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9.11旅行記⑤ 2001/9/14(FBIがホテルを捜査)

2001年9月、大学3年生の時に初めて海外旅行に行き、アメリカ同時多発テロに遭遇した時のことを残しておきたくて、旅行記を書きました。

<実際の旅程>
・2001年9月10日: 夜、マンハッタンに到着
・9月11日: 同時多発テロ発生、2機目突入を目撃し走って逃げる
・9月12日: マンハッタンを観光
・9月13日: 空港閉鎖、延泊。再びマンハッタンを歩く
・9月14日: ホテルでFBIが取り調べ。ホテルを移される
・9月15日: テキサスの伯父に送金してもらい、航空券購入、カンザスへ
・9月16~17日: カンザスの友達の寮に滞在
・9月18~19日: 帰国

・シャトルバスを待つ

2001年9月14日(金)

朝7時5分のシャトルバスでニューアーク空港に行くため、間に合うように早く起きた。

フロントでチェックアウトして、雨の中、ホテルの外でシャトルバスを待った。
この日は雨で、とても寒かった。昨日までカラッと晴れて、暑くて半袖でよかったのに、この日は打って変わって、寒くて仕方がなかった。暖かい服を持ってきておらず、昨日H&Mで買ったジップアップのスウェットを着たが、足しにはならなかった。でも、今写真を見ると、足元はスニーカーではなく、なぜか裸足にサンダルを履いている。
街の人も、昨日までノースリーブを着てたかと思えば、今日は長袖のトレンチコートをはおって歩いていた。ここの人たちは、衣替えをする必要がないのだろう、クローゼットには、一年中、夏物も冬物も一緒に入っているのだろうと思った。

なんとなく嫌な予感がしなくもなかったが、7時5分を過ぎても、バスは来なかった。それでもずっと待っていても、ずっと来なかった。シャトルバスの予約をしたカウンターに聞きに行くと、今日はやっぱり飛行機は飛ばないようだと言われて、途方に暮れてしまった。情報を得るすべがなく、今何が起きているのか、見通しも、何も分からなかった。
雨が降って寒くて、お腹がすいて、どうしたらよいか分からなくて、悲しくなってきた。寒くてひもじいと、元気が出ないことを知った。
なすすべもなくホテルのロビーのソファに座っていると、ホテルの人が、朝食を食べさせてくれた。困っている時に優しくしてもらって、ありがたくて、涙が出そうになった。ベーグルと、オレンジジュースをいただいた。

ホテルの前の公衆電話から、またアイちゃんと交代で電話をかけた。地球の歩き方の後ろの方に載っている、航空会社の予約番号などに電話をかけたのだと思う。最初は、英語で出たら会話が通じるのか心配だったが、そのうち、何でもいいからとにかくつながってと思ってかけ続けたが、全くつながらなかった。

・ホテルにFBIが来た

私が電話をかけている時、3人組の人がホテルにやってきた。そのうちの1人は、ネイビーのウインドブレーカーを着ていて、背中に黄色の文字で大きく、”FBI”と書かれていた。
私はそれを見て、その辺で1,000円くらいで買ったレプリカをはおっているんだろうと思った。FBIなんてそう簡単に会えるわけないし、背中に大きくFBIと書かれたウインドブレーカーはシンプルすぎる気がしたし、それに本物のFBIはこんないかにもな服を着ているのだろうか、と思ったのだ。
でも、私が思うことはやっぱりいつも逆で、本物のFBIだった。

すぐに、10人ほどの防弾ベストを着た人たちが、続いてやってきた。あ、本当なんだ、と思った。隣のお店の若い男性がやってきて、入口でやじうまをしていた。腕を組んで、首を長くして、中を見ている。話しかけられたので、私も、「何が起きたのかな?」と言うと、「Special policeだよ」と、ちょっとにやにやしながら言われたが、それは私にも分かる。

すぐにホテルの入口には見物人が集まってきて、人だかりの中、FBIの人たちが、ホテルの中に入っていった。私も今入らないと、締め出されて何時間も中に入れなくなってしまうかもしれないと思い、私もここの宿泊客だと言って、中に入れてもらった。

・FBIから聴取を受ける

ロビーのソファの、アイちゃんのところに行った。アイちゃんによると、FBIの人たちが入ってきた時、下に続く階段のところで、銃を構えて「出てこい」と言っていて、映画みたいだったそうだ。
FBIの人たちは、ロビーにいたスタッフや宿泊客に、順番に話を聞き始めた。
私たちもソファで、女性の捜査官から質問を受けた。女性は金髪のショートカットで、背が高く、防弾ベストを着ていた。厳しい感じなのかなと思って、ちょっと緊張した。
でも、女性は、優しい雰囲気で話しかけてきて、私に英語が分かるか聞いた。私は、英語をゆっくり話してもらえるようお願いした。
最初に、IDを見せるように言われた。私たちはパスポートを渡すと、女性は何かをメモしていた。そしてこう聞いた。

“Did you watch something unusual last night?”

「昨日の夜、何か変わったものを見ませんでしたか?」
それって、昨日の夜、FBIが捜査するような何かがここで起きていた可能性があるということ?
私は、このホテルで?と確認すると、そうだと言った。私は何も思い当たらなかったが、一応アイちゃんの方を見て、アイちゃんも見ていないのを確認してから、”No, we didn’t.”と答えた。

質問は、それだけだった。他の人への質問が終わるまで、そこで待っていた。ロビーの奥にいる男性は、新聞を見ながら、FBIの人に何か話している。新聞に載っているようなことについて、話すことがあるということなのか。
私は、さっきの質問の英文の印象が強く残って、疑問文でもanythingではなくsomethingを使うんだ、などと思いながら座っていた。
高校生くらいの女の子が2人、入口に立っていた捜査官に、ランドリーに行きたいから外に出ていいか、と聞いていた。女の子たちは、ビニール袋の中の洗濯物を警官に見せて訴えていた。

・ホテルを退去させられる

ホテルの宿泊客は全員、ロビーに集められたようだった。そして、全員の聴取が終わると、今度は全員、ホテルから出ていくように言われた。
私たちももうこのホテルに延泊できなくなったが、フロントで別のホテルを案内してもらえた。Best Western Manhattan Hotelという、エンパイア・ステート・ビルの隣のブロックにあるホテルだった。

宿泊客は、ホテルを出ていく。私たちも、スーツケースをひいて、案内されたホテルに歩いて向かった。直線距離で500mほどのところだ。
私のスーツケースのキャスターは、相変わらずキュルキュル変な音を立てて、千鳥足でまっすぐ進まなかった。私は、次に旅行に行くときは、絶対に新しいスーツケースを買おうと強く思った。散歩から帰りたくない犬をひっぱるみたいに、スーツケースを強引に、ほとんど持ち上げながら歩いた。

Best Western Manhattan Hotelは、エンパイア・ステート・ビルの真下だった。最初のQuality Hotelも、エンパイア・ステート・ビルに近いと思っていたが、今度は近すぎて、もはやビルが見えなかった。
フロントにチェックインに行くと、部屋のタイプが選べて、値段は変わらないと言うので、ツインベッドの部屋にした。それでも100ドルを切っていて、翌朝の朝食のチケットまでもらえた。出発前に自分でホテルを探していた時、どんなにがんばっても100ドル未満のホテルは見つからなかった。
私たちの部屋は204号室で、濃いめのミント色の壁の、かわいい部屋だった。チェストの上に置かれているシェードランプの、スタンド部分が自由の女神像になっていた。

・ミナコおばさんに連絡

テキサスのミナコおばさんに電話をして、飛行機が飛ばなかったこと、ホテルに突然FBIが来て聴取を受け、全員ホテルから出されて、別のホテルに移ったことを話した。
ミナコおばさんは、テキサス州からマンハッタンまで車で迎えに来ることも含めて、私たちがマンハッタンから出て日本に帰る方法を探してくれていた。
そして、ミナコおばさんは、日本総領事館が邦人保護のために、邦人の把握・登録をしているかもしれないから、在ニューヨーク日本国総領事館に電話してみるように言い、電話番号を教えてくれた。

私はホテルの部屋から、日本総領事館に電話をかけた。男性の職員が出て、日本語で会話ができた。私はミナコおばさんから聞いたような、何か登録みたいなことをしているか聞くと、特にそういうことはしていないということだった。私は、テロを目撃したこと、さっきホテルにFBIが来たこと、飛行機が飛ばなくて移動できないことなど、経緯を簡単に話して、見通しなど、なにか情報がないか聞いてみた。男性職員は困惑気味に、こちらも情報がなく、逆に今聞いたことの方が新しいくらいで、案内できることは特にない、何かあるとすれば、標的になりそうな高いビルには近づかないように、とのことだった。
しかし私たちは今、エンパイア・ステート・ビルの隣のブロックのホテルに滞在している。困らせるつもりはないが、そのことを話すと、男性職員は言葉につまって、できるだけ気をつけてということで、とりあえずそれで会話を終えた。
おそらくこの時の在ニューヨーク日本国総領事館は、きっと寝る間もなく対応に追われていたのだろうと思う。

・母との電話

また、日本にいる母と、電話で話した。母と直接電話で話すことができたのは、この時が初めてだったかもしれない。私はまた、テロを目撃して逃げて、FBIが来て、とひととおり説明した。母は、「政府がチャーター機で邦人を連れて帰る話があるようなので、パスポートを取って迎えに行く」と言っていた。私はその話は初めて聞いたが、いずれにしても空港が閉鎖されているうちは無理だろうと思った。また、「戒厳令が敷かれて戦争と同じ状態だけど、でも必ず帰れるから、大丈夫よ」と言って最後は涙ぐんでいた。母を泣かせてしまった。でも、私の力ではどうにもできない。きっと日本では、テレビで悲惨な映像ばかり流れていて、実際には街は落ち着いていて普通に出歩くことができる、と言ってもなかなか伝わらないのだろうなと思った。
本当にチャーター機が来るなら、アメリカにはまた来る機会だってあるだろうし、今は帰国したほうがよいのだろうかと思って、アイちゃんに、「可能性は低そうだけど、日本から飛行機で迎えに来てくれるかもしれない」と話したら、アイちゃんは、「せっかく来たから、飛行機が飛ぶならカンザスに行ってから帰りたい」と言った。さすがアイちゃんだと思った。
母は、私のホテルにFBIが来て、別のホテルに移されたことを、ミナコおばさんに連絡しようとしたら留守だったらしく、日本語で紙に書いてFAXで送った。それを最初に見たグレンおじさんは、日本語が全く分からないのだが、紙一面にびっしり書かれた日本語の中で唯一”FBI”だけが分かり、一体何が起きたのかと心配したそうだ。

・昼食、OLD NAVYへ

それから私たちは、昼食をとるため外に出た。アイちゃんは、昨日さんざんお別れを言ったので、シンのところには行きづらいということで、別のお店を探した。
歩道を歩いていると、ファストフードのドリンクのカップが転がっていた。日本では見たことがないような巨大なサイズだ。このサイズで飲みたい。いつものどが渇いていて、お腹がすいていた。

お昼の後、OLD NAVYに行った。OLD NAVYは、GAPの系列のブランドで、日本にはまだなかった。店内はお客さんがたくさんいて、ワゴンセールみたいに山積みにされた服を、その場で着て、脱いで、上に乗っけていた。試着が豪快だ。
私は3つセットのアンクルソックスを買った。履くと足の裏がふかふかだった。アイちゃんは、ファスナーがレインボーカラーになっている、グレーのスウェットを購入した。すごくかわいかったが、私はH&Mでもスウェットを買ったので、我慢した。

・ミナコおばさんからの電話

ホテルに戻ってきて、またミナコおばさんと電話で話した。「テキサスから車でマンハッタンまで迎えに行くことも考えたが、やはりとても遠いので、飛行機で移動する方がよい。ミナコおばさんの息子のアンディの、知り合いのSさんが、航空券を手配してくれる。代金は、グレンおじさんから私に10万円分を送金する。」ということだった。

送金といっても、私はアメリカに銀行口座を持っていない。どうやって受け取るのか聞くと、Western Unionという会社の送金サービスがあって、テキサスからグレンおじさんが送金したお金を、ニューヨークにいる私が、現金で受け取ることができるのだという。受取り場所や、その際に必要な情報は、後でウエスタンユニオンから私に連絡があるとのことだった。
そんな大事な連絡を、英語で正確に聞き取れるのだろうか。ちょっと私には難しい気がしたが、やるしかない。
とにかく、明日の早朝、指定された場所で、現金で10万円分を受け取り、それを持って空港に行き、航空券の代金を払って、飛行機に乗る。
フライトアテンダントをしているミナコおばさんは、「テロ直後のフライトは、いつにも増してセキュリティを厳しくしているから、こういう時は逆に安全なのよ」と励ましてくれた。

・明日の航空券を予約

そして、Sさんからホテルに電話があった。Sさんは、柔らかい声質で、頭の回転が速そうな早口で話す女性だった。明日の、アトランタ経由カンザス行きの、デルタ航空のチケットを予約していただいた。
9月15日 11:30ニューアーク発 13:42アトランタ着 DL693
14:20アトランタ発 15:26カンザス着 DL373

夜ごはんは、行くあてがなくて、結局シンのお店に行った。
昨日お別れを言った私たちがお店に現れて、シンは肩を落として笑っていた。

明日は、現金の受取りや、空港での搭乗手続きが、スムーズにいくのか、どのくらい時間がかかるか分からないので、できるだけ朝早く出発した方がよい。私たちは、ホテルのフロントで、明日の朝6時頃のタクシーを予約した。起床は5時台だ。
明日に備えてパッキングをした。スーツケースに入れるものでも、爪切りや、小さいはさみなどの刃物類は置いていくことにして、爪を切ってから、ホテルのごみ箱に捨てて行った。ごみ箱には、2人分の刃物が入っていて、逆に異様な光景だった。

・ウエスタンユニオン社からの電話

夜、早めに寝ていると、かなり遅い時間になって、ウエスタンユニオン社から電話がかかってきた。私はものすごく眠くて、ちゃんと起き上がれず、ほとんど腕だけで、サイドテーブルにある電話の受話器を取った。女性が英語で話してきた。ああ、全部英語だ、大丈夫だろうかと思いながら、現金の受取り場所や、パスコードみたいなものを聞き取って、メモをとり、復唱して確認した。私はあまりの眠たさに、目も半分しか開けられず、なんで聞き取れるんだろう、なんで聞き取れるんだろう、と思いながら、聞いていた。こんなに大事な電話でも、どうしても眠かった。後で親に話したら、呆れていた。

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