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人格というより意識が乗っ取られる感覚

<イマジナリーフレンド>

イマジナリーフレンド(英: Imaginary friend)とは
「空想の友人」のことであり、心理学、精神医学における現象名の1つである。
イマジナリーコンパニオンと呼ばれることやIFと略されることもある。

マジナリーフレンドの定義については、
1934年にSvendsenが提唱した定義がしばしば引用される。
「目に見えない人物で,名前がつけられ,
他者との会話の中で話題となり,一定期間(少なくとも数ヵ月間)
直接に遊ばれ,子どもにとっては実在しているかのような感じがあるが,
目に見える客観的な基礎を持たない。物体を擬人化したり,
自分自身が他者を演じて遊ぶ空想遊びは除外する。」


Wikipediaより


<わたしと人格の関係について>

わたしがDIDだとしても
日常的に人格は交代していないと思う

人格を把握できるほどその個性を
体感していることがない

確かに頭の中と会話する私(人格)がいる
でもそれは声や人格ではなく
頭の中で意見を戦わせているだけで
あくまでも自分の考えの整理に使っているだけのものだ


DIDの象徴でもある<人格>というものが
何を呼んでもピンとこなかった

でも自分なりに 
これが人格が変わるということか?と思えた現象があった

過去の自分の振り返りで気づいた

同じ人と話しているのに複数の感情(記憶)が沸き起こる
それぞれの意識(意思)が その寸前の感情と記憶を打ち消して
どんどん現在を塗り替えていくという日を思い出した

ずっと違和感のあった ある一日を
やっと捕まえたと思えた時があった
おかげで自分のことをDIDかもしれないと思えた
医師に言われたことを思い出したのかもしれない

ぽつんと景色だけが残る一日には
大体これが起こっていると思う

もしかしたら 目の前の出来事がすべて消えて
最後にその場に残された自分(意識)が
見ている景色なのかも知れない


<人格交代があっただろうと感じた日>

もう20年くらい前の話
中学の時の同級生と再会した時の事

彼に声をかけられたのだと思う
とても驚いたけれど 彼のことは覚えていた
そこにいたのは中学時代の自分の意識だった

その記憶での彼曰く
卒業以来もっと会っている
ということだった

結局今彼と話すことができないから
その日の私の記憶は同じシーンに対して
テイク4とか5くらい
再会のシーンがある

人はもともと記憶を塗り替えてしまうそうだから
あとから記憶を書き換えてしまっている
と思っていた

でも実際再会のシーンを
何回もやってしまったのだと思う


彼の側からは
私に話しかける
何度も印象的にあっているのに

中学時代以来だと言い張る私に違和感を覚える
軽く確信にふれようとするけれど
会話の途中で意識が途切れる
そう見えているかはわからないけれど

私が記憶を追ってる限りでは
何かの拍子に
話(意識)がプツんと途切れ
その直前のことを忘れる

それを忘れたいから
意識が飛ぶのかもしれないけれど
相手にはその理由はまるで見えないだろう


唯一
わたしの複雑な気持ちを
知っているかもしれない人がいる
その人に会いたいけれど

知っているということはその相手は
とても近い間柄だたということだ


とにかく話を再開するごとに違う意識が現れて
「久しぶりだね!!」
と言われてしまったのだと思う

もしくはふっと意識が抜ける私に
彼が何度も「久しぶり」
と声をかけてしまったのかもしれない

病気と断定してたかはさておき
彼は昔のままの名称で言うと
精神分裂症(現 統合失調症)
多重人格(現DID)の私を知っていたと思う


声をかけられるたび意識が
全く別のものに切り替わり
今初めて会ったように
「ひさしぶりだね!!」を繰り返した

もしかすると
意思を持たないからこうなるのだろうか?

そうは言っても
どんなに強い感情(意思)も
意思を持たない私をどかすほど
強い意志でないことは確かだ

でもわたしは
意思(感情)を持つのをあえてやめる
と決めた自分がいた気もするのだ

ただ問題はその理由
その理由も忘れることにしたのだと思う


その強い意志と
解離の絶妙なコンビで 
わたしは中学時代の記憶を葬り去った


そこは展示会の往来だった

私と彼のやり取りを見て
「お二人さん 注目のまとですよ」
同僚が事態を収束しに来た

わたしはそこでどれくらい彼と
やり取りしてたのだろうか?
みっともない醜態をさらしていたのだろうか?

二人がいたから助かった
二人がいたから混乱した

その二人とは たぶん きっと
10年来の因縁の知り合いなのだ

同級生はあえて私の記憶について触れて
混乱させたのか
私が彼に対してたくさんの感情を持っているのか


結局その日自分は
その自分の全容を理解できたのだろうか?
ヘンだ と思った記憶はある
そして過呼吸を引き起こして
一人で問題を整理しようと思うけれど
事態が飲み込めず
その日の記憶をその日のうちに
クローズしてしまったのだと思う


<人格というよりは 独立した意識・もしく感情>

私の場合は<人格>というより 
その手前の<独立した感情>とか<意思のかたまり>
のようなものなのだと感じている

それが切り替わるのは
なぜだろう? どういう場面だろう?


大抵の私は人格とよべるものではなく
ただただやり過ごそうとしている意識が
私というロボットの操作をしている

どの意思もその操作をやりたがっていない

特に社会生活では
その場をやり過ごすマシンみたいな
私が存在している
その場に対応するふりをしている私

生き生きしてるとしたら
それがその場に正しいだろう行為だ
と思うから

だから普段でも 確かに行動に一貫性がない

何処へも行けない
じゃなく どこへも行かない
と人生で決めるのは簡単なようで難しい

そんな人社会に必要とされないから
別にされなくてもいいけれど
それでは職についていられない

そうするとわたしはその場しのぎで
その時に輝いている人の
言動行動持ち物をまねようとする

そう
トラウマの人の多く人が抱える
幸せになりたいのに
トラウマがその路を阻む
というのと違い
積極的に幸せにならないことを決めた私は
幸せにならないということがまた
どういうことなのかわからない

<平常心とか普通の人の心の感覚ってどんなのだろう?>


お薬手帳を見る限り
私のお守りになるフラットになる薬は
3年前もらったようだ

飲んだ時「ああこれが普通の人の感覚かな」と
すごくスト―ンと落ちた瞬間があった

どっちでもない私 軽い瞑想状態
恐怖に支配されるわけでもなく
ハイでもなく イライラもしていない
誰もいない世界

その薬を飲んだ衝撃は
今でも忘れられない

その状態を意識しておくべきだと思った
それはあの大惨事を起こさないためだ


この展示会よりも
もっとひどいころがあった
顔もただれて 
歯ぎしりで歯を砕いてしまったころに
戻らないようにしないといけない


<感情が意識を支配する感覚 魂に感情が入り込む感じ>


最近あの頃と同じ
激しい怒りの感覚が急に蘇った

怒りの質が似ていたのだと思う

乗り移られるように意識が戻った
その怒りの感情は地の果てまで
何かを追い詰めようとする感情


憎悪?怒り?

その感情は一旦湧き出てしまうと
その目の前のものに向かってしまうのかもしれない
感情が場を支配して疲れ果てるまで
止めることができないのだと思う


喉から龍が飛び出そうになった


うるさいなあ
だったらおまえがあたしをやれよ

頭に声が響いた
母に なのか あたしの頭の中のうるさい声になのか

たった今の怒りのように 自分の魂に入り込んだ

感情と記憶はセット その時私はそう実感した
うまく言えない 
感情の記憶というのは凄まじい

解離に関して
抱えきれない瞬間の感情とか感覚とか記憶とか
そういったものをすべて凍結させてしまう
そして記憶の突然のフラッシュバックを
解凍と表現しているものがあるけれど
まさにほんとうに瞬間凍結し 解凍されると思う


<その場にふさわしく振舞おうとする>

考えてみればその場にふさわしい自分をふるまおう
というのは
何からくる感情だろう?と最近考えていた


先日テレビを見ていたら
まさにそれが起っていた

虐待されている子供のテレビで
いつも嬉しそうにふるまうということで
険悪な状況を回避するというもの

監禁された時
なんとか相手を動かすために
好きだと好意を示す演技すらした
ということを言っていた

私の中の誰かが大きくうなずいた
わかる まさにそう
好きっていって気に入られたら
相手の機嫌がよくなって
乱暴されずにすむ

でもわたし自身は虐待などされていないのだ

たまにこういうことに
過剰なまでに反応する私がいるけれど
何だろうと思う


<人格交代>

人格というより意識が
立ち上がったり 切り替わったりするのかもしれない

①意識を呼び起こすきっかけがある時
トラウマの感情に近い感覚が起こった時
同調した激しい感情が吹き込む・なだれ込む

カッとなるたびそうなるのではなく
過去の激しい感情が同調しなければ
別に何も問題はないのだと思う

②混乱・パニック・恐怖で
その場から意識が抜け落ちた時
場を対応しようとする意思が支える

それは感情ではないと思う

いつもこのことを考えると
なぜ気絶してくれないのかなあと思う
意識が飛んだら変わりが埋める
埋めているのが意識だから
やり終わった後記憶がない

とはいえ気絶ではなく
眠くなる ということはしばしばある
気絶するほど眠くなる

それは思い出せないことを
無理に思い出そうとするときにおこる

わたしの意識が飛ぶときのきっかけは
羞恥心 恐怖 身近な人に理解されない時の
尋常じゃない怒りの感情 軽蔑された感覚の時


そしてそれが支配するのは
とても一時的なものだ
すごく疲れるからだろうか?
それとも人格じゃないから
その場を維持できるようなものでないのかもしれない

そして感情が乗り移った場合は
記憶がセットになっているのだろうと思う

今まで想起している感じだと
短い間にころころと何度もも感情が変わる

連続して記録されているフィルムを
分割していろんなフィルムケースに入れてしまっている

エピソードになっていなくて
感情を伴ったシーンだけが残る
おそらく思い出すときもそうなってしまう
やはり断片 でも激しい

だから思い出したとき
悪夢?と思ってしまうのかもしれない


記憶に感情がひもづいているというよりも
その瞬間だけ感情が切り離されて
記憶が紐づいているいう感じ

一瞬でのっとられたみたいに 頭に血が上る
頭に血が上ったから人格(意識)がかわるというよりは
上る瞬間にはもう コントロール不能でのっとられている

わたしは突然置いてきぼりになる
このわたしというのは それまで通常を運転している私

なにかをきっかけに 感情だけが突然暴走しだして
泣き出したり 声が出なくなったり 過呼吸になったり
罵ったり 走って逃げだしたりするのだ

恐怖・いかり・悲しみ・憎しみ・羞恥心・
とてもたくさんの感情ごとの自分がそれぞれいる感じだろうか?

日常でカッとなって我を忘れる人を
目の前で見ることがある
その人と 何が違うか考えた
感情の波にのまれていて 怒った細かい内容は覚えてないけれど
カッとなったことも怒ったことも覚えている
本人曰くコントロールできているそうだ

一方自分の場合は
もともと体を通常操縦しているのはただの意識
ロボットのオートの運転と似ている

パニックになったときは
①ひどい眠気が襲う
②別の意識 つまり操縦士(おそらく私の場合感情)
が乗り替わって何とか事故らないようにブレーキをかけていく

その日は何をしていたかあまり覚えていられず
その後はずっと眠ってしまう

感情が支配した場合は 全く記憶がなくなってしまう

<統合失調症との違い>

自分が統合失調症だと思った頃の話

そのころの声の大きさは
イアホンでラジオを聴いているくらいだったと思う
よく声を聴こうと耳をふさいでいたから

脳に直接アクセスされている感じで
だからチップが埋まっていると思ってしまった


今の私がパニックになったら
あの時のように頭の中の声と
本気で会話して 物事を決めるのだろうか?

確かにあの時頭の中で声がして
声に従ったり 声と話をする自分を思い出せる
でも今自分に声が聞こえたら
それを信用して話して行動するかと言われたら
また別のはなしだ

あの時の私は幻聴だと思っているのに
その声の存在を信頼していたと思う

今のわたしが当時を推測すると

① 何らかのパニックで
その事態に対応しようとしたわたしは
思わず頭の中に相談した

最少は変だと思いつつも
的確な指示をくれる頭の声の主(男)
のいうことは物事を整理しやすく助かった
でもそのうちその声が暴走を始め
取り返しがつかなくなった


② パニックが起こったとき
頭の中に声がした
(多分フラッシュバック)
それによってイマジナリーコンパニオンと
話し合いに慣れてる自分がでてきたころの
依存心の強い自分に戻り
あたりまえのように会話を始めた


<過去の自分に同調する場合・過去の私が今を乗っ取る場合>

①現在の私が過去にタイムスリップする場合は
単なるフラッシュバック
ただ感情は共有している
というより過去の感情が流れ込んでいる
人格が乗っ取られるというよりも同調

ただ今の自分にはその感情がわからないから
呆然とはする
心だけジャックされる感じ


②過去の自分が現在にトリップする場合
いまのところ 
人に会ったときだけ突然現れる
過去だけにとどまっている意識
というより過去の記憶とともに凍結された意識

いきなり話し出したり 行動にも移してしまう

似た仕草の人に
その人にしていた行動と同じことをしてしまう


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