もやもやを、あえてもやもやのままにして待つ重要性
子育てをしてる時に、なんかもやもやすることってありませんか?
私にはあります。それは、例えば、娘が悪いことをして謝らなかったり、何か隠し事をしている時だったりします。
親としては、悪いことをしたらすんなり謝ってくれると嬉しいし、心が晴れてすっきりします。けんか等で相手がいたりする時だったら特に。
また、何を考えているのか分からなかったり、急に不機嫌になって怒りだしたり、泣き出したりする時もあったりして、そういう時には、娘の気持ちが良く分からないことにもやもやしたりします。
でも、最近ふと考えてしまいました。そういったもやもやの理由を理解しようとすることは大事だけど、その目的はあくまで子どもを理解するためで、親である自分のもやもやを晴らすためではないんじゃないかと。
だから、子どもが謝りたい、話したいというタイミングまで、自分自身のもやもやはあえてそのままにしておいて、待つということも大事なんじゃないかと。
例えば、謝るという行動は大きく2つ分けられると考えています。
①自分は悪いことをしてしまったと認識すること。
②悪いことをしてしまったという気持ちを、相手に伝えること。
森のようちえんを運営したり、普段の子育ての中で子どもたちを観察していると、この①と②の間には大人が思うよりも大きなステップが必要なように感じています。
おそらく、子どもたちの頭の中では、自分は悪いことをしてしまったようだ、でもそれをしている最中は楽しかった、けど、ほんとは悪いことだったんだ・・・といろんな思いが頭の中を駆け巡ってるんだと思います。
②ができると親として安心します。でも、本当に大切なのは①のいいこと悪いことを理解し、悪いことをしたときはそれを認識することが根っこです。
①→②と順にできるようになるまで、ここでもじっくり待つ・見守るということが大切なように思います。
また、子どもが何を考えてるか分からない時は、もしかしたら、子ども自身も自分のことや気持ちが分からない、整理できないのかもしれません。
そんな時は、待つということも1つの選択として考えたい。
子どもの気持ちを知りたいと思うことと、自分のもやもやを解消したいって思うことは、別だなあと気づいたのでした。反省。
親としては、ちょっともやもやすることもあるけれど、もやもやをもやもやのままにして待つことも大切なのかもしれないなあ。
森のようちえんも、そんなもやもやを受け止められる場所でありたいなあと考えています。
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