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新緑、渓流、わたし。

私は考える。私は感じる。

こうして今の世の移り変わりを感じてくると、

幼い頃に味わった、

朝日がオレンジがかって、

新緑の葉に景色を縁取られた、

あの 渓流沿いの時間を思い出す。

私は特有の香ばしい香りを嗅ぎながら、

葉の間に見える山々の

美しく抑揚のある緑いろを見ていた。

自然に圧倒された日ではなく、

自分も自然の一部なんだと思えた。

あの、木々を分け入っていく道なき道の瞬間。

私は川沿いの、

水に攻撃されて切り出された大きな岩の、

よこ真っ二つになった、

1メートルも2メートルもまっすぐな、

自然のベッドで

大好きな小説家の本を読んでいた。

時折、目をつぶって、

音もないはずなのに山が泣いているシンシンという音に耳を傾ける。

寝転がっていると、

渓流のさわさわとした馴れ馴れしさを集中して感じていて、

自分も自分の体も、渓流の水の、水飛沫の一部になっているのを感じ、

自然とは自分である。自分は自然である。

そう感じたのを克明に、今おもいだす。

自然が、地球が、ひとびとを抑圧させているのではなく

きっと、生物でないと分別されるものにも、

自由を与えて地の上には

ひとびとと並んで増えているのではないか。

そう思っているが、その自由な発想すら、今の世にはアンチで消されてしまうでしょう。

でも、私はあの、

春色なのにくっきりとした色、

音なき音、

自分の輪郭のなくなった瞬間が忘れられない。

藤山千花

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