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アート×VRはありえるか?~新型コロナウィルスによる公演中止をうけて~

VRとは

VR, Virtual Reality バーチャル・リアリティは、ちょうどこの5年ほどで、一般に話題になるようになってきました(2016年はVR元年と呼ばれるそうです)。私もVRは結構好きで、Oculus Roomsでリモート会議を体験したり、ゲームしたり、USJでVRの乗り物に乗ったり、新宿のドラクエVRに行ったりと、複数回の経験があります。没入感がすごく、リモート会議も、Zoomなどのビデオ会議と比べてだいぶ相互通行の会話ができる印象がありました。すごい技術だなぁと、シンプルに思います。

アート×VRを考える

コロナウィルス感染拡大予防のため、劇場における公演中止・延期、美術館の休館など、実施側も、観客側も、とてもつらい想いをしているところがあると思います。キャンセル料等の資金を支援するクラウドファンディングや、映像配信系の事業の支援も複数展開されています(詳しくは3月6日に書きましたので、ぜひ)。

この、映像配信について考えるとき、利点があるとはいえ、物足りない!という声。また、無観客実施での配信というのは芸術ではない、劇場やホールにおける観客とのリアルなやり取りがあって、初めて芸術である、という声もあります。

加えて、ちょっと考えてみたいのは、コロナウィルスの話に関係なく、遠隔のツールを使って、多様な人への機会を提供しているケースもあるということです。例えば、沖縄県の芸術団体とお仕事をさせていただいていますが、離島の人々への音楽の機会提供として、ビデオ通話を活用しているケースをうかがったことがあります。

今日は、映像配信よりも、よりリアルな体験としてのVRに、どんな可能性があるのかについて考えてみたいと思います。(以下からは、おおよそ私が可能な範囲で、現状の技術を想像して書いています。)

観客にとってのVRの可能性

観客にとってのVRは、本当の「リアル」ではないにせよ、通常の公演に行くのとは違う、新たな体験・価値を生む可能性があると思います。例えばクラシックコンサートで考えてみると、舞台上に近づいて、演奏家や指揮者を間近に見聞きし、普段と違う音の響き、その息遣いや汗を感じることができるかもしれません。Optionとして、色々な座席に座って、その響きの違いを知るなども可能になるでしょう。これは結構、面白そうです。私は、普通のコンサートより高くても、払ってしまうかも。

それから、コンサートがより多くの人にとって、アクセスしやすくなるとは思います。例えば離島など、普段はアクセスが限られた箇所、人々にとっても、よいツールとなるでしょう。その他どうしても時間がなくても、細切れで体感したい人とか、トイレ休憩を途中ではさみたいとか。障害者の方向けのコンサートに関わったときに、自由な休憩時間があるのがとても良いという声がありました。こうしたアクセスフリーな環境があると、より多くの人がリアルに近い形での鑑賞の機会を得られるため、よい取り組みなのではないかと考えます。

ちなみに、ソニーが作り上げた「宇多田ヒカルが目の前で歌うVRコンテンツ」があるようで、

3つのアングルを自由に切り換えられ、直視するのが恥ずかしくなってしまいそうなほどの距離でパフォーマンスを堪能することも可能(ファミ通.com)

だそうです。クラシックファンの私としては、たとえばユジャ・ワンのピアノを間近で見られたら、興奮しますね。(クラシックだと、LA philのものが有名なのですかね?)

ただ、後述もしますが、「リアル」の空気を感じられるレベルにはなっていないというのは事実だと思います。一番わかりやすいのは、鑑賞でなく、実際に肌と肌が触れ合うようなダンスのワークショップなどです。この手のものは、VRでは再現できないのがわかりやすいと思います。それから、例えば私は「美術浴」という言葉が好きなのですが(森林浴の美術版)。美術館に行って、絵に浴するような感覚は、VRではまだ遠い世界だと思います。VRでナイアガラの滝を見ても、大きさや音以外を含めた、滝そのものを感じられないのと同じで、VRで美術館に行っても、絵画そのものを感じるには遠いだろうなと考えています。

演奏家・演者にとってのVRの可能性

演奏家や演者にとってのVRとは、少なくとも2つの意味で良い可能性が拓けるだろうと思います。一つは、新たな価値提供により、ビジネスチャンスになるということ。上述のとおり、色々な角度で観客が体感できることは、コアなリピーター顧客獲得、好奇心のある新規顧客獲得につながる可能性があります。制作のコストがまだまだ高いでしょうが、今後コストが下がれば、より多くの芸術家・芸術団体にとって使いやすくなってくる可能性はあります。

もう一つは、リアルな体験をもたらしつつも、アクセスのハードルを下げられるという意味で、CDやDVD以上に、より幅広い観客やファンの発掘・育成に直結する可能性があります。コンサートには行けないけれど、臨場感ある音楽や舞踊を体験できることで、生に近い感動を観客にもたらす可能性は高いです。

一方で、VRの弱点は、まだまだ一方通行であるということだと思います(そもそも生と録音が違うというのもありますが)。例えば冒頭述べたOculus Roomsでは、アバター同士、かなり相互通行がスムーズな形でやり取りできますが、その表情や、雰囲気を感じることはできません。あくまで、リアルに感じられるのは声のみ。やはり観客の即座の反応を見て変化するリアルな芸術にとって、それが作品として成立するのは、VRではまだまだ実現が難しい部分があるように感じます。

余談ですが、Youtubeでオール阪神・巨人の巨人師匠が、

劇場でやる漫才と、テレビや動画になる漫才で、同じネタはやりません。劇場は、劇場の、生の漫才なので。

というようなことをおしゃっていました。私は漫才が好きですが、劇場での漫才をみて、人生で一番大笑いしたのではないかというくらい、笑いました(ビールのおかげもあるかもしれませんが)。テレビやYoutubeとは全然違う、やはり観客との相互通行のある芸なのだと思いました。

将来的に、映画「レディ・プレイヤー1」のような世界になればまた別なのかもしれませんが、芸術が芸術たるには、まだまだ、リアルな場が必要なのだろうと考えます。一方で、VRは一つの選択肢として多様な可能性があるため、Techアレルギーにならず、今後何かの機会のためにも、色々考えておけるとよいなと思いました。

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