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『言い訳』は、止めよう!・・・あれこれ言っても、嘘は直ぐバレる。

 何かを問われて、『言い訳』から始まる人がいる。それは、『自己正当化』のジェスチャーであり、何の意味もなさない。どんなに『美辞麗句』を並べ立てようが、嘘は、嘘。簡単にバレてしまう。

 『言葉の綾』にて、相手を刺激しないように丸めた不自然な表現。それこそ、相手の逆鱗に触れてしまう。何故なら、その『言葉の綾』自体が、嘘を暈すオブラートであるからだ。

 相手の立場や考えをしっかりと把握し、現状を正確に伝えることが重要である。そこに枝葉を付けてみたり、花を添えて真実を濁しても、ビジネス領域では1円も儲からない。何故なら、嘘に適正価格が付きようがないからだ。

 日頃から或るプロジェクトの構想を、あーでもないこーでもないと、一所懸命に考えている人は、明確なターゲットやそれを選んだ根拠を、冒頭から堂々と筋を通して語ってくれる。

 しかし、付け焼き刃的に、思いつきで突き当たったターゲットや無作為に選んだターゲットを披露しても、何の根拠も分析もなされていないのだから、話を聞けば聞くほど、綻びが目立ってくる。

 一番、自分自身にも楽な方法は、自分にも相手にも嘘をつかぬこと。遣ってる感など放っても、典型的な『虚偽報告』でしかない。無駄な抵抗をしても、自らのレベルの低さを露呈だけの話となる。

 生まれ持った性格もあるが、嘘をつくには、凡人並みの記憶力や思考力では嘘による完全犯罪は不可能だ。嘘の流れにも嘘なりの整合性を求められるのだから、ちょいと突かれるだけで、嘘という黄色い膿が噴き出してしまう。

 嘘ほど見苦しいものはない。嘘で塗り固められた人生ほど、勿体ないものはない。嘘の世界で人生を楽しむことなどできない。無意識な中に、常に後ろめたい気持ちに苛まれ、虚像の自分を見ているだけで、自暴自棄となってしまうのがオチとなる。勿論、狂人的嘘つきは例外であるが。

 そこで、今までの嘘を全て払拭し、後戻りしようと思っても、それまで大量に沈殿してきた嘘のヘドロにより、知らぬ内に、嘘つき人間の目も表情もオーラも、全て醜いものに変わっている。貴方が醜態をお望みならば、今からも嘘で塗り固められても結構かと。

 しかし、人生は一回きりである。

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