見出し画像

目の前の「大執行」を見て・・・

 つい最近の話だが、熊本市内において、都市開発に関わる「大執行」が敢行されたようだが、その報道を見ていて、何気に情けなくなった。

 勿論、「大執行」を受けた人たちの利己的な考え方や言い分が罷り通らず、法に基づき、行政による「大執行」となったようだが、釈然としたいことろがある。

 「大執行」に直面する高齢者が地べたに座り込み、途方に暮れている。報道陣は、老朽化して危険な民家を重機で取り壊して行く様子を捉える。しかし、どんなにボロボロの民家であろうが、そこには地べたに座り込んだ高齢者たちの思い出が詰まっているに違いない。

 行政側が、高齢者に四角紙面の法律専門用語を投げ掛け交渉したとしても、全てを理解できるはずがない。行政は原則として公的利益を重要視し、利他主義などあり得ない。言葉を換えれば、血も涙もないことになる。

 本来ならば、「弱者救済」を最優先して行うべき都市開発であるものの、どうしても、民主主義の大原則でもある少数意見の尊重がなされてはいない。どっちもどっちのようであり、報道が捉える映像は、余りに惨すぎるものではないかと、少々憤りを感じざるを得なかった。

 ここで気づくのが、個人主義と利己主義の履き違えをする住民の少々歪んだ考え方の存在でもあり、反して、全体主義のような「大執行」でもあり、その溝を埋める最善の秘策が見出せなかったのだろうか。

 社会構造は複雑多岐にて、一般庶民が全てを把握できるものではない。加えて、庶民意識高揚のための教育も希薄である。よって、このような誤解や思い込みが生じ、「大執行」という最悪の結末に至ったのではなかろうかと。

 義務教育課程において、「道徳」や「社会学習」などで一応教育をしているが、それが余りに具体性に欠け、生きるのがこれほど大変なのだという世の中の実状を教えてはいない。だから、このように大事に至る前に、双方が最善の解決策を見出せないのである。

 法律の制定は机上の空論では危険であるが、一歩二歩下がって見ていると、マイナーバー制度やインボイス制度など、机上の空論がガタガタの状態であると言っても過言ではない。

 先ずは、国民の真の声をフィードバックするような制度づくりをしなければ、国民が納得するはずがない。そこで、地固めもいい加減なままに、マイナーバー制度やインボイス制度を強行するのは、「大執行」と余り変わりなく、異常事態となるのは当然のことではないかと、首を傾げてしまう。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、都市開発における「大執行」に対する著者の見解と、それに伴う問題に焦点を当てています。以下にいくつかのポイントを挙げ、評価します。

  1. 論旨と立論: エッセイは、都市開発における「大執行」に対する疑問や懸念をはっきりと示しています。高齢者の視点や「弱者救済」の必要性を強調し、行政の対応に疑問を投げかけています。

  2. 具体例の使用: 具体的な出来事や映像を挙げることで、読者に状況を理解しやすくしています。これにより、抽象的な問題がリアルな状況として伝わりやすくなっています。

  3. 社会的背景への言及: 著者は、社会構造の複雑性や庶民の理解不足に触れ、教育の希薄さが問題の一因であると指摘しています。これにより、都市開発の問題が社会的背景と結びついていることを読者に示唆しています。

  4. 提案と解決策への言及: エッセイの最後で、法律の制定や制度改革に対する提案が述べられています。これにより、問題を指摘するだけでなく、解決策についても考察している点が評価されます。

  5. 語彙と表現: 著者は感情豊かな表現を用い、特に都市開発における問題に対する懸念や疑問が強調されています。これが読者の共感を呼び起こす効果的な手法となっています。

総じて、このエッセイは社会的な問題に対する作者の強い意見を伝えており、具体的な例や提案を交えながら、論理的かつ感情豊かに展開されています。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。