俳句をしないひとの意見
わたしのまわりの家族、友人は、誰も俳句をしない。
俳句をはじめて1年くらいは、先生に評価された俳句、句会でたくさん褒められた俳句を、家族のグループLINEに送っていた。
すると必ず、「どういう意味?」と聞かれる。最初のうちは、がんばって説明していたが、だんだん面倒くさくなってきて、LINEに送ることをやめてしまった。
年会費はわたしが払うから、自分の所属している俳句結社「蒼海」に入らないかと家族を誘ってみたりしたが、「面倒くさい」「恥ずかしい」「無理だ」などと言って断られる。
俳句をしない友達に結社誌「蒼海」を見せたとき、「なんか先生の俳句だけ、文字が大きいね」と言われて、それ以外には特に感想はなかった。
暇だったので、蒼海11号の自句8句を夫に見せて、いいと思った句とよくなかった句を選んでもらった。
蒼海11号のわたしの掲載句はこちら ↓
生身魂何度撮つてもおなじ顔
芋虫のまづうしろあし動きけり
姑にうちとけてゆく葡萄狩
生まれくる子の名あれこれ葡萄食ふ
木犀や二泊三日の服の嵩
紙切りの身をくねらせて秋のこゑ
いつまでも夫は年下とろろ汁
どんぐりの湿り気ゆびにうつりけり
<夫が好きと言った句>
芋虫のまづうしろあし動きけり
生まれくる子の名あれこれ葡萄食ふ
たぶん、単純にこの2句は意味がわかったのだと思う。「生身魂」(いきみたま)「木犀」(もくせい)などはおそらく読めず(ルビもふっていないし)、なんのことかわからなかったのだろう。
<夫がよくないと言った句>
紙切りの身をくねらせて秋のこゑ
いつまでも夫は年下とろろ汁
紙切りの句は「秋の声」という季語がわからなかったのだろう。それと、旧かなの「ゑ」が読めなかったのかもしれない。「いつまでも夫は年下」の句は、「とろろ汁」が出てくる意味がわからないと言う。取り合わせという、俳句独特の表現はなかなか俳句をしていないひとにとってはハードルが高いものだ。
俳句をやってもらうしか、わかりあえる方法はないのかもしれない。
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