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9.11旅行記③ 2001/9/12(テロ翌日のマンハッタン)

2001年9月、大学3年生の時に初めて海外旅行に行き、アメリカ同時多発テロに遭遇した時のことを残しておきたくて、旅行記を書きました。

<実際の旅程>
・2001年9月10日: 夜、マンハッタンに到着
・9月11日: 同時多発テロ発生、2機目突入を目撃し走って逃げる
・9月12日: マンハッタンを観光
・9月13日: 空港閉鎖、延泊。再びマンハッタンを歩く
・9月14日: ホテルでFBIが取り調べ。ホテルを移される
・9月15日: テキサスの伯父に送金してもらい、航空券購入、カンザスへ
・9月16~17日: カンザスの友達の寮に滞在
・9月18~19日: 帰国

・テロ翌日のマンハッタン

2001年9月12日(水)

同時多発テロの翌日。
カンザスに行くまでずっとホテルの部屋に閉じこもってニュースを見て過ごすより、昨夜の外の様子も危険などは感じなかったので、私たちは、街に出てみることにした。
朝食は、昨日のカフェでとることにした。ホテルから出て、カフェに行く前に、昨日、ミナコおばさんに電話がつながった大事な公衆電話で、記念写真を撮った。
私はデジカメを持っておらず、フィルムのカメラを持ってきていた。それも、中学校に入学する時に、お祝いに親に買ってもらったカメラだ。
カフェで、トーストとオムレツを食べて、出発した。

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この日もよく晴れていた。でも、日本より湿気が少なくて、からっとしている。
建物と建物の隙間から、エンパイア・ステート・ビルが垣間見えた。ホテルから数ブロック先の近さだった。
でも、エンパイア・ステート・ビルに行く道は、閉鎖されていたようだ。

昨日テロが起きた、ワールドトレードセンターがある南の方には行かず、北のセントラル・パークの方に向かって歩いた。
街を歩き始めてすぐ、アイちゃんはスニーカーを買った。アイちゃんは、サンダルで来ていて、もともと着いてからスニーカーを買おうと思っていたのだそうだ。昨日は、ヒールのサンダルで、延々と歩いて、走って逃げてきたので、足が痛かったそうだ。

1.ライオンキング劇場(休館)

ブロードウェイで、ライオンキングを上演している劇場があった。建物が、黄色いライオンキング仕様になっていた。でも、閉まっていた。
出発前は、ブロードウェイで観劇したら英語が理解できるか心配していたが、そもそも観られなかった。
でも、外観だけでも見られたので、記念に写真を撮った。

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2.easyEverything(ネットカフェ)

インターネットカフェに通りかかった。easyEverythingというオレンジ色のお店で、1ドルで5時間使えると書いてあり、行列ができていた。
当時は、海外で携帯電話でネット検索したり、メールが送れたりはしない。何かを調べたり、誰かに連絡したりするには、ネットカフェなどでパソコンを利用する。私たちは、本当に1ドルだけで5時間も使えるのか、追加料金がいるでのはないのかと思いつつ、列に並んで入ってみた。
空いているパソコンの前に座り、1ドルで買ったチケットのIDでログインすると、最初にアンケートの画面になった。アンケートに答えると使えるようになるのかと思い、回答するが、質問が次々出てきてなかなか終わらない。何分も経ってから、これは別に回答しなくてもよいものだということに2人で気づいた。
なんだ~と思いつつ、私は大学の友達にメールを送った。日本語入力ができないので、簡単な英語で、無事であることと、昨日テロを目撃して走って逃げたことを書いた。
30分すると、パソコン画面が落ちた。仕組みはよく分からないが、使える時間は30分だったらしく、最初のアンケートで時間を使ってしまったので、1人にメールを送っただけで終わってしまった。せっかく並んでまで入ったのに、ろくに寝ていないのもあって、ちょっとイライラしながらお店を後にした。お昼頃になっていた。

街には、普通に人がたくさんいた。雰囲気も、特に変わったところは感じなかった。
私たちの前を、女性が、”Excuse us.”と言って横切った。後ろにもう1人いたから、Excuse “me”じゃなくて”us”なんだ!と感動した。エクスキューズミーはエクスキューズミーとしか思ったことがなかった。

3.タイムズスクエア

タイムズスクエアは、テレビや映画で見たとおり、大きな看板がたくさんあって、にぎやかだった。大きなMr. Peanutの看板が、いかにもアメリカっぽいと感じた。
道で、出発前にワーナーでバイト中にたくさん聴いた、JamiroquaiのLittle Lが聞こえてきた。どこで聴いても、本当に同じ曲なんだなあと思った。

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4.ロックフェラー・センター

少し歩くと、ロックフェラー・センターがあった。空中を泳いでいるみたいな、金のプロメテウス像やスケートリンクは、やはりニュースや映画で観たことがあった。スケートリンクは、夏はRink Barになっていて、パラソルがたくさん立っていた。
私は、金の像は、衣をなびかせているからか、女神だと思っていたが、男性の像だった。

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5.セント・パトリック大聖堂

ロックフェラー・センターから通りをはさんで、大きな聖堂が建っていた。セント・パトリック大聖堂だ。
中に入ってみると、大勢の人がいて、扉一枚隔てて外とは全く雰囲気が違った。昨日の事件があって、礼拝に来ているのだろうか。一番後ろの扉から入ったが、座席の後ろのこのスペースにも、人だかりができていた。皆、真剣な表情で、重い空気だった。とても観光客がうろうろする雰囲気ではなく、私たちは場違いだと思って、すぐに出た。
扉の彫刻がきれいで、外観だけ写真を撮った。私はバラ窓を外から見ると、クッキーみたいだと思う。子どものころ、こういう繊細な模様の丸いクッキーがあった気がする。

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6.トランプ・タワー

それからまた北上して、トランプ・タワーを通過した。トランプ・タワーの真下で、男性が仰向けに歩道に寝転がって、真上にカメラを構えて、トランプ・タワーの写真を撮っていた。でも、周りの人は全く気にせず、傍を通り過ぎていた。やりたいようにやっていても、他人の視線も、何かしている他人のことも、気にしないのだなと思った。いいなと思った。
リエも、カンザスに行って最初の頃に手紙をくれた時、大学のベンチに寝っ転がって手紙を書いていても、誰も気にしない、そういう雰囲気が好きだと書いていた。

7.FAO Schwarz

セントラル・パークの手前に、FAO Schwarzがあった。私はFAO Schwarzは聞いたことあるような、ないような、うろ覚えだったが、アイちゃんが、ここも映画に出てくるおもちゃ屋さんだと教えてくれた。お店の前に、3mくらいの大きなテディ・ベアの像があった。(この場所にあったFAO Schwarz は、2015年に閉店したようです。)

マンハッタンは有名な建物だらけだ。今通ってきた道にも、気づかずに通り過ぎてきた名所がたくさんあるのだろう。

セントラル・パークに入る前に、お昼を食べることにした。近くのお店で、スープを買った。私はお腹がすいていて、大きいサイズにしたかったが、延泊代や航空券がどうなるか分からないので、節約してレギュラーサイズにした。それより小さいサイズにはできないほど、お腹がすいていた。
でも、少し節約したところで、何連泊も必要になったり、航空券を買い直さなければならなくなったら、最初からすでに足りないのではと思っていた。

8.セントラル・パークへ

お昼を食べて、セントラル・パークに入った。ホテルのある30丁目から、59丁目まで、約30ブロック分歩いてきたことになる。移動距離で、3kmくらいだ。
セントラル・パークは、マンハッタンの中央にある、59丁目から110丁目にかけて、南北約4km、東西約800mにわたる、広大で緑豊かな公園だ。

セントラル・パークにも、たくさんの人が訪れていた。よく晴れていて、公園を散策するにはぴったりだった。ランニングする人、自転車の人、家族連れもたくさんいた。
昨日近くであんな事件があったと思えないような穏やかさだ。

9.Umpire Rockとビル群

歩いていると、大きな岩の丘があった。てっぺんまで登ると、岩と木々の自然の向こうに、ビル群が見えた。マンハッタンは、極端なものが隣り合わせだ。それぞれ自分の好きなところにいる。
水色のガラスみたいなビルや、グレーや茶色の方眼紙みたいなビルが、ずらりと並んで壁を作っていた。アール・デコの細かい線の入ったビルは、製図用のシャーペンのグリップを連想させる。アルミでできた軽い箱にも思える。
こんなところに住んでいる人は、どんな人なのだろうと思った。どうやったらそこにたどり着けるのか見当もつかなかった。

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10.『ライ麦畑で捕まえて』の回転木馬

それから、『ライ麦畑で捕まえて』に出てくる回転木馬があった。乗ってみると、速くてびっくりした。

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11.不思議の国のアリス像

縦長のセントラル・パークの3分の1くらいまで歩いてくると、不思議の国のアリスの大きな銅像があった。予備知識がなかったので、私にとっては唐突感があった。きのこの上にアリスが座っていて、左右に白うさぎとマッドハッターがいる。銅像には小さい子どもたちが登って遊んでいて、そばで大人が見守っていた。
私も端っこのきのこに座って、写真を撮らせてもらった。

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12.メトロポリタン美術館は休館

セントラル・パークを半分くらいまで北上したところに、メトロポリタン美術館がある。私は、メトロポリタン美術館で、フェルメールの絵が観たいと思っていた。以前、夜中に偶然テレビで「フェルメールの囁き」というドラマを観て好きになり、今回初めてフェルメールの絵を直接観られるかもしれなかった。こんな風に予期せず心に残るものに出合うから、夜中にテレビで映画を観るのが好きだった。無防備だから、余計に心に響くのかもしれない。
しかし、メトロポリタン美術館の正面階段には、”Closed Today”の赤い看板が立っていて、階段には多くの人が座っていた。残念だけど、仕方ない。

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13.芝生でくつろぐ人たち

セントラル・パークはまだ半分あったが、たくさん歩いてきたし、帰りにかかる時間も考えて、そろそろ引き返すことにした。
芝生の広場では、レジャーシートを敷いてくつろいでいる人がたくさんいた。寝っ転がって日光浴したり、座って何か食べたり、みんな思い思いに過ごしていた。私もまねして寝っ転がった。

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14.STRAWBERRY FIELDS

セントラル・パークの西側に、”STRAWBERRY FIELDS”と書かれた緑色の看板が立っていた。母がよくビートルズを聴いていたので私も好きで、”Strawberry Fields Forever”という歌や、この辺りにダコタ・ハウスがあることは知っていた。だから、これもビートルズ関連の何かかなと思ったが、この看板の向こうに、ジョン・レノンの記念碑があることを知らず、看板の前で写真を撮って、通り過ぎた。

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帰りは、歩きではなく、バスを利用してみた。座れて快適だった。

テロ翌日のマンハッタンは、閉まっているお店が多かったけど、街には人がたくさん出ていたし、混乱や、おかしな雰囲気も感じなかった。私たちはここから出られないし、ここに住んでいる人には日常生活がある。

15.夜はお向かいのカフェへ

夜は、またホテルのお向かいのカフェに行った。
夜になると、食べ物はほとんど残っていなかった。でも、ホールのケーキをカットして販売していて、ケーキは何種類か残っていた。
この日だったか、私は、あの店員さんに、チョコレートケーキをお願いした。そうしたら、ホールの3分の1くらい、とっても大きくナイフで切ってくれて、フォークを2本さしてくれた。(でも、その後アイちゃんも別のケーキを頼んだ。)

こうして、テロ翌日のマンハッタン観光が終了した。
結局、ニューヨークに留学していたケイちゃんに会うことはできなかった。テロ当日は、ケイちゃんの学校では、泣き出してしまう子もいて大変だったそうだ。

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