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料理は手段であって、目的ではない

先日、NHKあさイチのプレミアムトークに、伝説の家政婦タサン志麻さんが出演されていた。私はひねくれているのか、料理家というとなぜか商業的なにおいを感じ取ってしまい、少し距離を置きたくなるのだけれど、なぜか志麻さんには好感を持っている(レシピ本は持ってないけど)。

それは、なぜだろう。

伝説の「家政婦」というネーミング?古民家に暮らしているから?どれもしっくりこない。

例えば私は、バターとか生クリームをたっぷり使うレシピや料理家さんはちょっと疎遠に感じてしまう傾向がある。志麻さんはそこそこ生クリームを使う方だと思う(私調べ)。なのに、なぜ親しみを感じるのか。

まず1つ言えることは、実際に家庭に出向いて1週間の食事をつくり置きしているという事実に興味関心を抱いているということだ。レシピ本、レシピブログ、レシピサイト、料理に関する情報はネットにあふれている。

〇人が作った、〇いいねされたレシピって言われても、なんか実感がわかないし、刺さらない。特に、「いいね」は作った!っていうよりはおいしそう!っていう気持ちも入っていると思うから。それはそれでいいんだけど。
(◯人が作り、いいねをしても、自分が作ったり、作りたいと思わなければ、自分ごとにはなりにくい。)

一方で、志麻さんは実際に家庭に出向き、その家庭にあるもので食事をつくっている。できた料理はもちろん、食卓を囲んで楽しむことこそを大切にしたいという想いに私は共感しているんだ、と改めて思った。

テレビには、依頼主と会話したり、調味料の減り具合や状態を見たりしながらその家庭の味を探り、各家庭に合う味付けや料理をつくる姿が映し出されていた。

志麻さんは実際に、料理をつくっているし、どれもおいしそうだ。けれど、料理は食卓を楽しむための手段で、その真ん中には食卓を楽しむ各家庭が見える。(雑誌で見る料理って、料理家さんが中心に見えてしまうことが多いんだよなあ。)

ここ最近、夕飯のメニューを考えるのが億劫になっていたので、最近出版されたらしい本を思わず注文してしまった。

頂き物や我が家でとれた季節の野菜を、いかにおいしく食べきるか!ということに追われて、食事を楽しむということを忘れがちだったけれど、ちょっと視点を変えて、楽しめる方法を探ってみたいと思う。

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