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【My History 03】我が家の食卓が、昭和から世界の最先端に!小さなキッカケでアレルギーっ子の子育てがラクになった

ちょっとずつ食べられるように

離乳食が始まる4ヶ月の頃に、卵・乳製品・小麦の食物アレルギーが分かった息子。

除去食の離乳食からスタートした息子ですが、
2歳になる頃には、
乳製品と卵が除去食解除になり、
普通に食べられるようになりました。

もちろん食べられるようになるまで、
治療も頑張ってくれたし、
私もいっぱい失敗もしました。

この失敗はまた別の機会に書きたいと思います。

手強かったのは、小麦

でも、小麦だけは、
全くアレルギーの数値が下がらず、
むしろ高くなっていくばかり。
MAXレベルまで到達して振り切ってしまうほど。

気長にと言いつつも、

「いつになったら食べられるようになるの?」
「こんなに数値が高くて、どうしよう?」
「間違えて食べてしまったら、どうなるの?」
と、不安がいっぱいでした。

普段の生活では、
何にでも入っている小麦粉を除去した食卓。

主食のパン、うどん、麺類、
おかずのフライや天ぷら、
洋食のつなぎや美味しいお菓子、

幸い、調味料は大丈夫だったので、
お醤油もお味噌も普通のものが使えましたが、

息子は食べられないものがいっぱいだ。

と、現実を突きつけられました。

我が家の食卓が、昭和から世界の最先端に!

いつも昭和のような食事をしていた息子。
おかずは煮物などの和食で、
おやつは、おかきや干し芋やフルーツ。

主人からは、
「昭和のような食卓だね!」
とよく言われました。

洋食を食べさせてあげたい!
ケーキやクッキーを食べさせてあげたい!
と思って、
材料をわざわざ梅田の百貨店まで買いに行って、あれこれ作りました。

そう、
昔はグルテンフリーのものなんて、
探して探してやっと見つかる程度で、
「グルテンフリーって何?」
というくらい大変だったのです。

そんな息子が2歳の頃。
それは突然やってきました。
海外セレブの間でグルテンフリーが流行ったのです。

世界の健康最新トレンド。

我が家の食卓は昭和だと思っていたのに、

「グルテンフリーが最先端?私たち、もう2年前からグルテンフリーですけど!めちゃくちゃ最先端だわ!」

と、とってもポジティブに思えました。

なんて事ない、小さなキッカケ。

でも、その時はとっても気持ちがラクになりました。そして、グルテンフリーの波は日本にもやってきて、

そのおかげで、大手スーパーでもグルテンフリーのものが取り扱われるようになり、とっても手に入りやすくなりました。

これも、気持ちがラクになった事の1つでした。

小さなキッカケから学んだ事で、
楽しくラクになったアレルギーっ子の子育て
グルテンフリーの流行で、
なんでも考え方が大切だと思えた私の子育ては、
今までとは全く違うものになりました。

大丈夫だよ!って伝えたい

息子は今7歳。小学2年生です。
それまで、いろいろな事がありました。

周りの人達に「大変だね!」って、
たくさん気遣ってもらいますが、
私自身は、そんなに大変と思っていません。

確かに、給食はほとんど食べられないので、
基本的にはお弁当です。
外食も、なんでも食べられるわけではありません。
緊急時のアドレナリン注射も持っているので、
何かあったら…と考えると怖いです。

でも、今まで出会った人が本当にいい人達ばかりで、病院や幼稚園、学校の先生にも恵まれて、
沢山の人達に支えられています。

それもこれも、
ちょっと考え方を変えただけ。
だから、もし今、
子供のアレルギーで悩んでいる人がいたら、

大丈夫だよ!って伝えたい!

もちろん、アレルギーと言っても、
種類も程度も様々で、個人差も大きいです。
息子よりもアレルギーの種類が多かったり、
もっと微量でも反応してしまう方もいると思います。

私は、専門家でも、お医者さんでもないので、
治してあげることはできませんが、
私のこれまでの経験や情報が、

ちょっとでもラクに!楽しく!
少しでもお役に立てればいいな!嬉しいな!

そう思って、
これからお伝えしていきます。



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