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関係人口じゃなくて、ともだち

先日、遠方から友達家族が遊びに来てくれた。1家族は、以前同じ町に暮らしていた家族。もう1家族は、私たち夫婦がまだ関東で暮らしていて、子どももいなかった頃に、ある講座みたいなもので出会った友達とその娘ちゃんだ。

彼女は、もう4回も私たちが暮らす西予市を訪ねてくれている。そのたびに海に行ったり、湧水を見に行ったり、美味しいものを食べたりしていて、先日やっと四国カルストへ行ってきた。

市外からやってきてくれた友達と一緒に、市内や近くの町を巡るのはとってもおもしろい。私もこの町に暮らしてまだ?6年だけれど、彼女と一緒に過ごすと、また新しい目線で日常の暮らしの良さを再発見することができるからだ。

どこかに行かなくても、いつもとは違う視点で過ごしてみることで、日常がとても新鮮なものに見えてくる。彼女がフォトグラファーだから、よりその視点をおもしろく感じるのかもしれない。

「あそこのミカンの木のところで写真撮ってきてもいい?」とか、「この桜は写真を撮りやすい枝のつき方をしてる」、「この影かわいい~」という、自分と異なる世界の見方がとてもおもしろかった。

移住に関する言葉でいうと、彼女のように何度も町に訪ねてくれる人のことを、「関係人口」というのだろう。

「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々のことを指します。
総務省のサイトより)

でも、私は今いちこの言葉がピンとこない。言わんとしていることはわかるし、移住に対する言葉として、関係人口という、居住を迫らないゆるやかなつながりという考え方はいいなあとも思う。

ピンとこない理由を考えてみると、この町に暮らし、外に向かって開いている人たちは、「関係人口」を増やすこと自体を目的に活動していないからだと思う。

私自身も、関係人口を意識して暮らしたことはないし、自分たちの活動を考える上で、関係人口という言葉を使ったことはない。

関係人口は結果で、客観的な評価で、自分や自分たちの中から生まれた言葉じゃないからだろう。そして、私たちは何かを評価する立場になりたいわけでもなく、暮らしを楽しくしたり、もっと持続可能にしたりする実践者でありたい。関係人口は、まちがよくなった結果増えるものなんだと思う。(ちょっと抽象的だけど!)

誰かに何かを説明する時に、関係人口という言葉を使うかもしれないけれど、自分自身のための使う機会は無いような気がするなあ。だって、ともだちの方がしっくりくるから。

もう少し状況が落ち着いて、自由に友だちと会えたり、新しい出会いがやってきたりする日をのんびり待ちたいと思う、今日この頃です。

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