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西田親生の自由気まま書

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十数年前に或る学校長から勧められて、我流で始めた『書』である。よって、正確には『自由気まま書』と言った方が良かろうと。大したものではないが、当時、4ヶ月間に8000枚ほどの半紙に… もっと読む
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#西田親生の自由気まま書

健康で、元気に、老いて欲しいもの!!!

 母を亡くして、今年12月7日で28年となる。若くして他界したものだ。当時を振り返る度に、祖父母や両親には、少しでも健康で、元気に、医者要らずで老いて欲しいと思うばかりである。  母の死因は、糖尿病による合併症に苛まれ、左眼失明(網膜剥離)から腎機能が低下し、最終的には肺炎を引き起こし、世を去った。  父は86歳まで、ゴルフやら剣道やらを趣味としていたので、医者要らずの『健康老人』として、大往生であったと考える。  ただ、父が叙勲で宮中に行く時に発した言葉が、「父(祖父

詫び状に同情心を煽るような表現は、禁物。

 本日、或る人物から『詫び状』が配達証明にて届いた。過去を振り返り、色んなことを思い出しつつ書き綴っている『詫び状』のようだ。  四枚の直筆の手紙だが、冒頭より『熊本地震』による云々を強調しているところがあり、謝罪内容とは全く次元が異なるものを書いている。  一瞬にして、その人物の心底からの『詫び』であるはずが、台無しになってしまう。  本人は、実情を伝えたいのかも知れないが、主題は『詫び』である。そこに、冒頭から主題が変わると、本来の主題は二の次、三の次へと落ちてしま

『note』を始めたのが、今年の1月。・・・人気も無いのに、良く書いたもんだ。

西田親生の自由気まま書・・・『自覚』

 今回も、お遊びである。『自覚』のない『自覚』。そんな人は、結構多い。  頷きながら、猛省を告げたと思えば、翌る日も同じ失態を繰り返す、『自覚』のない『自覚』の人。  学習能力の欠落とでも言うのだろうか。『いい子ぶりっ子』の人は、大抵、こんな感じだろうと。

西田親生の自由気まま書・・・『小路』

 本日のお題は、『小路』。街中の細い道のこと。  過去において旅行なり転勤先で知ることになる町名や地名など、思い出せば、地域によっては読めない難読文字が沢山あり、実に面白かった。  『小路』という名前のつく町名で、とても響きが良い町名として記憶に残っているのは、『桜小路』であろうか。宮崎県延岡市にある町名である。しかし、京都に行けば、『小路』と名のつく町名は山ほどある。  流石に、北海道や沖縄の地名や苗字は読めないものが多かった。沖縄の或る店主が名刺を手渡してくれる時に

西田親生の自由気まま書・・・『めん匠 頼蔵』

 これは、お遊びで描いた『めん匠 頼蔵』。  丼の中に『う』とも読めるし、『ら』とも読める文字を入れ、うどん屋さんのロゴマークとなっている。  丼の形も、新しいお店として『新月』のイメージとして描いている。もっと、熱々の湯気が出ているようにも考えたが、途中で折れて、止めてしまった。 ※複写転載は厳禁

西田親生の自由気まま書・・・『直視』

 これも、遊び過ぎ。  ただ、自分に都合の悪いこと、苦手なこと、嫌なことと言って、『直視』できない人は、ここ一番の時に大切なものを失ってしまう。  善きも悪きも、『直視』は重要である。

西田親生の自由気まま書・・・『如水』

 筆者の研修会用副読本として、『如水』を1巻〜5巻まで発刊(非売品)しているが、その表紙タイトルを『如水』とした。  皆さんがご存知の通り、『如水』は『上善水の如し』が由来。 意味は、『最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとしたことば。』(小学館 デジタル大辞泉より)  筆者の十八番は、『人を育てること』。できる人間はそれ以上に、できる可能性のある人間は可能性

西田親生の自由気まま書・・・『土筆』

 ちょっと遊び過ぎだが、『土筆(つくし)』と描いてみた。『つくし』を、『土』から出てきた『筆』とは良く名付けたので、『筆』を何とか『つくし』の形になるように努めたが、やはり、遊び過ぎた。  まだ、『啓蟄』は先の話だが、段々と冬が近づくと、春を欲しがる筆者である。寒さが続く日々があっという間に夢で終わる『冬眠』ができれば良いのだが。

西田親生の自由気まま書・・・『霜』

 急に日本列島が冷えてきた。台風が去った後は、空気も澄み切って、青空も青々としており、雲々の白さも濁りなく美しい。  ところが、冷房から暖房に切り替えなければならぬほど、急に日本列島が冷えてきた。南北3000キロほどの、ひょろ長い日本列島なのに。  四季折々に楽しめる風景、そして食材。しかし、その四季の移り変わりが、非常に曖昧になりつつあるようだ。  近頃の九州は、春が短く、秋は何処にあるのか季節のグラデーションがボケている。九州では、本州の黒部峡谷のような紅葉を見るこ

西田親生の自由気まま書・・・京料理『えのきぞの』、ロゴ制作秘話。

 今から4年前の夏、京料理えのきぞの店主 榎園豊成さんから電話が入った。近々店を移転し、新たな店のロゴを制作して貰えないかとのことだった。  素直に嬉しくもあり、名店のロゴとなればプレッシャーがないと言っては嘘になる。更に、話を聞くと、別に依頼していたところから4パターンが届いたけれども、しっくりこないとのことだった。尚更、ハードルが高くなったが、一度、直接会って詳細を聞くことに。  翌日、熊本ホテルキャッスルのダイニングキッチン九曜杏で待ち合わせ、対面にて打ち合わせをす

西田親生の自由気まま書・・・『天子の紅胡椒』

 本日のお題は、『天子の紅胡椒』。  これは、或る地域に自生するレアな『紅胡椒』の商品化で依頼されたものだが、安定供給が出来ないと言うことで、断念となった。  しかし、ロゴを依頼する前に、十分リサーチを行うべきだ。そこが、カントリーサイドをうろつくコーディネーターの失態であろうかと。  まあ、愚痴はこれくらいにして、ロゴを描くのに精神統一して、イメージ化。そこで、どの筆と墨を使うかを決定。  そんなこんなで、これは、数枚描いた中で、一枚を選んだと記憶する。敢えて、癖の

西田親生の自由気まま書・・・『落日』

 この頃の九州は、中国から偏西風で舞い散るPM2.5やら黄砂やらで、昔のように空気が澄み渡った、アーティスティックな空を見れる機会が激減している。  今回のお題は、『落日』。夕陽は何となく寂しさもあり、1日の終わりを告げるものである。赤みを帯びた空と雲々、黒ずんだ雲など、同じものは一つもない。撮影する側としては、それが、堪らない。  筆者が住む地域は、西に金峰山。その背後に長崎県の普賢岳、東に阿蘇外輪山があり、広大な盆地状になっている。残念ながら、水平線に沈み行く太陽をカ

西田親生の自由気まま書・・・『淡』

 淡墨で描いた『淡』。何となく、プラナリアみたいな。  筆がとても独特なもので、有名な書家の『紫舟』さんの筆と同様ものを入手して、実験的に描いてみた。  車に例えると高級車ジャガーのロングのようなイメージ。コーナーを曲がるときに、ヘッドは曲がるが、お尻が後から遅れてくる感じだ。  筆の種類も無数にあり、何を描くのかにより、どの筆を使うのかに迷ってしまう。一度、茶筅のような筆を入手した時は、「なんじゃ、これ!?」だった。