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贈り物、というお金の使い方

最近贈り物にはまっている。

年末に仕事でお世話になっている方から、報告書を届けるので、住所を教えて欲しいと言われた。

仕事以上にいろいろお世話になっている人だったので、せっかくだから、沖縄、読谷のものを贈ろうと、私も住所を聞いた。

読谷のものといえば。やちむん、花織、ちんすこう、紅芋など。選ぶのはとても楽しかった。

「読谷押し売りセット」なるものの、出来上がりだ。

ついでに、いつもお世話になっている友人にも同じように送ろうと思い立った。

お金を使う時、最近はわりと自分のために、子どものために使うことが多かった。いわゆる消費、あるいは投資、ということだと思う。もちろん役に立っているし、楽しいこともたくさんある。

でも、贈り物は全然ちがった。お金の循環が手に取るように感じられたのである。あたたかい春の木漏れ日のようなわっかが、広がっていく感じだ。

だれかのために買いに行くことで、ものをより深く知ろうと思うようになった。花織の協同組合に買いに行って、組合の人と仲良くなったり、やちむんのことを調べたり、単に「買う」という行為に「好きになる」と「つながる」が加わった。

そして自分が使うよりも、贈るということで、つながりがもっとずっと広がっていくのを感じた。きっとみんな、読谷のことを好きになってくれるだろうなぁと、勝手に夢想しながら、送り先の住所を書く。そして実際、「届いたよ、ありがとう!」という言葉と共に、「こんなに素敵なものがあるんだね」と、言ってもらえる。

お返しを期待してるわけではないけれど、お返しをくださる方もいる。そしてそこからまた、新しい世界を知る。とても楽しい。

物々交換は、したことがないけれど、きっとそれは面白い世界に違いない。これだったらいい?これはどう?と言いながら交換するのは、「消費」とは、まったく違うものだと思う。

その後も、何か教えてもらったり、何かお世話になった時には、断られなければ住所を聞いて、贈り物をしている。

お金を稼ごう、貯めこもう、自分のためにいっぱい使おう、というのはなんだか虚しさが残るし、正直うんざりすることがある。けれど、だれかに何かを贈るというのはこんなにも素敵なことだったのだと、お金のことをちょっと見直した年末年始だった。


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