強い言葉を使わずに、伝えるということ
隣町で上映された映画「水になった村」を観てきました。岐阜県旧徳山村にある日本最大のダム「徳山ダム」建設をめぐる15年間を追ったドキュメンタリーです。
見に行く前は、どちらかというとダムに関わる勉強や仕事もしてきたから・・・という”見るべき映画”という気持ちで行ったのですが、もう、周りの人全員におすすめしたいくらい良かった!
何が良かったかというと、はじめから終わりまで、ひたすらずーっとじーちゃんばーちゃんの山(徳山村)での暮らしだったこと。
その中心が「食」。監督の大西さん(当時20代)が取材に行くと、たくさんの食べ物をふるまってくれるじーちゃん、ばーちゃん。中でも印象に残っているのは、茶碗1杯分はあろうかというぼたもちと、日本昔話に出てきそうなくらいもりもり盛られた炊き込みご飯。ぼたもちは、2人で3個ずつ平らげたそうだ。出てくる食べものは全部、じーちゃんばーちゃんたちが採ってきたか、育てたものでつくられている。
キハダ(樹木)の皮を剥いで煮詰めて薬を作ったり、川を渡って4時間かけてわさびを取りに行ったり、栃の実を割って、10日間川の水につけた後に煮てアクを取ったり。食べるため、暮らすために生きている。
田舎には何にもないと言うけれど、じーちゃんばーちゃんたちには何でも見えてたんだと思う。1人のばーちゃんは、「塩さえあれば、みんなを食わせることができる」と言って、いろんな野菜、山菜をしこたま漬け込んでいた。強い、たくましい。
一番印象に残っているのは、毎年4時間かけてわさびを取りに行くばーちゃんが、来年は浸水してしまうのに、小さなわさびを植え戻していたところ。山の全体(バランス)を考えて山菜を取っていた人たちの生き方を見た気がした。こんな風に生きたい。
昔の暮らしには、プラスチックが少ない。木造の家が壊されて、その場で燃やされていたけど、圧倒的にゴミが少ないのにも驚いた。
とにかく最初から最後まで、ダムの建設賛成・反対という言葉が1度も出てこなかった。ただただ、都市部へ集団移転した後も、村に通って山の暮らしを続けたじーちゃんばーちゃんの姿が記されていた。だからこそ、そうした暮らしができなくなるということが、どういうことかということがもう本当に迫ってきた。
監督の大西さんが、ちょうど隣町に滞在されているタイミングで上映されたので、ご本人から直接お話を聞けたのもとっても良かった。(取材者としての姿勢もすごく勉強になったけど、これはまた改めてまとめたい。)
私も心を入れ変えてまずは、ホームセンターで購入したけど、1週間以上放置しているなすびの苗を畑に植えるところから始めようと思う。
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