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私と神様の出会い

事故を起こした事で、私は正社員の仕事を辞めなければならなくなりました。やっと見つけた仕事でした。やってみたいと思い始めた仕事がたった1ヶ月で解雇でした。自業自得だよね。事故するってそういう事なんだと事の重大さを改めて認識しました。

私は仕事というものを知らなかったのです。というのも、結婚し、子供が産まれてしばらくしてから、正社員という仕事から、離れていたのです。
パートだろうとお金をもらうのだからという事位はわかってはいましたが。入院し、リハビリしながら、仕事も失い私はどうやって生きていけば良いのかと、毎日リハビリの痛みに変え泣いていました。

私は絶対大丈夫。周りにサポートしてくれる人がいました。私の両親でした。お金の事も、保険屋さんと話をしてくれ、毎月精算すれば、医療費は保険屋さんが支払ってくれる様に話をしたり。きっと誰でも知っている事さえ知らない。
私は今まで何も知らない人間だったようです。

働ける位に回復した時に、新しい会社にパートとして働く事も決まりました。そちらもやはり前職と同じ物流の仕事でした。物流の仕事に携わるきっかけは、繁忙期の荷受けのアルバイトから始まりました。

お小遣い稼ぎという感じで始めたものの、トラックに興味を持ったのです。しかも大型トラックってダックスフンドみたいでかわいい、、、と思ってました。どこの車庫にもきっちり並んでお行儀の良いダックスフンドみたいだと思ってました。ホームにつけているトラックを見ると、ダックスフンドがお行儀良くご飯を食べている様でした。
そこでの仕事は運行管理の補助的な仕事です。楽しい。もっと色々な事をしたいと考える様になりました。ある日配車という仕事があると知りました。
周りの人から色々話を聞きました。やってみたい。

私の中に配車をやりたいという気持ちが生まれました。気持ちはどんどん膨らみ、パートの仕事を退職し、配車の仕事が出来る会社に正社員として雇用されました。その会社を辞める日の帰りに出口に立つと、この会社に私は絶対営業に来ると感じました。

神様からのメッセージだと今は思っています。

帰りの車の中で、私はこの会社で学ぶ事は終わったのだと感じました。次のステージにわくわくが止まりませんでした。

導きがあり、ご縁があり、運行管理的な仕事に携わり
、私は物流の仕事に興味を持ちました。
これは私に必要な経験だったと思っています。
その頃から、私は今の私が1番良いと思い始めていました。10代、20代あの頃は良かったという話を聞くと冷めた様に聞いている私が常にいたのも、はっきり覚えています。40代の今の方が良いなんて理解されない事だったでしょう。

まだ風の時代なんて言葉も出る前の話ですから。

私はそう考えるとやはり、少し変わった感覚があった様です。

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