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言霊について

日本には言霊があります。そして言霊幸わう国と言われています。
古代は、いわゆる書き言葉は無く、神代の文字であった五十音のカタカナで天地や全ての起こりを理解していました。いわゆる言霊です。

しかしながら、人皇16代応神天皇の時代に中国から書籍と共に漢字が渡来し、書物(漢字)から学ぶことが何代にも及んでいきました。

その後40代天武天皇は、旧辞(言霊)が滅びることを憂い、稗田阿礼に天武天皇自ら言霊を教えたのです。

43代元明天皇の時代に、天皇は太安万侶に詔を行い、稗田阿礼の覚えている神代の御伝を文字に記させて「古事記」と名付け、皇国の大道を残しておかれました。かろうじて言霊が生き残ったのです。

天武天皇と時を同じくして生きた柿本人麻呂の歌に「志貴島の倭の国は言霊の佐(たす)くる国ぞ真幸(さき)くあれこそ」はかろうじて古事記によって遺された言霊、御国を寿ぐ歌と言えるのです。

言霊は神の御伝えですから、凡人の耳には入り難く、文字の学は凡人の目に入りやすく、時代は書籍や文字を受け入れ、言霊は疎かになっていきました。

それが江戸時代に国学の興隆によった言霊が復活していきました。ここら辺の経緯は次回に続きます。

今回の内容は江戸期の国学者山口志道の言霊秘書に書かれており、この書物は国学第一の書(ふみ)とされています。


麻椿は山口県に住んでいます。言霊、カタカムナ等古代について、古代の言葉について共に学び合える仲間を募集しています。


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