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布団の中で「私に形をください」と泣きながら祈った、その願いがかなっているのなら

 小さい頃自分が親切や愛情表現だと思ってしたことを否定されることが多々あった。親切だと思ってしたことを思いやりがないと捉えられたり、わがままと捉えられたり、とにかく親からは「あなたは感謝がない。感謝しなさい」と言われることが多かった。やることなすこと誤解されてばかりで、どうやっても誤解を解くことなどできないのではないか?というジレンマの中にいた。


その頃、私が最も願っていたことは、「私に形をください」だった。誤解されるのは自分というものの形があやふやだからで、人(当時は親)と物事の見方を真逆に見てしまうのも、そのせいだと思っていた。形がないから見えなくて理解してもらえないし、形がないから相手にも触れられず、相手のことがわからないのだと思っていた。まるで、透明人間のように自分のことを思っていた。


まるで言葉の通じない外国にいるような感じだった。どうふるまったらいいのかわからなかった。
ひどい家庭ではない。愛されていた…というか、むしろ愛されすぎてカゴの鳥だった。カゴの中にいる透明なアメーバーみたいなやつ。それが私だった。

当時の私がそれでも希望を失わずにいられたのは、物語の世界があったからだ。
本の中には自分の感じる何かがあり、現実とつながることのできない私でも分かり合えるものがあり、心のどこかでそれが現実の何かとつながっているのではないかという希望を見出すこができたのだ。

ファンタジー小説、純文学、絵本、推理小説、SFなどなど、実用書以外の本で学校の図書館にあるものを片っ端から読んでいった。小学生には「女の一生」が理解できたかと言えば、まぁ、それは難しすぎたけど(笑)
それであっても物語の世界には自分の中にある何かとの共通性があるように思えたて楽しかったのだ。

「私に形をください」
その術は踊りでも絵でも、歌でもスポーツでもなんでもよかった。自分を形作るツールがほしかった。音楽やスポーツもやったけれど、物語(言葉、文字)というものが一番、安心して自分と向き合える時間だった。小学生の頃から小説みたいなものを書いてみたり、編集という仕事にも携わることになるのもここが出発点だったのかなとも思う。

私は文章が得意と思ったことはない。書くのも読むの好きなだけ。
誰かから褒められたこともないし、読書感想文で入賞した記憶もない。
けれど、小さい時、布団の中で「私に形をください」と神様に泣きながら祈った、その願いがかなって言葉というものが私のそばにずっとあったのだとしたら?
私ができることは、うまくいってもいかなくても、そのツールを使い続けることじゃないかと今は思っている

優しさというものを
感謝というものを
迷いを孤独を
希望を絶望を
正義や悪や罪や罰や
時間や光や闇や
嬉しさや悲しさや
自分の中に流れてくるものにひとつひとつの意味を
見出し形づけていくしかない

そのいびつな形を周りの人に差し出し
違う形に整えてもらいながら
新しい自分にバージョンアップしていく


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