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「何もしない」をしにいく旅

わたしたちの旅はいつもハードスケジュールだった。

目的地を決めたら、まずはその土地の観光名所や名物、気になるお店を調べる。到着した日から帰る日までの食べるもの、行く場所、乗るバス、なんなら起きる時間まで決めていた。

だいたい1日の終わりは、その日動き回った疲労感と美味しいごはんとお酒の満足感で睡魔に襲われる。かろうじてお風呂に入り、そのままベットにダイブというのがお決まり。

それが今回の旅は違った。

今回の旅で決めたことは、2人の憧れだった宿だけ。
心置きなく外出できる訳ではない状況だったという理由もあるが、なんとなくのんびりしたくなったのだ。「何もしない」をしにいく旅。

正直言うと、楽しい旅になるか少し不安だった。
でも、レセプションで施設の説明を受ける頃にはそんな不安はふっとんでいた。森の中にあるキャビンへ送ってもらう頃には、2人ともご機嫌だった。

案内されたキャビンは、想像していた通りだった。
玄関から部屋に入ると、目の前の壁は一面窓。残念ながら富士山は雲に隠れてしまっていたけど、天気が悪くても十分に光が部屋に入ってきた。
シンプルだけど温かみのある部屋に、ソファになったテラスがついていた。森の中というのもあってか、なんだか空気が澄んでいるような気がした。

荷解きをして、ひとまずテラスでくつろぐことにした。

道の駅で買ったお酒とレセプションでもらったお菓子を早速あけ、河口湖を眺めながらご機嫌気分に浸った。
いくつかアクティビティは用意されていたけど、あまりの居心地の良さに、結局夕食の時間までテラスで過ごした。

ダイニングで遊び心に富んだ美味しい山の幸料理をいただいた後、「森の演奏会」が開かれるとのことで行ってみた。
タープの中で、ワインを片手に電気毛布にくるまりながら、雨の音が重なったフルートの音色を聴く。何も考えずに耳だけを澄ます、ただただ心地よい時間だった。

部屋に戻るとテラスには、炎が灯されていた。
少し肌寒かったけど、ブランケットを借りて、テラスで晩酌をすることに。

スピーカーで小さめに音楽をかけ、街明かりを眺めながら、仕事のこと、恋愛のこと、将来のことを語り合う。いつも会っている仲だけど話は全然尽きなかった。「楽しいね、幸せだね」と何度も声に出した。

途中、コオロギがお邪魔しにきたりもした。虫がすきではないわたしは、いつもだったら大騒ぎをするのに、その日は森の一員が遊びに来てくれたみたいな気分になった。

時間も忘れるほど楽しんだので、朝はギリギリに起き、テラスで可愛いボックスに入った朝食をのんびりと食べ、あっという間の贅沢ステイを最後まで満喫した。


こうして振り返るとお酒を飲んでばかりの旅だったけど、頭を空っぽにできて、五感が研ぎ澄まされた気がした。「何もしない」も、たまにはいいものだ。

わたしは、いつの間にか「新しいレシピに挑戦しよう」とか「本を読もう」とか、「何かをしなきゃ」という義務感に追われるようになっていた気がする。
「これを終わらせたら、あれをしよう」という風に常に頭の中にTo Do リストを作っていた。何かを終わらせることで達成感を得ていたのだと思う。

ステイホーム期間を過ごし、様々なことが制限されるようになった中で、日常に少しでも意味を見出したかったのかもしれない。

でも、今回の旅でそれがふっと軽くなった。

たまには空っぽも必要だ。余白の中で感じることはたくさんある。焦らなくたって「何もしない」ことに意味がない訳ではない。

そんなことを改めて思い出させてくれる旅だった。
そして、同じ感覚、ペースで一緒に時間を過ごせる友人の存在に感謝の気持ちがじんわりと湧いた。

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