クラウド時代の捨てる力
どこにでもスマホを持ち歩き、心が動いた風景や瞬間を容量をあまり気にせず残せる時代になってきた。ほんの20年前までは、うつるんですを持ち歩き、プリントアウトしてはブレた写真を見て悔しがっていたのに、今はすぐにデリートできる。
でも、全部残そうとすれば地球に負担をかけるよねっていうことが話されていて、改めて考えてしまう。
私たちがデータをクラウド上に増やせば増やすほど、その情報を格納するためのサーバーが必要になり、サーバーから熱が発せられることで、地球温暖化が加速するのだ。冷やそうとファンを回せば、もっと電力が必要になる。
データを残しやすい時代になった。
一方で、私たちはデータにちゃんと向き合えているだろうか。撮った写真を振り返って見てみると、とりあえず撮影した記録写真の多さに愕然とする。この中から1枚くらい減っても多分気づかないし、気づけない。
先日、重い腰をやっと上げて、保育園で注文する写真を一気見した。保育園の先生が撮影してくれた半年分?の写真、約3,000枚の中から70枚近くを選んで注文した。子どもが映っている写真をチェックしまくっていたら、あという間に100枚近くになり、金額も4,000円に迫り、我に返った。
で、そこからさらに選び、20枚くらい減らした(あんまり減ってない!笑)。時計を見たら、1時間半近く経過しており、くたくたになった、まだ朝の8時半で夫は泊りでいないのに・・・。
データを選ぶことは、こんなにも気力と体力を使うのかと思い知り、何でも撮影できて残せるからこそ、目の前や身の回りで起こることへの感受性が鈍っているかもしれないと怖くなった。
以前参加していた写真を学ぶコミュニティでも、写真を選んでメンバーにシェアする時に、「なぜこの写真がいいと思ったのか言語化してください」と言われて、なかなか気持ちに合う言葉を見つけられなかったことを思い出す。
何でも残せる時代だからこそ、ちゃんと自分のフィルターを通して、本当に残したいと思うものだけを残していきたいと思う。
\読んでくれてありがとうございます!/ 頂いたサポートは地域の中で使い、ご縁をぐるぐる回していきたいと思います。