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涙が止まらない・・・

 冒頭ながら、前置きが冗長であること、そしてこれがノンフィクションであることを申し上げておきたい。


 これまでの半生において、特に仕事で感動を覚えたことについて問われれば、1996年12月末にNHK衛星放送の番組タイトルを我が社が制作したことであろうか。

3D CGとの遭遇

 1996年の春、本格的に3D CGを導入することを考えた。それは、有楽町の映画館で「ターミネーター2」を観たことがきっかけだった。起業して半年しか経っていなかったが、そのCG動画に深い衝撃を受けたのである。

 それから、イマジカテクノスや住友商事などを訪れ、本格的な3D CGを制作できるマシンの導入を検討をはじめた。会社を創設してからまだ半年程度で、決算も完了していない状況であり、リース契約は容易ではない。

 イマジカテクノスの当時の専務からは、「熊本では仕事として成り立たない可能性が高い」との懸念を示されたことを覚えている。また、専務は別れ際に、「もしリース会社が承諾すれば、我々も全力でサポートする」と言ってくれた。

 熊本に戻り、銀行のローンは期待できないため、リース会社に分厚い事業計画書を提出し、3D CG制作専用マシンをリース物件として承認してもらうことに以外に選択肢はなかった。

 専用マシンは一台あたり4000万円ほどで、ソフトウェアは一台につき720万円もした。ざっと計算しても、5年間のリースで月額100万円以上の経費が発生することになる。

背中を押してくれたリース会社理事長

 しかし、映画で観たCGを自分の手で、自分の会社で創造したいという思いは変わらず、得られた情報を基に、2週間ほどで事業計画書を書き上げ、リース会社の理事長に提出した。

 今となっては言えるが、事業計画書の中の事業可能性に関する記述は、ほとんどが虚偽である。機材も手にしておらず、営業活動も行っていなかったため、「事業の可能性はない」とは書けなかったのである。

 或る日曜日の深夜、リース会社の理事長宅を訪問し、分厚い事業計画書を手渡し、深々と頭を下げて、熱い気持ちを伝えた。しかし、その熱さが過ぎて炭にならないように冷静を装っていた。

 2時間にわたる会話の中で、理事長は「3D CGが何であるか全く理解できない。しかし、明日の理事会で提案する。承認されれば直ちに連絡する。契約が成立したら、毎月150万円のリース料を5年間、歯を食いしばって支払ってほしい」と言ってくれた。何となく、激励に聞こえてきたのである。

 結果として、3D CG専用マシンの他に、大型モニターやSONYのデジタルβカム(プロ用)など、合計で7000万円を超える機材の導入が決定した。もちろん、交渉にはイマジカテクノスからの見積書も添付されていた。

 疲れ果てた一日だったが、その夜は眠れずに朝を迎えた。

Silicongraphics導入へ

 翌日、理事長からの電話があった。「昨夜は遅くまでお疲れ様。理事会で承認された。おめでとう。これからの仕事に期待している」とのことだった。

 嘘だらけの事業計画書にも関わらず、理事長の言葉を胸に、翌日の始発便で熊本空港から羽田空港へ飛び、イマジカテクノスの専務に会いに行った。

 今振り返れば、それは驚くほどの賭けだった。春に観た映画の影響で、あっという間に2ヶ月が過ぎ、7月には契約書が整い、9月初旬には、我が社オフィスの中央にSilicongraphicsのPersonal Iris、ソフトウェア、周辺機器が勢揃いした。

 その後、1週間の導入指導が行われた。月曜から金曜まで毎日8時間の厳しい訓練が続いた。スタッフは不安と期待が混じり合いながら、大阪の住友商事から派遣されたSEの指導を受けた。

 モデリング作業が終わると、ポリゴンの説明、テクスチャマッピングの説明、最終的なレンダリング作業へと進んでいった。しかし、作品がどの程度のプログラミングで完成するかの予測は立たなかった。

3D CG制作初仕事

 しかし、仕事を取らなければ、翌月から毎月150万円を溝に捨てることになる。そんな中、初めての仕事がNHK衛星放送の番組オープニングタイトルCGの制作だった。

 制作のやり取りは、年末放送予定で時間が迫っていたために、ファックスで絵コンテなどの打ち合わせを行い、尺を決めて制作に着手した。

 弊社制作チーフには熊本大学から新卒で入社した女性を指名した。話は前後するが、NHK衛星放送からの依頼は、筆者の知人を通じての紹介だった。それは「熊本県民文化祭」という番組で、NHKが取材し番組化したものである。

 NHK衛星放送としても、タイトル動画にこだわりがあったであろうし、たまたま、熊本市を拠点としてマルチメディア事業を展開していた我々だったので、双方の話がまとまるのは一瞬のことだった。

 12月末が迫っていたが、ギリギリの状態でデジタルβカムのテープを慎重に梱包し、NHK衛星放送の担当者へ送付した。

 オフィスの2階には、SONYトリニトロンの小型プレビュー用テレビが7台設置していた。それらは熊本のNHKや民放、福岡の民放が見られるように設定していたのである。

第1作3D CGが全国放映される

 スタッフ全員を2階に呼び、7台のモニター画面を全てNHK衛星放送に切り替えた。待ちに待った「熊本県民文化祭」の番組開始の時間が刻一刻と迫っていた。

 スタッフは言葉もなく、普段は活気があるオフィスが、お通夜のように静まり返っていた。正直なところ、筆者でさえも心臓が溢れ落ちそうなほど、動悸が激しくなっていた。

 音楽と共に、阿蘇五岳の背後から「熊本県民文化祭」の明朝体の立体文字が現れ、こちらに回転しながら迫ってくる映像が続いた。尺は予想以上に長く、じっくりと確認することができた。

 数十秒の長い尺の3D CG番組タイトル画面が終わり、スタッフは歓声を上げながら、ハイタッチを交わしていた。筆者はポーカーフェイスを保っていたが、あまりの感動にその場を離れ、トイレに駆け込んだ。

感涙が止まらない

 いくら我慢しても、感涙が止まらなかった。ちょうど1年前に母を若くして亡くしていたが、母の葬儀にも仕事のために対応できず、涙も出なかった。しかし、この時ばかりは、春先からのリース会社やイマジカテクノス、住友商事との交渉が一気に思い出され、心の中は喜びで溢れていた。

 これが、起業して初めて体験した感動共有の瞬間である。言葉にできないほどの感動を受け取り、今でも人生の宝物として大切にしている。

翌年、関西テレビへ

 年が明け、この実績を背景に関西テレビへ乗り込んだ。最初は断られたが、2月に再び訪れると、関西テレビの番組の約6割のタイトルCGを手掛けるまでになった。

 この件については、また別の機会に詳しく語りたい。当時の第2制作局長であった上沼真平氏(上沼恵美子さんのご主人)と、その右腕であった故・苧木晃プロデューサーのおかげで、12年間の長期にわたりお世話になった。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの

generated by DALL-E

▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、夢を追いかけることの素晴らしさと、それを実現する過程で遭遇する数々の困難、そして最終的にその夢が実現したときの感動について語っています。1996年に起業して間もない筆者が、映画「ターミネーター2」に触発されて3D CG技術を自社で取り入れることを決意し、その道のりは決して平坦ではありませんでした。高額な機材の導入、事業計画書の作成、リース会社との交渉など、数えきれないほどの困難が筆者の前に立ちはだかります。

しかし、そのすべてを乗り越えた結果、筆者の会社はNHK衛星放送の番組オープニングタイトルCGを制作するという大役を果たすことができました。この成果は、筆者個人だけでなく、関わったすべてのスタッフにとっても大きな感動をもたらしました。特に、制作された番組タイトルが放送された瞬間、スタッフ全員がその成功を共に喜び合ったシーンは、仕事における真の達成感とは何かを教えてくれます。

このエッセイから伝わるのは、夢を追求する過程で直面する困難は確かに厳しいものがあるが、その夢を実現したときの喜びはそれを遥かに上回るというメッセージです。また、夢を追いかける旅は一人ではなく、支援してくれる人々がいることの大切さも教えてくれます。筆者がリース会社の理事長から受けた支援、イマジカテクノスや住友商事との交渉など、夢に向かって進む際には多くの人々の協力が不可欠であることを示しています。

最後に、エッセイは個人的な感情の深さにも触れています。特に、筆者が母を亡くした悲しみを超えて、初めての大きな成功を達成したときの感涙は、読者にも深く感じ入るものがあります。この物語は、夢を追うことの重要性と、それを実現する過程で経験する感情の豊かさを力強く伝えています。

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