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9.11旅行記④ 2001/9/13(空港閉鎖、延泊)

2001年9月、大学3年生の時に初めて海外旅行に行き、アメリカ同時多発テロに遭遇した時のことを残しておきたくて、旅行記を書きました。

<実際の旅程>
・2001年9月10日: 夜、マンハッタンに到着
・9月11日: 同時多発テロ発生、2機目突入を目撃し走って逃げる
・9月12日: マンハッタンを観光
・9月13日: 空港閉鎖、延泊。再びマンハッタンを歩く
・9月14日: ホテルでFBIが取り調べ。ホテルを移される
・9月15日: テキサスの伯父に送金してもらい、航空券購入、カンザスへ
・9月16~17日: カンザスの友達の寮に滞在
・9月18~19日: 帰国

・空港閉鎖

2001年9月13日(木)

本来なら午前中にニューアーク空港からカンザスに行く予定だったが、空港が閉鎖されていたため、この日はホテルに延泊することが確定した。
こんな事情でも、航空券はもう一度お金を払って、買い直さないといけないのだろうか。それに、カンザスのリエのところで服を洗濯させてもらおうと思っていたので、服が足りなくなってきた。私たちは、この日も外に出て、必要なものを調達したり、旅行会社の支店に行って何か情報がないか聞いてみたりすることにした。

1.Disney Store

昨日は閉店していたお店も、この日はオープンしているところもあって、Disney Storeや、昨日通りかかったFAO Schwarzに行った。
Disney Storeは当時、五番街にあって、店内は、ぬいぐるみ、服、おもちゃ、ありとあらゆるもののティズニーグッズで、棚も壁も埋め尽くされていた。奥に行っても上のフロアに行っても、まだあるのかと思うほどだった。柱やエレベータの装飾は、ティズニーランドのアトラクションみたいだった。
アイちゃんは親戚の子のお土産を選んでいた。どれもかわいいと言って、一生懸命悩んでいた。私も、ミニーちゃんの自由の女神のぬいぐるみと、ミニーちゃんの小さな時計のキーホルダーに心惹かれて買った。小さな目覚まし時計は、電池で本当に動くようになっていた。

2.ティファニー

五番街といえば、ティファニーだ。私はオードリー・ヘプバーンが好きで、ティファニーに憧れがあり、行ってみたかった。こんなジーンズの観光客丸出しの格好で入ってよいのか躊躇しながら入ってみたが、やっぱり場違いですぐに出た。

3.旅行会社の支店へ

旅行会社の支店では、ビルのロビーに机を出して、女性のスタッフが座って対応しており、私たちのような観光客が列を作って順番を待っていた。若い男性が、女性スタッフになにやら食い下がっていた。今でも、台風で電車が止まると、乗客が駅員さんに怒っている様子がニュースで流れるが、そんなかんじだった。
私たちの番が来て、何を話したかあまり覚えていないが、そこで得られた情報は、チェックアウトせず延泊するようにといったことだったと思う。

4.H&M

それから、H&Mに行った。H&Mはまだ日本に上陸しておらず、私は初めて知った。GAPみたいだな、シンプルなデザインが多いなという印象だった。
日本人でも合うサイズはあるんだろうかと思ったが、逆にかなり小さいXSもあった。私は細かったので、小さいサイズがあるのが嬉しくて、色々見て回った。
深い緑色のカットソーが安かったのと、黒のタイトなジップアップのスウェットがどうしてもかわいくて、購入した。
他にも、下着などを購入した。

私の買い物が終わると、17時を過ぎていた。店内でアイちゃんを探したが、見つからなかった。外に出て、エントランスで待っていても会えず、そのうち、テロの影響か、早めに閉店時間になったようだった。ドアの前には、入店できない人たちなのか、人だかりができていた。
私はそこにいた人に時間を聞き、アイちゃんはもうここにはいないのだろうと思って、帰ることにした。”What time is it?”って初めて実際に使った。

私は、普通の人が想像を絶するほどの方向音痴だ。大学で学食に入ると出口が分からなくなる。1人でホテルに帰らなくてはと一瞬緊張したが、昨日もマンハッタンを歩き回って、五番街も通ったし、それに、マンハッタンは碁盤の目のようになっていて、私にすら分かりやすかった。おそらく迷わず帰れるだろうという少しの自信が湧いてきて、ちょっと元気になった。

5.スタバのホワイトチョコレートモカ

通りを歩いていると、スターバックスがあった。やっているかなと思って見てみると、開店していた。私はアイちゃんと話していたホワイトチョコレートモカを買って、飲みながら帰ることにした。テロの影響でやっていないお店も多いなか、テロの翌日でも、この時間でもスタバは開いていて、私はファンになった。

6.ニューヨーク公共図書館

その先に、ニューヨーク公共図書館があった。スフィンクスみたいなライオン像が、左右で出迎えている。『BANANA FISH』に出てくる図書館だ。中に入れなくとも、外観だけでも見ることができた。

ホテルに着くと、アイちゃんが先に部屋に戻っていた。よかった。アイちゃんも、私とはぐれてなかなか帰ってこないから心配になったと言っていた。

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7.明朝のシャトルバスを予約

私たちは、明日はノースウェスト航空が飛ぶと聞いていた。明日の朝、ニューアーク空港へ行く。
ホテルのシャトルバスのカウンターで、明日の朝7時5分発の、ホテルからニューアーク空港へ行くシャトルバスを予約した。中年の男性スタッフは、私たちの苗字と名前が、どっちがどっちか分からなくて、イライラしながら対応していた。

8.シン@カフェ

夜は、またホテルのお向かいのカフェに行った。
この日も、あの店員さんがいた。私たちは連日通って、顔見知りになっていた。いつも笑顔でいてくれて、いるとうれしかった。でも、会えるのも今日で最後だ。
男性の店員さんは、黒髪で、背はさほど高くなく、ひげを生やしていた。私は人の年齢が全然分からないのだが、推定するなら、二十代後半から三十代前半くらいの、まあまあ年上に見えた。私とアイちゃんには、なんとなくイタリア系が入っているように見えた。
仕事がひと段落したのか、店員さんが席まで来てくれた。名前を聞くと、シンだという。アイちゃんは、「アイ アム アイ。エー、アイ。Ai means love.」と説明していた。シンはなるほど、という顔をしていた。
私たちは日本から来たと言うと、シンは、日本語の「アリガトウ」を知っていた。たしか、親戚の奥さんが日本人とか言っていた。
私たちも、シンに出身を聞くと、”China”と答えたので、すごく驚いた。どういう経緯で・・と思ったらそれは冗談で、アルジェリア出身とのことだった。フランス語は話せますか、と聞いたら、話せるよ、と言っていた。
シンは、大学で工学を専攻していると言っていた、ように聞こえた。思ったより年が近いのかもしれないと思った。でも、海外だと、一度働いてから大学に行く人も普通にいると聞くので、やっぱり分からないけれど。
この日で会えるのは最後なので、連絡先を交換した。当時はSNSはないので、メールアドレスだ。私の手帳の後ろについている、アドレス帳に書いてくれた。インデックスのYa行のページに書かれた名前を見ると、YASSINEとある。さっき名前を聞いたとき、「シン」と聞こえたけど、ヤシン?シンではないの?ヤが苗字の一部?ヤシンはどこにアクセント?そういえば、名前を教えてもらった時、「シン?シン!」と繰り返したら、一瞬、うーん、まあいいか、みたいな間があった。私たちは「ヤシン」という名前を聞いたことがなかったので、正解が分からず、シンでいいという流れのままにしておいた。

ヤシンは、アラビア語の名前だ。そして、シンがイスラム教徒かどうかは分からないが、アルジェリアは、99%がイスラム教徒の国だそうだ。私たちは、アラブ系の雰囲気のことを、「イタリア系だ」と思ったのだろう。
どの日だったか、カフェに入ると、カウンターの向こうにシンがいた。カウンターの前にはお客さんがいたので、少し遠くからだけど会釈しようとして、こちらを見るのを待って、一瞬目が合った。でも、その日はなんだか怒っているように見えた。誰かに向けて怒っているのではなく、嫌な思いをしたことを堪えているような表情だった。何か嫌なことがあったのかな。と思った。
このカフェにはいつも、けっこうお客さんが入っていた。ここの人たちが見れば、シンはひと目でアラブ系に見えるのかもしれない。お客さんには色々な人がいるだろうから、あんなテロが起きた後で、もしかしたら、アラブ系というだけで、嫌な思いをすることがあったのかもしれない。分からないけど。

私たちはシンに、お別れを言った。アドレス帳の、メールアドレスの下に、-ALIGATOR-と書かれていた。

9.ホテルの屋上へ

ホテルに帰って、部屋に戻る前に、アイちゃんが、屋上に行ってみようと言った。多分、入れるようになっていたと。
行ってみると、普通に屋上に上がることができた。マンハッタンの夜景が見えた。南側の遠くの方に、まだ煙が見えた。なかなかかさぶたにならない傷みたいだ。写真を撮ったが、後で現像したら、真っ暗で煙は写っていなかった。

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