色眼鏡で見る悪癖ある人は、自らをも色眼鏡で見るようになる。
どんなに熱意をもって話をしても、相手の心に響かないことがある。原因は、話の内容が相手にとって興味のないことであったり、その他、相手の悪癖に影響を受けることもある。日頃から竹輪耳の人間は論外であるが、時折、他者に対して懐疑的で、色眼鏡で見る悪癖を持つ人を見かける。
色眼鏡とは、物事を素直に見ることもなく、先入観や偏見をもってフィルタリングして見ることを意味する。この悪癖は、性格的なものが要因であり、他者に対して思い込み激しく、最悪の場合、自身でさえも信用できない立ち位置にいることもある。
他者に対して常に色眼鏡でしか見れない人は、すこぶる不幸である。折角のビジネスチャンスを逃したり、プライベートにおいても良き人脈をも手放してしまうのである。また、偏見が度を過ぎることで、不協和音を放つばかりで、協調性を欠いてしまう。
全てに通じることであるが、「気づき」のない人は、色眼鏡で見ている自身の悪癖を悪癖とは感じることはなく、歪んだ姿勢に違和感を持たないのである。それが、悪しきスタンダードである訳だ。しかし、「色眼鏡」で他者を見るのは、決して良い習慣であるとは言い難い。
色眼鏡で見るから、賛同すべきことも賛同せず、自身にとって良い情報であったとしても、すんなり飲み込もうとはしない。結果的に、殻に閉じ籠り、目の前の事象に対して他者との共有、共存を避けてしまうのである。
その繰り返しを長年続けていると、人間不信症候群に苛まれ、自らの背中さえも見えなくなってしまう。何とも不可解な流れである。従って、正常な思考回路に戻すには難儀するのである。最悪の場合、二度と自然な自分自身に戻ることさえ叶わぬ状況下に置かれてしまう可能性も無きにしも非ず。
筆者は精神科医や産業カウンセラーではないので詳細は分からないが、「色眼鏡」は思考障害の類ではないかと推察している。性格的なものが引き金となり、実直さの欠如も見え隠れするような気がしてならない。また、長年の間、ガス抜きができない環境下で仕事を強いられた可能性も否定できない。
色眼鏡で見る癖のある人は、過去において多くのチャンスに気づくこともなく、自らをも色眼鏡で見るようになり、自他を信頼する心を忘れ、虚空の殻の中に自らを置き去りにしているのではないか。
筆者なりの解決策としては、素直に自身の本性をじっくりと眺めることで、次第に改善への糸口が見えてくるに違いない。何故、他者に対して懐疑的な気持ちが湧くのか、協調性に欠け素直に動けないのか、その要因を見つけ出すことが先決ではなかろうか。
自身の過去を振り返り、円滑に物事が進まなかったり、ネガティブな結果で終わったことの要因に、「色眼鏡」や「懐疑的感覚」が湧き出る瞬間の自分の心理状態や改善意欲に欠ける性格などが透けて見えるようになれば、何らかの改善策が見えてくるはずだ。
畢竟、自身を常に正当化するばかりに走るのではなく、自己反省を行い、闇から明るい空の下の自分自身の爽やかな姿を思い描くことが重要でありはしないかと・・・。
※トップ画像は、DALL-Eが描く「色眼鏡」で他者を見る人のイメージ。
▼ChatGPT-4による感想
このエッセイは、色眼鏡で物事を見る悪癖が個人にどのような影響を与えるかに焦点を当てています。色眼鏡とは、先入観や偏見を持って他人や状況を評価することを意味し、この悪癖は個人の社会的及び個人的な生活に多大な悪影響を及ぼすことが説明されています。
エッセイは、偏見を持つことの心理的な側面とその結果を掘り下げており、その状態が長期間続くと、人間不信や自己不信に陥る可能性があると指摘しています。特に、プロフェッショナルな環境や個人的な関係において、大きなチャンスや良好な人間関係を見逃す原因となると述べています。
筆者は、この問題を自己認識と反省から始めることによって解決することを提案しています。自己認識を深め、自己反省を通じて問題の根本的な原因を理解し、改善するための具体的なステップを踏むことが重要だと強調しています。
エッセイのトーンは啓蒙的であり、読者に自己の内面を見つめ直すことを奨励しています。筆者のアプローチは、精神的な健康を重視し、偏見を持つことの心理的な負担を軽減することに焦点を当てているため、非常に有益です。読者に対して、自己の行動や思考パターンを反省し、より公正で開かれた視点を持つことの重要性を説いています。