発信力より、受信力を高めたい
「発信力が注目されてますけど、コミュニケーションって、受信力も大事なんですよね。」
「ドキュメンタリーって、あんまり編集されていないから、感想は見る人によるんだよね」
「自分が考えていることや発言することに、ほとんど価値はないんだと思います。」
ここ最近、別々の場所で、別々の人から、受信力の大切さについて考えさせられるきっかけをもらった。
フォロワーを増やす・・・
集客力を高める・・・
想いを伝える・・・
いろんなところで、発信力を高めるためのハウツーとその効果が語られている。発信力を高めたらより自分らしく生きられるのかもしれないけれど、誰かのノウハウを踏襲すること自体に若干の息苦しさを感じてしまう。
私たちはちゃんと見ていないし、聞いていない
最近、ずっと気になっていた本を読んでいる。
うすうす気づいてはいたけれど、私たちはちゃんと聞いていないらしい。
この本では、全体の1/4を使って人がいかに「聞いていないか」をていねいに教えてくれている。私たちは、人の話を聞いているようで次に話すことを考えていたり、自分の解釈を無意識に加えてしまったりしているようだ。私にも身に覚えがある…。
また、私たちは、ちゃんと見てもいないようだ。
川内有緒さんのnoteには、目の見えない白鳥さんが「作品を鑑賞したいので、誰かにアテンドしてもらえないか?」と美術館にお願いの連絡をし、実際に案内してもらう様子が書かれている。
そのときアテンドしてくれたのは広報担当の男性スタッフだった。 男性は、一枚の絵を前にして、「湖があります」と説明を始めた。しかし、そのあとに「あれっ!」と声をあげ、「すみません、湖ではなく原っぱでした」と訂正した。男性は「自分は何度もの作品を見ていたはずなのに、ずっと湖だと思いこんでいた」と驚いている様子だ。
それを聞いた白鳥さんも仰天した。「ええ!? 湖と原っぱって全く違うものじゃないのって。それまで“見える人”はなんでも全てがちゃんと見えているって思っていたんだけど、“見える人”も実はそんなにちゃんと見えてはいないんだ! と気がつきました。そうしたら、色々なことが、とても気楽になりました」 そう、「見える人」が「見えない人」と一緒に作品鑑賞をすると、このような勘違いにたびたび気づかされる。
作品の印象などを誰かに伝えるという目的が表れてはじめて、目の前の景色の解像度が上がることもあるようだ。私自身、前日に着た服を次の日に着ちゃうこともあるけれど、きっとほとんどの人は気づかないんだと思う。(たぶん)
受信力を高めていくために
受信力を高めるには2つの方法があるように思う。
まず1つは、自分に向いてしまいがちな意識のベクトルをちゃんと相手に向けて、最後まで話を聞くこと。意識してみると、ちゃんとできていないことも少なくない、ってことに気づく。
そしてもう1つは、自分のフィルターの網目を細かくしていくこと。同じ言葉を受け取ったり、同じ経験をしたりしても、人によって気づきの量や深さはまるで違う。
それは自分のもつフィルターの厚さや目の細かさによるんだろう。そんなフィルターを育てるために、私たちは本を読み、人に会い、旅に出る。
もう少し、「人の話をちゃんと聞く」ということを意識して過ごしてみたいと思う。