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遣ればできる、念ずれば叶う。

 弊社の「天草プロジェクト」は、実は3年以上前に立ち上げたものである。しかし、進捗の遅さにはかなり食傷気味となっている。

 筆者が初めて天草市を訪れたのは、5歳の頃、父親に連れられてのことであった。父親の趣味である釣りに付き合わされただけの話だ。

 現地に到着すると、小さな漁船が待っており、父親を含む4人が乗り込んだ。釣り場は近くであったらしい。皆、手釣りを始めたが、筆者は狙いがキスだったのか何かは覚えていない。ただ、釣り上がったのはスズメフグのような魚ばかりで、腹を膨らませ、ギュギュッと歯軋りのような音を立てていたことだけは記憶に残っている。

 釣りを始めて30分ほどで雨が降り出し、筆者はまだ5歳の小僧。釣りをせずにただ見ているだけだったが、船頭が「風邪をひいたら大変だ」と言い、筆者を舳先の小さな船倉に誘導してくれた。

 ジメジメした船倉の中には太いロープが置かれており、すこぶる生臭かった。そして、雨がさらに土砂降りとなり、とうとう船倉の蓋を閉められたのである。目の前が真っ暗になり、不安を感じたが、それよりも波の音と船の揺れが気持ち悪かった。30分ほど経ってから、結局、釣りを中止して引き返すことになった。

 こうした幼少期の思い出がぎっしりと詰まった場所が、旧本渡市、現在の天草市である。

 因みに、筆者は新聞社時代に長崎県上五島の旧奈良尾町でトライアスロン大会を企画運営した経験もある。熊本県山鹿市の山手で育った筆者にとって、海辺の漁村はとても居心地が良く、また美食の宝庫でもあった。

 こうした背景から、弊社のコンサル業の一環として「天草プロジェクト」を立ち上げた。何とか人口減少を食い止める秘策を模索しているところである。しかし、以前から何度も記事にも取り上げているように、ローカルスタンダードと呼ばれる古い慣習が残っており、グローバル展開へ舵を切る意欲ある経営者が少ないのが現実のようだ。

 筆者が「天草プロジェクト」に関わる人々に伝えているのは、「遣ればできる、念ずれば叶う」という言葉である。しかし、長年、危機感のない平和ボケ的な環境下で働いている人々には、その言葉がすんなりと心に響かないのが、実に悩ましい。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、天草市に対する深い愛着とそこでの子供時代の記憶を背景に、地域再生プロジェクト「天草プロジェクト」に取り組む著者の経験と情熱を描いています。天草市の人口減少問題を解決しようとする試みとして、地元の伝統や習慣に挑戦し、グローバルな視点を取り入れようとしている点が非常に興味深いです。

特に印象的なのは、著者の子供時代の思い出がどのように現在のプロジェクトに影響を与えているかです。小さい頃の釣り体験が、地域への深い愛情と結びついている様子は、読者にも感情移入しやすいエピソードとなっています。また、雨で船倉に避難する場面の生々しい描写は、その地との個人的な結びつきを強調し、プロジェクトへの情熱を理解させる上で効果的です。

一方で、プロジェクトの進捗に対する苛立ちや、地元の古い慣習に対する挑戦が、著者のフラストレーションとして描かれており、地方都市の伝統的な価値観と新しい変革への抵抗の間での葛藤が感じられます。「遣ればできる、念ずれば叶う」という言葉を通じて、著者が地元住民に訴えかける意志の強さも伝わってきますが、その言葉がなかなか受け入れられない現実も、地域活性化の難しさを浮き彫りにしています。

このエッセイは、個人の記憶と地域振興の取り組みを巧みに織り交ぜながら、読者に天草市という地域の持つ魅力とそこに潜む課題を考えさせるものです。地方都市における持続可能な発展とは何か、そして伝統と革新の間でどのようにバランスを取るか、という点についても考察を促します。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。