境目のない自分を生きる

長女を出産してから、仕事と暮らしの境界がない生活を送っている。出産を重ねるごとに、その境界はますます無くなっていった。

「生きる」ことを目的に働いていた昔は、仕事と暮らしの境界線はもっともっと曖昧だったんだと思う。今は衣食住もほぼ満たされ、SNSを通じて他者の暮らしが目に入りやすい時代になった。「どう生きるか?」ということが目的になり、それによって苦しんでいる人も増えているような気がする。

子育ても境界がない。育てているのか、育てられているのか分からなくなる時がある。子どもを叱るときは、自分って叱れるほどちゃんとやってる人間だっけ?という考えが頭を過ぎる。それでもダメなことは教えないといけないから、大人になってからもちゃんと叱ってくれた人たちのことを思い出しては、心の中でありがとうと感謝する。

子どもにしていることが全部自分に問いとして返ってくるから、子どもを育てているのか、育てられているのかが分からなくなる。

仕事も同じ。イベントの下見も子どもたちと一緒に行ったり、合わせて温泉に行ったり、美味しいものを食べたりと、オンオフの境目があまりない。

昨日も小屋の周りに建てる杭を準備するために、家族で木の皮剥ぎへ。

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頭の中も、仕事と暮らしのことがとっ散らかってごちゃごちゃだ。

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ここ数年ずっと、当事者意識について考えているのだけれど、私は自分ごととして考えられる範囲が比較的広めだと感じている。ただ、当事者意識が広くても、1人の体でできることの範囲はそんなに広くないから、理想と現実のギャップにモヤモヤすることもしばしばだ。調子がいい時は、当事者意識もぐぐっと広がり、悪い時はキュッと縮こまる。そうしながら、ちょっとずつでも基本的な範囲が広がっていったらいい。

で、私自身はこの境目の無い暮らしがとてもしっくりきていて。仕事と子育てとか、仕事と暮らしとか、自分と社会とか。境目をくっきり分けず、ゆらゆら漂い、いろんな自分で居ることが、自分にしっくりくる働き方・暮らし方だなあと考えている。


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