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親が子どもにできること

少し前に保育園の家庭訪問があって、次女・三女の担任の先生方に、○○ちゃんにどんな子に育ってほしいですか?と聞かれた。

なかなか一言で答えるのは難しくて、特には無いんですけど、こんな風に育ってくれたらいいなと思っているように育ってくれていて、その様子を見守ってくれている先生方にとても感謝していることを伝えた。答えになっていないですね・・・(笑)

どんな子に育ってほしいかという問いは、その後も頭の中をぐるぐると巡っていて、

自分で考えて決められる子・・・
人にも生き物にも優しい子・・・

など、いろんなことが思い浮かぶけれど、親が育ってほしいように育つかは分からないし、それよりも自分らしく居続けて大きくなってほしいと思う。しいて願うなら健康くらいだろうか。

思いがけずもらった問いについてあれこれ考えていると、つまるところ、親として子どもにできることって何なんだろう?という問いに辿り着く。

そして、私はこんな風に考えた。

①よい生活習慣

早寝早起き。適度な運動。栄養バランスのとれた食事。

朝ごはんは、みそ汁とごはんと果物を心掛けている。いい日も、まあまあな日も、人生最悪だと感じる日も、栄養あるものさえ食べることができたら、なんとか心身ともに復活できるだろう。どんなことにもぐらつかない、自分の生活リズムを体に刻んでおくことは、とても大事じゃないかと考えている。

②降りかかる呪いから守ること=立ち止まって一緒に考えること

つい最近、山口周さんのnoteで語られていた「呪い」に関する考察は子育てにもあてはまるなあと思ったので少し引用したい。ここでは、呪いについて5つのタイプに分けられている。

①自己規定の呪い
例:私には〇〇の才能がない など
他者規定の呪い
例:この子は〇〇が苦手 など
③規範の呪い
例:他人に迷惑をかけてはいけない など
④人生観の呪い
例:努力は報われる など
⑤世界観の呪い
例:世の中はどんどん悪い方向に変化している など

さらに、現実世界では上記の呪いが3つくらい組み合わされて、私たちの行動を封じ込めようとすることもある。

規範の呪い:人に迷惑をかけてはいけない

世界観の呪い:人間の本性は悪であり、基本的に信頼できない

自己規定の呪い:私は美しくない、だから愛されない

この三つが組み合わされると

私を助けてくれる人なんかいない。だからどんなことがあっても他人を頼ってはいけない。頼ったとしても相手にされないし、相手にしてくれる人は自分を利用しようと思っているだけだ。

という「合成の呪い」を生み出すことになります。

こうした呪いは誰からかけられるのか?

もし、こうした呪いが誰かの口から自分の信条として語られた場合、その呪いは自分でかけているのか?誰かにかけられているのか?、また、その信条は、何もないところから自分でゼロから生み出したものなのだろうか?、と山口さんは問いかけている。

そしてもちろん、そうした信条は自分で生み出したものではなく、日々のコミュニケーションの中で、無意識にやりとりされた(呪いをかけたり、かけられたりした)結果出来上がったものであることが多い。

つまり呪いというのは能動的にかかるわけでも、受動的にかけられるわけでもないのです。能動と受動のあいだ、必然と偶然のあいだのどこかに存在しているのが呪いです。

こうした無意識に降りかかってくる呪いに対して(しかも四方八方から)、私たちはどうしたらいいんだろう。私自身は子どもたちに、それって本当?とか、あなたはどう思う?と問いかける存在になれたらと思う。呪いから傘のように守るのではなく、呪いをちゃんと疑ってみる力も育てられるように。

そんな存在になるためには、自ら子どもに呪いをかけていないかと自己点検をする必要もありますね。

というわけで、毎日のご飯づくりもがんばろうと思います。

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