォーカスで今となっては当たり前の機能ですが、それでもその当時は写真をするならマニュアルでフィルムやろとかいう人がまだまだたくさんいた時代でした。
カメラの性能任せにたくさん写真を撮って、撮った写真を西本カメラの田中さんに見てもらいアドバイスをもらうのがとても楽しくて、撮るたびに上達する毎日を送っていました。

そんなカメラ生活が始まってまだひと月も経たない頃に、
珈琲もくれんさんのカウンターでマスター相手にカメラの事を、熱を帯びて話しているとマスターが
「こちらの方も写真をされていますよ」
と僕のカウンターの隣の方を紹介してくれました。

今から思えば、とても恥ずかしくて、穴があったら入りたいのすが、僕はその方に
「あなたも写真をやっているのですか。今度見せて下さい」
と偉そうに言ってしまったのです。
その方はニコニコ笑いながら
「いいですよ。ぜひ、遊びにいらっしゃい」
と名刺をくれました。
名刺には「松原時夫」と書いてありました。
そのやりとりを見ていたマスターはニヤニヤとして居ました。

「松原先生は和歌浦を撮り続けて50年で、写真学校の講師もされている方ですよ」
と後でマスターに教えてもらいました。
先に言って欲しかったぜ。ギャー、消えてしまいたい。

その後、僕の腎臓移植や引っ越し等があって遊びに行く機会を逸してましたが、秋葉町に引っ越したマンションの近くにBe Woodさんというカフェがあってそこのお店で珈琲を飲んでいると、偶然にも松原先生がお店に入ってこられて再会することができました。
松原先生はもくれんさんでの僕の生意気な言いようにも全く気にもせずに居てくれて、
「今度、奥さんと二人で遊びに来なさい」
と言ってくれました。

お言葉に甘えて奥さんと二人で松原先生の和歌浦のお宅に遊びに行きました。
お邪魔するとすぐに先生は写真を撮ってくれました。
「この家に来てもらったら写真を撮ることになってる」
とニコニコしながら話してくれました。
そして先生自ら珈琲を淹れてくれ、箪笥のような大きなスピーカーからjazzを流してくれました。先生の今まで撮ってこられた写真は几帳面にキッチリと完璧に綺麗に整理されていました。その写真とともに何十年も前に撮った時の先生の気持ちやエピソードも覚えておられるのに驚かされました。

雑賀崎と和歌浦は生活が違っていて結婚式から葬式まで違うこと、雑賀崎の女性は荷物を頭の上に乗せて運ぶ風習があること、雑賀崎の葬式の写真を撮ってないのが悔やんでいること等、松原先生の優しい語り口調で写真の説明を受けながらとても暖かいほっこりした時間を過ごしました。

僕が一番印象に残っているのは、タバコを咥えた漁師さんの顔のアップの写真です。漁師さんの焼けた顔のシワの堀が深くて、目に力もあってそれでいて優しい顔です。大袈裟かもわかりませんが、今と違う人のように感じました。50年前と今の日本人の顔の相が変わってしまったのか、松原先生だから撮れたのかわかりませんがとても心に残りました。帰宅後に奥さんと良かったねと話して、また行きたいねと話しています。

僕は路地を散歩するのが好きです。特に和歌浦、雑賀崎の細い狭い道は大好物です。昔の建物や道路といった風景がそのまま残っている場所が多いからです。
この細い道の角を曲がるとタイムスリップして、50年前の漁師さんとばったり出くわすかも知れないと、妄想しながら歩いています。

和歌浦、雑賀崎はそんな道が多くてワクワクします。今度、カメラを持って散歩に行ってみようっと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?