見出し画像

猫嫌いの男の話

それは日曜日の冬、よく晴れた朝に奥さんが庭で洗濯物を干している時だった。隣の家の猫が日向ぼっこをしていた。

隣の家には4匹の猫がいると聞いていた。そのうちの親猫2匹は知っているが子猫は2匹とも見たことがなかった。日向ぼっこしているのは子猫の内の1匹だろう。

親猫は放し飼いにされ、ご近所が糞尿被害の迷惑を被っている。我が家もそうだ。それで、いろんな猫対策をした。最初は飼い主さんに話をしたが無駄だった。自治会、役所、保健所から飼い主さんに何度も話をしてもらったが、「放し飼い」主義を全く手放す気配がない。ならばと、自己防衛で猫の通り道に珈琲カス、木酢液を撒いたりしたが無駄だった。

糞尿被害は治まらず、ストレスがたまり、猫に対する怒りが爆発しそうになった。よし捕獲器で捕まえて保健所に突き出してやろう。そう思って、ネットで捕獲器のことを調べだした。

そんな事しているうちに、気がついた。怒っている自分自身が嫌になっていることに。怒っているというのもしんどいことだし、怒りのエネルギーを出し続けるのも体に良くない。疲れるし顔つきが悪くなる。

思い切って作戦を変更した。こうなったら猫と仲良しになってやろう。なんとか猫を手懐けて糞尿被害を無くせないかと考えた。ネットで猫の動画を見たり、図書館で猫の本を読んだりと、猫の習性を調べはじめた。

そして、今日、ついに学んだ事を実践するチャンスがきた。猫の習性を思い出して、日向ぼっこしている猫にそっと近づいてみた。おっと、そうだった。怖がらせないように背を低くして近づくのだった。僕はしゃがんだ。おっと、そうだった。太い大きい声は怖がるから、優しい高い声をかけるのだった。僕は喉の奥から頭のテッペンに抜けるくらいの高い、優しい声を出した。おっと、そうだった。人差し指を突き出してやると猫が鼻にタッチすると書いてあった。僕は腕を伸ばして人差し指を突き出した。

まとめると、僕はしゃがみながら優しい高い声を出しながら腕を伸ばして人差し指を突き出して猫にゆっくり、ゆっくりと歩いていった。たぶん、いや、絶対に誰かに見られたらとっても恥ずかしい事この上ない姿勢をしながら動いているのだ。しかし、この時はなぜか猫と挨拶をしたい気持ちが勝ってしまった。

日向ぼっこしていた子猫は少しこちらに興味を示した。じっと僕の方を見ている。僕は嬉しくなって、とっても恥ずかしいフォームでまた少し子猫に近づいてみた。すると、なんと、子猫がゆっくりと歩いてきた。僕はより一層、頭のテッペンから高い、優しい声を出して指を突き出した。おっと、そうだった。猫と目を合わすと怖がるから目線を外らすのだった。僕はとっても恥ずかしいフォームをしながら顔を横にした。

その時だった。指先に生暖かい感触がした。ちらっと見ると子猫が僕の指先に鼻をチョンとつけていた。生まれてはじめて猫と挨拶ができた。とても嬉しかった。僕は友達になれたと思って子猫の頭を上から撫でようとした。だが、子猫は逃げてしまった。おっと、そうだった。猫は頭の上から触られるのは怖いのだった。鼻でチョンした時に下から顎を撫でると良かったのだった。

子猫がどこかに行ってしまって取り残された。僕はまだ恥ずかしいフォームをしながら、次はどうやったら子猫を撫でられるかをもう考えていた。糞尿被害の事は忘れていた。

僕はまだ湿った指先をゆっくりと鼻先に持っていった。思ったよりも臭かった。その臭いで我に返った。時間にすればほんの数分の出来事だと思うが、誰かに見られていないかと立ち上がって辺りを見回した。誰もいなかったのでほっとして家に入った。何事もなかったかのように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?