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イベントか?インフラか?

ここ最近、思い出してはずーっと考えているのは、イベントとインフラの違いだ。もちろん、言葉自体も定義も違うけど、私たちがやっていること、例えば森のようちえんはイベントなのか、インフラなのかと考えている。

週に1~2回のペースで、森のようちえん活動を7年くらい続けている。0~6歳のいろんな子が参加してくれていて、たまに、預かりはしないんですか?と聞かれることがあるけれど、他にも取り組みたいことがあるので預かりをすることはあまり考えていない。

毎日通えるインフラとして、地域に森のようちえんがあったらなあとも思うけど。

イベントとインフラの違いは何だろう。頻度の違いだろうか?私たちがやっている森のようちえんの頻度は毎日ではないけれど、定期的に毎回参加してくれる人を見ていると、生活の一部にしてくれているように感じる。インフラと感じるかどうかは、主催者の意図とは関係なく、全て受け手に委ねられているのかもしれない。

例えば、毎日の食事にできるだけ自然に近い食品を使いたいAさんにとって、自然派食品を扱うお店は生活に必要なインフラだ。だけど、とにかく安ければ何でもいい!というBさんにとっては、とにかく食材が高いお店と感じる可能性が高く、あんまり利用しないだろう。

生活圏内に自然派食品店があることは、それを必要とする人にとってはインフラになる。また、例え頻繁には利用しなくても、自然派食品を選ぶことができる環境自体をインフラと考えることもできる。

私たちの森のようちえんはどうだろう。毎日通う園として「森のようちえん」を選択することはできなくても、園に通い始める前や、園に通い始めてからも、園とは別に定期的に通う場所として、選択肢を提供することはできる。

私たちにとっても、森のようちえんは、未就学の間にもっと親子で自然の中で学び合える場所があったらいいなと考えて、その当時、周囲になかったから作った選択肢でもある。自分たちが欲しいと思うインフラを作った。

インフラは人の行動を変え、生活も変える。水道とか道路みたいな、大きなものを作ろうと考えると気が遠くなるし、相当な覚悟も求められそうだ。

森のようちえんは毎日やっているわけではないし、人生のうちでもそんなに長くない期間を過ごす場所かもしれない。けど、イベントかインフラかという定義を囚われすぎることなく、変化しながらコツコツ続けていければと思う。そして、自分たちの選択肢が誰かの選択肢にもなれたらいいなと思う。

\読んでくれてありがとうございます!/ 頂いたサポートは地域の中で使い、ご縁をぐるぐる回していきたいと思います。