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ボーダーとの決別

「何でみんなボーダー着てんのかね?」

友達の一言にギクリとした。友達はデザイナーとして働いているのだけど、やたらめったらボーダーを着てる人が多いことにうんざりしているらしかった。紺とか、黒とかいわゆるベーシックと言われるタイプのボーダーのことだ。無印とかORCIVALとか・・・。

私はその日かろうじて、ボーダーを着てはいなかったことを幸運に思いながらも、友達が発した言葉がずーっと頭から離れなかった。それ以降、家の中にあるボーダーを見ては友達の言葉を思い出し、明らかに着用回数も減っていった。

というのも、私はそのボーダーを着る理由を持ち合わせていなかったのだ。着たいから着ていたわけじゃない。ボーダーを着ていれば、おしゃれとまではいかなくても、なんか時代からとり残されずにそれっぽく見えると考えていたんだと思う。

自分に本当に似合ってる?
心の底から本当に着たいと思う?
それを着ることで、テンション上がる?

否!

着る理由の一番は楽だから、というものだった。いや、楽という理由を否定するつもりはない。毎日着る服を考えるのは面倒だから、制服のように決まったワードローブを着まわしたいという気持ちは心の底から分かる。

でも、そんな風に楽な服装を考え続けた結果、テンションの上がらない、心の底から本当に着たいとは思えない服がめっちゃ増えていた。もし今こんまりさんが目の前にいたら、私の服の少なくとも7割は処分されてしまうだろう。そして、こんなツイートを目にした。

”私たちは、目に見える景色でできている”

途端に、ボーダーと決別する決心がついた。

着ない服を持っていてもしょうがない。着ても気分の上がらない服を持っていてもしょうがない。波に乗って、ずっと着ていなかった数着も処分した。見える景色が変わって、自分自身も変われることを少し期待している。


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