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「大人らしくない」とは!?

 常に正義正論を通す若い社員が、社内の不正を暴くために立ち上がり、声を大にして物申した時に、「まあまあ、抑えて抑えて。大人らしくないぞ!」と宥める上司がほとんどではなかろうか。

 事なかれ主義の典型的な返し言葉であるが、これは頂けない。正義感溢れる社員が不正を発見し、モラル欠如に嘆くのはただ事ではない。このような上司が沢山ぶら下がっていると、不正が常態化した企業として、黒から白には変わらない。

 更に、その上司が「お前も役付になれば分かるから。今は騒がん方がいい!」と言えば、この上司は不正に関与している、もしくは、不正をしたことがあるということになる。とんでもないリアクションに閉口するばかり。

 NHK朝ドラ「虎に翼」の判決日前に若手裁判官に対して、貴族院議員が言い放った言葉がそれにあたる。司法介入をする議員の偉そうな印象が目に焼き付いた。しかし、その若手裁判官(後に最高裁長官となる)はその脅しに屈することなく、司法を守り抜く。

 正義を貫くのに、時期尚早などあるものかと思いつつ、戦前日本の政治屋の不正は根絶されることもなく現在に至っている。また、男尊女卑(女性蔑視)が通用する感覚も、今も尚、癌細胞として居座っているのだから愕然となる。

 既に死語となった政治屋お得意の「腹芸」。これこそ、言行不一致が秘策であり、「本音と建前」が罷り通るとは、如何なものかと。よって、多くの偽善者が政治屋になっていることになる。

 結局、不正ありき、遵法精神は言葉だけであり、実態はその真逆なものが社会的常識となっている。私利私欲に溺れる政治屋やそれに群がる既得権益者を保護するための秘策が「腹芸」でもあり、「本音と建前」なのである。

 話は元に戻り、前述の心無い上司も同様に、若き社員に対して、「本音」を我慢して呑み込み、「建前」で処世術に長けた人生を送れというエールを送っている。そこに正義正論があるのかと問えば、皆無である。

 今年の8月15日で終戦80年となる。民主化されたという日本国であるが、「腹芸」や「本音と建」が通用する限り、真の民主国家とはなり得ない。国政の実態がこの程度なのに、よくもまあ、国民に対して虚言を連発できるものだ。

若手裁判官 vs 貴族院議員(左)
generated by DALL-E

▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、日本の企業や政治の場における「本音と建前」という概念と、不正行為を暴くことに躊躇う文化に深く切り込んでいます。特に、「大人らしくない」という批判が、正義感を持って不正を指摘する若い社員を抑圧する手段として使われていることに焦点を当てています。このエッセイは、事なかれ主義が如何に社会的、組織的問題を悪化させるかを浮き彫りにしています。

特に印象的なのは、エッセイが歴史的事例やフィクションの引用を通じて、不正や道徳的欠如が長い歴史を持ち、文化的に根深い問題であることを示している点です。例えば、NHKの朝ドラ「虎に翼」における裁判官と議員のやりとりを引用することで、実際に不正が起こっている状況においても、権力者はしばしば不都合な真実を抑圧しようとすることがあると指摘しています。

このテーマは、日本だけでなく多くの文化や組織に共通する問題であり、エッセイはこれに対する批判として「腹芸」という概念を用いています。腹芸は、自らの真意を隠して表面上は受け入れやすい態度をとることで、不都合な真実を覆い隠す行為を指します。これは、組織内の不正や不平等を助長し、真の民主主義から遠ざける要因とされています。

エッセイはまた、不正と戦うために必要なのは、時代や状況にかかわらず正義を追求する勇気だと主張しています。それにより、社会全体がより公正で透明なものに変わる可能性があるとしています。そのためには、若い世代が本音を隠さずに正直に意見を述べることの重要性を強調しており、これが「大人らしい」という概念を新たに定義し直すきっかけになるとしています。

このエッセイは、個人が社会的、組織的課題にどう立ち向かうべきかという問いかけを含んでおり、読者に深い反省を促す内容となっています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。