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わたしの共有地をつくる

平沢克美さんの「共有地をつくる」という本を読みました。みなさんが、本を買うきっかけはなんですか?私は、好きな著者が出した本だったり、タイトルや内容に惹かれてだったりします。

そしてこの本は、まさにタイトルにびびびっときた本です。昨今では、コミュニティをつくることの意義や運営方法などは、至るところで語られていますが、共有地ってどういうこと?と思って手に取りました。

私自身も地方に暮らしながら、山にある耕作放棄地を借り、小屋を建て、そこで自由に時間を過ごしたり、目的をもって過ごしたりする場を運営しています。運営しているとはいえ、私たちが何か特別なことをやっているわけではなく、どちらかというと参加者同士で場を作り合うという方がしっくりくるような場です。こうした取り組みも共有地的なのかもしれないなあと思いながら読み始めました。

共有地とは?

この本で語られている「共有地」とは、自分の私有しているものを、他者と共有できるような場所のことです。

ビジネスの世界を渡り歩いてきた著者は、故郷である父親の町工場にあった濃密な地縁のあるコミュニティではなく、そこから少し離れた場に自分たちでつくった共有地に辿り着きます。そこは、前近代の原理でもなく、消費資本主義の原理でもない場所で、著者は、人資本主義の原理でできている場と呼んでいます。(人資本主義とは、資本主義の原理が及ばない、資本主義とは異なる原理によって運営されている共同体のこと)

なぜ、共有地なのか。

共同体は時に、一種の相互監視システムとして機能し、個人の自由が制限されてしまうことがあります。こうしたネガティブな面を回避しつつ共同体を成立させていくために、共同体の資産である共有地を外部のメンバーにも開放してゆくことが大切だと著者は言います。

「お金さえあればなんとかなる」から「お金がなくともなんとかなる」

お金さえあればなんとかなるという資本主義的な考え方から、どうやったら自由になれるのか。そのためには、私たち1人1人が、非資本主義的な生き方の可能性に気づく必要があるのですが、コロナを機にそうした人も本当に少しずつだけれど、増えてきているような気もします。肌感。

そして、お金がなくてもなんとかなるという人が増えていくためにこそ、共有地が必要なんだと思います。なんとかなる!と思う人たちが共有地を作っていくのか、共有地があるからそうした気持ちになれるのかは分からないけど、実際にお金がなくともなんとかなるという場や、雰囲気みたいなものは、身近でも少しずつ増えている気がします。実際に、お金なくてもなんとかなるよ!と言われたこともある(笑)

ちなみに私は完全になんとかなる派です!もちろんお金は大切です。一方で、お金があってもなんとかならない場面もそれなりに見てきました。そして、たくさんお金を持っていても、ここだと思えるタイミングで使えなかったら、意味がない。お金さえあれば~とお金がなくとも~の自分をバランスよく自分の中に持つことも大切なのかもしれません。

共有地をどうつくる?

本を読み終えた今、考えているのは、私の、私たちの共有地をどうやってつくっていったらいいのかなあとあれこれ考えを巡らせています。

特に田舎では、自分の興味でつながっていく関係性や場が少ないように感じています。そうした場があれば、時に息苦しく感じてしまう共同体の中でも、息を詰まらせずに生きやすくなるのかもしれません。

耕作放棄地が増えていく中で、社会的共有資本としての共有地をどうやってつくっていったらいいんだろう・・・そんなことを考えながら、安心して他者とつながるきっかけが生まれる場をていねいに、時間をかけながらつくっていけるといいなあと考えています。

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