生まないと決めたおんなの話

女性の生きざまのテーマのひとつの
産むことについて書いてあるので
ものすごく不快な人もいる思いますが
自分のなかで一度吐き出してみたかったことなので
書いてみることにしました
DVの表現もあるので、フラッシュバックを心配されるかたは
読まないでください


産まない
という理由なんてひとそれぞれ
人の数だけ理由があるのだ

わたしは自分に適正がないことを悟って
早々に生まないと決めていた

自分にとってそれは、免許返納自主返納のような話
適正がないと感じるから

これは諸々のコンプレックスから来る
ただの想像かもしれないけれど
当たり前のようにお母さんになることを
描く人は愛情につつまれた家族に育ち
健康な人が多いだろう

どうしても子供が産みたいと切望する人のなかには
できない、できにくい人も
多かったり
家庭に恵まれなかった人もいるのかもしれない

自分の家庭が冷たい家庭に育ったから
暖かい家庭を作りたいといった人も

それが夢のすべてのような人もいるだろう
小学生、中学生の夢の話で
お母さんのようなお母さんになるのが夢
と照れたような誇らしげな顔で答えた
同級生の顔を思い出してしまった

自分には得意なものはないけれど
世界一のお母さんになりたい

子供を授かることになんの疑いもない人が
できずらい、と言われたときの絶望は
いかほどだろう

神様がいるのなら
望む人にはすべて産ませてあげてほしいと思う

非難を覚悟で言うと
自分の子供に執着する意味が
わたしにはわからなかった

なぜなら、わたしはわたしの子供なんて
本当にほしいと思っていなかったから
自分だけでもおぞましいのに
という気持ちが強かった

もちろん子供は分身ではないし
親の影響を受けないとか
諸説いろいろあるし
わたしと妹は同じ家庭環境で育っても
わたしは家庭、家族に嫌悪感を抱いていたし
妹はだからこそ、自分の暖かい家庭をもちたがった

種の保存は本能に含まれていると言うが
では、わたしには人としての本能が
ないのだろうか?
と折に触れて悩んだ

思えないのは人じゃないからか?
本能まで言われると
さすがに考えてしまう

そもそも、わたしには記憶がない
だから何を思い悩んで
自分は絶対子供を産むべきではない
産まないと心に誓ったのか定かではないけれど

わたしがわたしの潜在に残るよう
脳内会議にて決めたことなのだ

今でこそ、虐待は連鎖する
という説も出ているが
わたしの生きていた時代は
子供を産むことが当たり前だった
産まないと主張するだけで
結婚することの意味がないじゃないか
と真っ向から否定されるわけで
妹が子供を産んだときは
心のこそからほっとしてしまった

もちろん産んだのは妹で
わたしではないけれど
この家から子孫ができたのは事実である

わたしは、もう中学のときから
絶対に子供を産まないと決めていた
それでもその人生観を否定されると
そこそこ、心が折れた

説明するのが面倒くさいので
なんといったら何で?
といえば交わせるか考えた時期もあった

実際病気でもないのに
病気なのでというのは
本当に病気で苦労している人に失礼なので
方便でも言う気がしなかった

生むなら早い方がいいわよ
とか
いつ頃予定しているの?
と聞かれて
わたし産まないって決めてるんで
と発言したあとの同性の目を
なんと形容したらいいのかよくわからない

異質なものを見るような
まるで、命を捨ててしまった
といったかのような目で見る

書いていて気づいたけれど
出産を当然のように感じる人からすると
卵子すら子供に見えるのだろうか?

「なんで?産めない訳じゃないんでしょ」
その質問にびっくりして耳をうたがった
即座に
「それ、産まないって人すべてに
ぶつけていい質問じゃないですよ?
わたしは自分できめたらから構わないですけど
万が一事情があって産むことを悩んでたりしたら
どうするともりなんですか?」

彼女いわく本当に産めない人には
そんなことは言わないのだ、という

「どうやって見分けるんですか?」

「女の勘よ、そんなの。
本当は産みたいかどうかは
話を聞けばすぐわかるわよ」

「どうして人の人生に
土足でそんなに踏み込むんですか?
出産なんて、それぞれいろんな事情があるのに」

わたしも冷静でいられなかった

その人いわく、わたしの人生の話をしているので
他の世間の人なんてどうだっていいというのだ

その人は母の親友で
その代わりに見かねていったというのだ

またここでしつこく言うと
わたしはDIDである可能性が高い
なので、自分の人生に
思ったより
思わぬ形で
人にか変わっていても記憶がない

だから、ここまで踏み込まれると
戸惑ってしまうのだ

確かに主張は強い方だったけれど
それはもしかしたら
自分の意見ではなかったのかもしれない

母がよく
そんな借りてきた意見みたいなこと言わないで
自分の意見を言いなさい
あなたはどうなの?
を繰り返し聞いた

母親にはなったことがないので
母親ならではの違和感みたいなものを
どう受け止めていいかわからなかった

ここにきて最近
中学の担任のいってくれたことが
自分を支えている
たぶん、客観的で、
とても教師らしいことばだからだ

愛情は時に客観性をなくすときもあるだろう
わたしは愛犬に首輪をつけることも
リードで引くこともできなかった

小学生の頃
はじめて飼った犬が
人に飛び付きそうになったときですら
強く引くことができなくて
飛び付かせてしまった

すかさず父がはなの頭を叩いた
父を弁護するつもりはないけれど
今はたくさんマナー教室があって
人と動物の共存がお互いのストレスがない状態で
成り立ちつつあるのかもしれないが
当時はその犬の飼い方にたいして
知識がなかった

話は飛んだけれど
父と母は喧嘩が耐えなかった

血で血を洗うようなののしりあいのすえ
母はとても幼くて
アルコールに逃げ、ほとんどアル中だった
手持ちのお酒がなくなると
料理用のお酒を美味しくないといいつつ
飲み干す人だった

どんな真っ暗な夜でも
わたしにお酒を買いに行かせる人だった
外で飲み迎えにいくと
道端で大の字になって
ここで車に引かれて死んでやる
といい
朝から学校へ行く直前のわたしの前で
狂ったように父を罵った

おかげで、たぶんわたしは、
学校に遅刻するようになった

わたしがいなくなったとたん
父が母を殴り飛ばすと思うからだ

妹はあんなの恒例のパフォーマンスなんだから
わたしは行くと出掛けていく

ねえ、そろそろ行ったら?
というわたしの一言か
家政婦の人が来るタイミングで
彼らは会社に向かった

それを朝の儀式と言う妹も
サンドバッグみたいに罵りを聞いている父も
サンドバッグに罵る母も
それをわたしに見せていることも
なにもかも滑稽だった

父は母が飲んで寝てしまうと
両ほほを往復でビンタする人だった

起こした母の髪をつかんで
水道の蛇口のしたに持っていき
水を浴びせることもあった

忘れていたからトラウマなのか
トラウマではないから忘れていたのか
急に最近まざまざと思い出した

詳細はともあれ
中学生までのすべては
思い出したくないくらい嫌いだった過去
として古新聞を捨てるように
紐で縛って捨てた

と自分のなかで記憶していた

愛情深く育てたられて
自然とお母さんになりたい
と思える
さらに自分が親になり
そのすばらしさに感謝する
という人の美しい言葉は

日常的に嫌でも目にするだろう

そして
持っていないわたしのコンプレックスを
一生傷つけるのだろう

そして傷つくことでまたさらに
自分の狭量さにがっかりするのだ

なので勉強に向かうが
いつになったらわたしは
人としての心豊かさを
持てるようになるのだろうか

借りてきたことばじゃなくて
あなたはどう思ってるの?

母の声がこだまする





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