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嘘で塗り固めた人生を送る偽善者は、その嘘の底なし沼から抜け出すことはできない。

 偽善者という言葉をよく耳にするが、偽善者ほど恥ずかしい者はいない。結局、不特定多数の人を騙し、虚栄に満ちた人生を歩み、嘘で塗り固めた人生を謳歌している人間に過ぎないのである。

 最近気づいたことだが、正義感溢れ喜怒哀楽が激しく、感情を剥き出しに暴れている若者を一歩、二歩下がって見ていると、意外にお人好しで正直者である人間がいて、微笑ましく思えることがある。

 しかし、温厚で聡明なイメージを他人に与え、如何にも、全てを自分自身を中心にマウントしているかの如く演出している人物を、同様に、一歩、二歩下がって見ていると、怪しいものがゴロゴロと転がり落ちてくる。これこそ、偽善者だ。

 偽善者が連発する嘘は、遅かれ早かれ、必ず暴かれる。偽善者は、自らの正当化に全力疾走しているが、辻褄の合わない下手な言い訳をのうのうと垂れ流し、自らは整合性の無さや綻びに気づいていない。

 偽善者には、人並み以上にずる賢さが宿っている。弥次郎兵衛の様に、右へ動いたり左に戻ったりと、軸がしっかりと見えない、いや、見せない様にして、その場凌ぎの演出に専念していることが多い。厳しく痛いところを突かれると、思いのほか凹むが、それは反省ではなく、次の言い訳の準備に傾注する訳だ。

 よって、持論の筋が通らぬことになり、苦し紛れの言い訳で、今までの言動を塗り替えなければならないが、事既に遅し。その人物に関わった人たちは、無駄な時間、無駄な労力ばかりが残ることになる。

 偽善者の存在により、嫌な思いをしたり、騙されたりした経験は誰しもあるに違いないが、騙される方も、脇の甘さや、人を見る目のなさが要因で、その結果を齎していることになる。よって、逆説的に、騙される方も悪いと言う理論も成り立つことになる。全く、妙な世の中である。

 周囲を見渡せば、心を許せる人は、ほんの一握りであるのが世の中だ。大勢屯して、ワイワイ騒いでいる仲間たちも楽しかろうが、悲しいかな、信用できる人間が皆無に等しいことを理解しておく必要がある。

 要らぬ世話だが、根っからの偽善者は、嘘で塗り固めた人生を送ることに安堵するタイプの人間なので、生涯、その嘘の底なし沼から脱することは難しい。何故ならば、資質というものは変わることはないのだから・・・。


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