映画「マイスモールランド」感想
一言で、日本在住のクルド人の女子高生家族を中心に、難民ビザ申請問題や不法就労問題をルーツへの愛憎や宗教観を織り交ぜながらエグく描く作品です。如何に自分達が無知であるか、突きつけられました。
評価「A+」
※以降はネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧注意です。
日本在住のクルド人の17歳の女子高生、チョーラク・サーリャ。彼女は、幼少期に家族とともに故郷を離れ、少し前までは日本でごく普通の高校生活を送っていました。しかし、ある日、難民申請が「不認定」となり、家族は在留資格を失います。生活は一変し、埼玉に住むサーリャは、バイトも東京の友人に会うことも許されなくなりました。そんな中、父親が入国管理局に収容され、このままでは、家族全員が「本国への強制送還」になってしまう危機的状況に陥ります。「日本にいたいと思うことは『罪』なのか」、生活苦に喘ぐチョーラク家、彼らを何とかして救おうとする弁護士先生、東京の友人、各々が悩みながら、もがきながら出した「答え」とは…
本作は、川和田恵真監督の商業映画デビュー作品です。彼女は、是枝裕和監督が率い、西川美和監督が所属する映像制作者集団「分福」に在籍する、新進気鋭の若手映画監督です。
彼女は、イギリスと日本にルーツを持ち、自身が感じた「アイデンティティー」への想いと、「現代の日本が抱える社会問題」を作品に織り交ぜています。
尚、本作は、今年3月にNHKでドラマ放映された作品を、映画用に編集した内容となっています。映画化にあたり、撮影・美術には「ドライブ・マイ・カー」のスタッフが入っています。
主な登場人物は以下の通りです。
・チョーラク・サーリャ : 埼玉県在住の17歳の高校3年生の女子。父子家庭で、父・妹・弟との4人家族です。幼い頃に来日し、以降日本の教育を受けます。クルド語・トルコ語・日本語の3つの言語を話せるトリリンガルで、日本語が苦手なクルド人同胞の通訳を担っています。小学生時代の先生を尊敬し、教育学部のある大学の進学を希望します。成績優秀で推薦入学を希望しており、苦しい生活の中、学費をバイト代で賄おうと、日々頑張っていましたが…
※尚、本作ではクルド人の名前は、姓→名の順で記載されています。
・崎山聡太 : 東京都在住、サーリャとは同級生の男子でバイト仲間。カラースプレーを用いたアートが得意で、大阪の美術大学への進学を希望しています。母子家庭で、今はおじの職場で働きます。彼女の「境遇」を知り、「思うように動けない」状況を腹立たしく思いつつも、何時しかお互い惹かれ合っていきます。
・チョーラク・マズルム : サーリャ・アーリン・ロビンの父。(妻は数年前に他界。) 戦争から家族で亡命し、来日して難民申請を続けるも、何度も不認定を受けます。仮放免になり、不法就労していた所を警察に見つかり、入国管理局へ収容されます。
・チョーラク・アーリン : サーリャの妹でロビンの姉、中学生。日本語しか話せないため、クルド人同胞とは距離を置いています。彼らを気遣う姉を疎ましく思い、姉妹で衝突します。
・チョーラク・ロビン : サーリャとアーリンの弟、小学生。この春入学したものの、自分のルーツのせいか友達ができず、学校ではいつも一人でいました。家ではずっとテレビゲームをしていましたが、やがて聡太に懐き、絵を描くようになります。
・山中誠 : チョーラク家を担当する弁護士先生。彼らがどうにかして日本にいられるように奮闘します。
1. 俳優陣はとても良い。
本作、俳優陣の演技が素晴らしく、本当にこの「事実」が存在しているかのような、リアリティーの高さがありました。
主演のサーリャ役の嵐莉菜さんは、本作が映画初主演の新人女優です。(同名ドラマでも初主演。) 彼女はViViモデルで、日本・ドイツ・イラン・イラク・ロシアの5つのルーツを持っています。演技はフレッシュで、何より眼力の強さに圧倒されました。
聡太役の奥平大兼さんは「MOTHER マザー」を始め、シリアスな作品への出演が多いです。本作では、優しいけどどこか不器用で、「異文化」に触れたことで「彼の中の何か」が変わっていく、そんな繊細な演技が良かったです。※彼は何となく、山崎賢人さんや伊野尾慧さんに似ている気がするので、いつか共演してほしいです。
本当に、御二方とも、今後の活躍が楽しみな俳優さんでした。
また、サーリャの家族を演じた俳優達は、何と嵐莉菜さん御本人の「家族」です。嵐莉菜さんの本名は、リナ・カーフィザデーで、御家族の皆様の名字も「カーフィザデー」姓でした。こういった「起用」により、よりリアリティーが増しました。
そして、バイト店長に藤井隆さん、クルド人同胞の女性役にサヘル・ローズさん、聡太の母役に池脇千鶴さん、弁護士先生役に平泉成さんなど、脇役は結構豪華でした。
しかし監督自身、本当は「本物のクルド人をキャスティングするか否か」一度考えられたそうです。しかし、「難民」の人を映像として残してしまうと、作品が公開されたときに安全面やプライバシー上の問題が生ずると考えられ、敢えてクルド人の血を引いていない俳優をキャスティングしたそうです。ここからは、監督の「配慮」を感じました。
本作は、2時間近い上映時間でしたが、作品にきちんと「一本筋」が通っていたので、最後まで飽きずに観れました。本当にチョーラク家がどうなってしまうのか、不安でいっぱいになりました。
2. 主人公の「自身の民族ルーツ」への愛憎を強く感じる。
クルド人は、中東の「クルディスタン」地方に住むイラン系の山岳民族で、「国家を持たない世界最大の民族」と言われています。主な居住国はトルコ・イラン・イラク・シリア・アフガニスタンで、住んでいた周辺国の弾圧から逃れるために、難民申請をして諸外国に移住する人々が多いです。
日本には、約2,000人の在日クルド人がおり、そのうち埼玉県には最大のクルド人のコミュニティが存在し、約1,300人が在住しています。
しかし、今までクルド人が難民認定されたケースはないに等しく、非常に不安定な在留資格しか与えられていません。
特に、日本政府は、トルコ系のクルド人に対しては、一貫して「親日」のトルコ政府側に立っているため、彼らによる難民認定の申請に対して、日本政府は「難民」と認めていません。何故なら、難民認定は国内に「政治的迫害」が存在することを認めてしまうため、現在の「国交」に綻びが生じる可能性があるからです。
サーリャは、故郷は外国で、幼少期に来日しています。この故郷が「どこ」とはっきり明言はしていませんが、父と聡太の会話により、自分達の故郷は「トルコの国境」辺りだとわかりました。
尚、本作では、クルド語・トルコ語・日本語の3つの言語が存在し、俳優は時と場合によってそれらを使い分けていました。
クルド人はスンニ派イスラム教を信仰するムスリムが多く、チョーラク家も例外ではないです。作中では、お祈りと家族との食事を重んじています。
また、冒頭の結婚式では、身内の者は掌に「赤い印」をつけ出席しました。出席者は、民族衣装を着て、音楽に合わせて楽しく踊ります。
そして、サーリャは同胞からは未来ある若者として可愛がられていました。また、彼女も彼らが困らないように、通訳や翻訳などをして、いつも気にかけていました。
一方で、彼女は日本での生活が長いせいか、お祈りや教えを堅く守ることには「違和感」を覚えています。そして、「赤い印」を心の中では「拒否」し、帰宅後に何度も手を洗いますが、濃い顔料のせいか、中々落ちないため、バイトではそれを店長に指摘されます。
これらより、サーリャが自分の身体に流れる、「民族ルーツ」に対して、愛憎の気持ちを持っていることを強く感じました。
3. 本作は 「法やセーフティーネットの隙間に落ちた人」の話である。
本作で描かれた日本に住む「難民」は、「日本の法律やセーフティーネットの隙間または対象外」にいます。
チョーラク家の難民申請は「不認定」となり、「仮放免」になりました。そのため、自分達が住む埼玉県から出ることは許されず、仕事もできません。健康保険が使えないから、医療費は「実費」になりますし、福祉は受けられません。家賃も払えなくなり、滞納が続きます。
つまり、彼らは日本で「身分を証明できる書類」を何も持っていないので、日本のあらゆる制度は一切受けられないのです。
弁護士先生も、彼らを何とか救おうとする奔走するものの、できることには限界があるため、彼らを精神的に励ますくらいしかできない歯痒さを感じていました。
よく考えると、サーリャはスマホを持っていなかったと思います。家族や友人と通話やLINEをするシーンは無かった気がします。当然、この状況では到底持てるわけがないです。
日本にいたら「当たり前」だと思っていたことでも、「外」に出てしまえば、全くそうじゃない、本当に「無知」だったことが恥ずかしくなりました。
尚、「不認定」の理由は詳しく説明されていないので、そこが「引っかかる」人はいるかもしれないです。
最も、本作は飽くまでも「サーリャ目線」で描かれているので、法律の話はほぼ出てきません。なので、そこが「気になる人は気になる」のかなと思います。しかし、だからといって「何を伝えたいのかわからない」とか、「クルド人を悲劇的に描きすぎ」だとも思いませんでした。寧ろ、「実際の社会問題」として、視聴者や日本政府に「訴える」内容としては、十分過ぎるくらいでした。
4. 国は自分達を「守る」ものでもあるけれど、同時に「突き放す」残酷さを兼ね備える。
本作を観て、私はクルド人について本当に「無知」であったと突きつけられました。ニュースでは名前を聞くくらいで、どこか遠い場所の話だと思っていたのです。
エンドロールに、「メソポタミア」の名前を発見し、チグリス・ユーフラテス川周辺に栄えたメソポタミア文明の子孫だと漸くわかったくらいでした。
作中では、ワールドカップの話が出てきますが、彼らの言う「国」の意味について、如何に自分が「残酷」な捉え方をしていたかが、身に沁みてわかりました。
サーリャは小学生の頃、周囲には「ドイツ人」だと話しており、「ドイツ」を応援していました。彼女は、自分は「日本人ではない」と思うことで、自分を「落ち着かせていた」と言います。
ちなみに、この話はオリンピックやパラリンピックにも当てはまると思います。「平和の祭典」と言いながら、蚊帳の外にいる人がいることを「無視」している、国は自分達を「守る」ものでもあるけれど、同時に「突き放す」残酷さを兼ね備えたものであると思いました。
5. 「ヤングケアラー/無料の『お世話係』」描写がエグい。
トリリンガルなサーリャは、日本語が不自由な同胞のために、いつも通訳や翻訳の役割を担っていました。(父も日本語は少々話せますが、細かいニュアンスはわからないようでした。)
例えば、コインランドリーでは、「工事現場で使用した作業着」を洗濯してしまう大人がいました。店長はサーリャに「何度も注意してもわからないようだから、この貼り紙を翻訳してくれ」と頼みます。(作中のクルド人の多くは、ガテン系の仕事に就いています。肉体労働の仕事では、「言葉」をあまり使わなくてすむからです。)
そのため、サーリャは「彼らのためにやること」を付箋に記し、壁に貼っていました。そして、自分の時間を削ってまで彼らに尽くしていたのです。
これは、一種の「ヤングケアラー/無料の『お世話係』」問題だと思います。サーリャも、これではいけないと思いつつも、強く言うことが出来ず、ついやってしまうのです。ここは、本当に「共依存状態」でした。
※正直、同じ「ヤングケアラー」を取り扱った「コーダ」よりも、本作のほうが断然「エグい」です。あちらも「良い作品」ではあるものの、「ディズニー映画的ファンタジック解決」で終わっているので。
また、作中にてこの問題に対する「批判的視点」があることも異なります。妹は、姉に「お姉ちゃんが何でもやってあげちゃうから、あの人達いつまで経っても覚えないじゃん。」と怒ります。正直、姉を手伝わず、家庭や同胞から距離を置く妹にはイラッとしましたが、この意見は「正論」なんですよね。
勿論、決して、両作品を比較・批判する意図はございません。
6. 何気ない言葉に「傷つく」けど、「救われる」こともある。
本作では、本当に「傷つく」言葉が何度も登場します。それには、意図的なもの、無意識なもの、両方あります。一見すれば褒め言葉だったり、相手を気遣う言葉が、実は相手を「傷つけているかもしれない」、本当に相手のことは「わからない」し、「わかったつもりになってはいけない」のだと考えさせられました。
一方で、何気ない日常の会話から、「幸せ」を感じたり、「救われたり」する描写もあり、そこはホッと一息つける瞬間で、作品を暗くしすぎない工夫が凝らされていました。
私は、以下の言葉達がとても印象に残りました。
・同じクラスの友人のまなみと詩織
「サーリャの睫毛長すぎ〜私にも分けてほしいな~」
「高校卒業したら3人でルームシェアしようよ〜」
まなみ :「でも私はトモくんと同棲するから〜」
詩織 :「じゃあ、私はサーリャと同棲する〜」
こういった、女子高生特有の「おバカな会話」にはクスッと笑いました。
・サーリャとコンビニバイトの上司
藤井隆さんが「ダッチューの」を渾身で披露しますが、サーリャは全くわからず、滑っていました。ここは、ジェネレーションギャップに笑いました。
・コンビニに来店した老女
「あなたお人形さんみたいね。とっても言葉がお上手よ、外人さんと思えない。いつかお国に帰るんでしょ。」
・入国管理局職員の一連の「公務員対応」。
話を聞いているようで、まるで聞いていない素振りには、腹が立ちました。職員との面接にて、父が見せた「拷問で受けた足の傷」がキツかったです。グロくはないですが、大きな傷跡がくっきり残っていました。
また、弁護士先生との面会で、彼らを「オ・モ・テ・ナ・シ」と皮肉った父の気持ちが痛いほど伝わりました。
・聡太
「深く考えすぎじゃないかな…良い色だったのに。僕は赤色好きだよ。」
「君のお父さん、『面白い人』だよ。料理も美味しかったし。」
彼は、口下手で不器用ですが、言葉や行動からは優しさが伝わってきました。
・聡太母
「聡太には、本当はちゃんとした仕事に就いてほしいけど…反対はしないわ。親は子供が元気でいてくれたら、それだけでも嬉しいんだよ。」
・高校の先生、面談時の言葉。推薦が通らなかった話で。
「受験は出来ても入学にはビザが必要なんだ。でも、入れる学校を探して、諦めずに頑張りましょう」
・小学校時代の先生とサーリャの会話
サーリャ : 「先生は、私がいじめを受けたときに、親身になってくれましたよね。」
先生 :「貴女のような境遇の子、ここ数年で増えたの。だから、貴女のような人に先生になってほしいわ。」
・パパ活男
「これだから、外人女はイヤなんだよ、さっさと国へ帰れ!」
これらの言葉は、傷つくものもありますが、暖かいものもあります。 「他人にはそこまで干渉しない」日本人の気質故に、「見守ることしかできない」・「大きな声を上げられない」、だから余計に事態が悪化する所はあるでしょう。
しかし、たとえ法では「救う」ことが難しくても、人々の繋がりで何とか「救おうと」する、何とかそこで生きようともがく、「善意」だけではどうにもならなくても、それでも手を差し伸べる、そういった人々の必死さや優しさが強く伝わってきました。
7.「誰も知らない」とのプロット被りはあるものの、令和の時代や問題に沿った内容になっている。
本作は、是枝裕和監督の「誰も知らない」と重なる場面は幾つか見られます。しかし、この作品をそっくりそのまま利用するのではなく、令和の時代や問題に沿った内容に昇華させていました。
まず、「誰も知らない」と本作の共通点は、「どちらも『身分証明できない』人々にフォーカスしている」ことです。「誰も知らない」は「無戸籍者の兄弟姉妹」、本作は「難民不認定者の家族」の話でした。
一方で、前者は「子供だけの世界」に留まっていましたが、後者は「家族・法・世界情勢」まで世界観が拡大されており、より問題が重大化していました。
また、河川敷が何度も映ったり、姉弟が親のいない生活を送らなければならなかったり、サーリャがコンビニを退職する際に廃棄寸前のお弁当を無料で渡されたり(悪い意味ではなく、店長の気遣いです)、リフレイン的演出を感じるシーンは、沢山ありました。
ただ、本作にて、誰かが「亡くなる」シーンは無かったので、そこは良かったです。
8. 父の「故郷は『心の中』にあるんだ。」という言葉に胸が痛くなる。
小学校に馴染めない弟は、父と姉にクラスメイトから言われたことを話します。彼らから「何人?」と聞かれたので「宇宙人」と答えたら、からかわれたと。
しょんぼりして石蹴りをした弟に、父は「故郷の石の話」をします。
「そういうときは、胸を張って『クルド人』だと言えばいい。私の故郷にも似た石があった。故郷は、いつも『心の中』にある。どんなに離れても、私達は一人じゃない。」
この言葉にはとても胸が痛くなりました。「故郷=国=○○人」と単純に捉えていた、自分の考えの浅さに恥ずかしくなりました。
9. 宗教観の違いに、正直「理解し難い」部分はあるけれど、親が子供を想う根っこの気持ちは「同じ」なんだろう。
今のままでは、やがて「母国への強制送還」という処分を下されるかもしれない、そんな不安の中、サーリャは父に「強制送還は怖くないの?」と聞きます。
そう聞かれた父は、「故郷に植えたオリーブの木の話」をします。
「あそこにお前達の母さんが埋められている。母さんは今は独りなんだ。あそこに父さんも行くなら怖くはない。」
もし強制送還されたら、ただでは済まされません。しかし、父の「神の元へ行けば、妻にまた会えるから、悲しいことじゃない。」というのは、彼らの「宗教観」に因るものなのでしょうか?正直、ここは一見すれば「理解し難い」と捉えてしまいます。
しかし、飽くまでも娘の前だから、「怖くはない」って言った可能性もあると思いました。だって、誰だって「本当は死ぬのは怖い」はずです。
だからこそ、聡太母の「親は子供が元気でいてくれたら、それだけでも嬉しいんだよ。」の言葉が心に刺さりました。
10. 性被害経験者には「要注意」なシーンがある。
本作は凄く重く、また考えさせられる内容です。レーティングは「G」なので、特に鑑賞制限はありません。しかし、性被害経験者には「要注意」なシーンがあるので、そこは「気をつけたほうが良い」かもしれません。
サーリャは大学推薦が通らず、進路に希望が持てなくなって、疲れ果ててしまいます。そんな中、友人のまなみから「パパ活」の誘いを受けるのです。「詩織には内緒ね」と言い、最初は2人で成人男性とのカラオケに付き合うのです。※尚、女友達はサーリャの「状況」は知りません。
まなみは、顔の彫りの深いサーリャに対し「サーリャの顔なら稼げるよ~」と吹聴します。最初は嫌がっていた彼女ですが、彼の「力になりたい」と言う言葉に唆されて、つい2人で会うことを「許可」してしまいました。
ここからのカラオケからの「ハグ」と、「ホテル連行未遂シーン」は本当に気持ち悪くなりました。これも、青少年や外国人を食い物にする「有害な性的描写」でした。(本当に、「Official髭男dism」や「尾崎豊」が汚れます。)
ちなみに、ここのパパ活シーンは、「万引き家族」や「ミッドナイトスワン」と重なりました。
11. 「リフレイン」表現は多いので、とても印象に残る。
本作は、あらゆるシーンが「リフレイン」的に挿入されるので、とても印象に残りました。
・赤い顔料
結婚式の赤い印↔荒川の橋にて、東京都と埼玉県の県境の看板につけた2人の赤い手形
・オリーブの木
自宅の植木鉢↔父の故郷に植えた木
・行動範囲の拡大
県外から出られない。↔大阪へ行きたい。↔渓谷へ行く。
・弟の「家族でキャンプがしたい」↔姉弟と聡太で渓谷へ行く。
・父弟の石の話
弟の石蹴り↔弟の「失踪」からの発見、橋の上で石を探してた。
・弟が蹴った石↔渓谷の石↔誕生日の石↔ジオラマの石
・ラーメンは家族の思い出
昼食のラーメン「すする、すすらないで姉妹喧嘩」↔面会にて、父の「ラーメンを食べに行っておいで」
・お祈り
食事前の「お祈り」↔サーリャと父が面会室で交わした、「最後」の「お祈り」
・カラースプレーのキャンバス
1回目はサーリャと聡太で描く。↔2回目はそれに弟が加わる。↔3回目は妹が加わって、大きなジオラマになる。
・サーリャから聡太への「頬擦り」
荒川河川敷↔渓谷
これはクルド人の挨拶表現だが、「こんにちは」なのか、「さよなら」なのか、両義で取れる。ここは「視聴者の想像」に任せる描写だろう。
12. 「希望のあるラスト」だったとは言い難いけど、彼らの「その先」はまだ続く。
本作は「希望のあるラスト」とは言い難いです。決して「ファンタジー」ではなく、エグい「現実」の話でした。「話し合えば皆仲良し」とか、「家族愛最高」みたいな甘言は本当に吹き飛びました。しかし、それをどう解釈するかは「視聴者に委ねられている」ようにも感じました。
ラストは、「姉妹弟が家を退去する場面」で締められます。弁護士先生はサーリャに、過去に在留資格が認められた例として、「子供のビザと引き換えに、親がビザを放棄して本国へ帰還したことがある。お父さんはそれを望んでいるかもしれない。」と伝えました。(父は「子供達には内密に」と伝えたものの、弁護士先生は敢えて彼女に伝えたのです。)
しかし本作では、果たして「父だけが本国に帰る」のか、それとも「家族全員で本国に帰る」のか、「現状で入国管理局と交渉を続ける」のかは、ハッキリと明かされておらず、「どれとも取れる終わり方」になっています。
それでも、洗面台で顔を洗い、鏡をジッと見つめたサーリャの強い眼差しからは、「理不尽とも戦う強い意志」が感じられました。
引っ越しの最中、弁護士先生は「小さなノート」を発見して、サーリャに手渡します。そこには、父の字がびっしり埋め尽くされていました。彼は、家族の名前をカタカナ表記で沢山練習していたのです。
勿論、物語はここで「終わり」ですが、彼らの「日常」は現在進行形で続きます。サーリャは現在高校3年生なので、高校卒業後は、もう「児童福祉」は受けられません。(たとえビザが通っても。)
下の妹と弟はこの制度の恩恵を受けられても、子供達で一緒に暮らせるかどうかもわかりません。仮に、児童養護施設に入所できても、そこでも「茨の道」でしょう。
やっぱりサーリャと聡太の2人で大阪に行ってほしい。でも、その未来は「思い浮かばない」のが辛いですね。
今年観た作品の中では、ダントツで一番でした。私が観たときは、初日2回目の上映でしたが、平日だったにも関わらず、座席が約8割埋まっていました。GWの時期なのもありますが、事前にチェックしていた方は多かったのかもしれません。
本当に観てよかった作品なので、是非口コミで広がってほしいとおもいました。
出典:
・「マイスモールランド」公式サイトhttps://mysmallland.jp/index_sp.php
・「マイスモールランド」公式パンフレット
・クルディスタン Wikipediaページhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3
・クルド人 Wikipediaページhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%89%E4%BA%BA
・在日クルド人 Wikipediaページhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%89%E4%BA%BA