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合理化した時間で雑談がしたい
「1日24時間は誰でも平等にある」とは言うけれど、赤ちゃんと暮らしていると、それは嘘なんじゃないかと思うくらいあっという間に時間が経ってしまう。
授乳にオムツ替え、離乳食も2回に入ったので、なおさらそんな風に感じるのかもしれない。朝の時間をできるだけスムーズに過ごしたくて、朝ごはんは立ち食いの日もある。
そんな毎日の中でも、一息ついたり、じっくりと考え事をしたりする時間がほしくていろんな工夫をしている。買い物や振込などで出かける用事はできるだけまとめたり、洗い物はすぐさっと洗ったり(でもすぐに溜まるTT)。
洗い物や洗濯をしながらpodcastでニュースを聞きたり、洗濯ものをたたみながら仕事や夕食のことを考えたり、同時に複数のことをこなし続けていたのだけれど、次第に行き詰まってしまった。
頭の中がパンパンになり、情報は入ってくるけれど、考えることや考えを深めることが難しくなっていった。自分の考えではなく、誰かが話したことや考えたことに頭の中を占領され、自分の存在がどんどん薄まっていく。
きっと容量オーバーだったのだと思う。
だからまず、少しずつ「ながら」をやめてみた。洗い物をしながら、布団の中で寝ながら耳から情報を入れることもやめた。ぼーっとしながら家事をすることにした。実際は色々考えているんだけど、これを考えなきゃと思って作業することをやめ、頭の中に勝手に浮かんできたことについて考えている。つまり、自由に考えている。そうしたら、少しずつ自分のペースを取り戻すことができた。
私にはスキマをスキマのままにしておく時間が必要だったようだ。そんな状況をドンピシャに言い当てていたのが、年始に読んだカナエナカさんのnoteだった。
私は合理化して生み出した時間に、合理化した時間を詰め込みすぎていたようだ。目の前のやらないといけないことをこなしつつ、目的を持った時間ばかりで1日を埋め尽くすと、とても息苦しかった。
そんな生活の中で一番豊かだなあと感じたのは、家族や友人、お世話になっている人たちとする雑談など、特に目的も無く過ごす時間だった。目的を達成しようとすると、合理化して効率化したいという意識が働いてしまう。
だから、気心が知れた人たちとの目的のない会話がとてもとても心地よかった。雑談は、自分の世界を広げてくれる。知りたいことだけを検索していたら、一生たどり着けない世界にひょいっと辿りつけるのは、雑談の醍醐味だと思う。
合理化した時間で、雑談したり、編み物したり、畑・庭を仕事したり。合理化、効率化とは真逆のことをするのが今年の目標だなあ。
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