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【エッセイ】電波塔

息子は17歳、高校3年生の夏。

校舎の薄暗い廊下に、椅子が置かれていた。
私と息子は並んで座り、面談の順番を待つ。
工科高校の建築系に通う息子は、今日就職先が決まるかもしれない。
勿論、試験はあるが学校から認められれば、ほぼ内定がもらえるらしい。
蒸し暑い空気が、べっとりと肌にへばりつく。
私は立ち上がって廊下の窓を開けた。
外から耳をつんざくようなトランペットの音が聞こえてきた。

数日前、息子は志望する会社を提出した。
それを基に、成績の優秀な子から面談が始まるそうだ。
今日は最終日で、私たちは一番最後だった。
息子は1年の時から成績が悪かった。
後期の授業が始まってすぐ、私と息子は学校に呼び出された。
西日の差しこむ教室で、先生は私に成績表を見せながら、「息子さんはおそらく進級できません」と告げた。
私は腹を括った。
息子は、机から両足を放り出してふんぞり返っている。
窓の向こうに、ぼんやりと電波塔が見えた。
「あんたが誠意見せるしかない」
私は、窓を見ながら声を荒げた。
「授業中、先生と目が合ったら頷け。実習は、手を抜くな。わからんところは先生に聞け!」
先生が口を挟む。
「お前が変わらな、俺も助けられへん」
私は先生に聞いた。
「先生、厳しい運動部はありますか」
「バレー部の練習が厳しいと聞いてます」
今度は息子に顔を向けた。
「バレーやり!」
とまどう息子に畳みかける。
「あんた、背高いからバレーやり!」
私はもう一度先生を見た。
「先生、この子運動神経はいいんです。きっとやれます」
先生は、驚いたようだが息子を見た。
「やってみるか」
「えっ」
「そこは、『はいっ!』や」
私が割り込んだ。
翌日から、息子はバレー部の練習に加わった。
何に救われたのか、2年に進級できた。
成績は相変わらず上がらなかったけれど、バレー部ではアタッカーとして活躍し3年生になれた。

校庭から、運動部員の野太い声が聞こえてきた。
隣に座る息子は肩をすぼめるようにして座っている。息子の背中に手を置くと、手のひらが汗でぬれた。
ひと月ほど前、私は息子から相談された。
「どの会社にしよ」
息子が求人先のリストを差し出した。
私はそれをちゃぶ台に広げた。
「やっぱりゼネコンがええな。明石海峡大橋とかドーム球場みたいな、凄いもの造ってほしいわ」
息子が横からのぞき込み、呟いた。
「俺な、みんなが住む家を建てたいねん。凄いもんやなくて」
(そんなこと思ってたんだ)
息子からの意外な言葉に、ドキッとした。
そう言えば、無理やり入れられたバレー部だけど、あざだらけになりながら続けていた。
遅刻せず、毎日学校に通っている。
頼りないと思っていたけれど、この子なりに頑張ってたんだ。
私は、ある会社に目を留めた。
日本を代表する企業の子会社だ。
採用予定1名、と書かれていた。
きっと息子よりできる子が就職するのだろう。
だけど私は、「ここがいい」と思い社名に丸をつけた。
息子の顔を見ると、行きたそうな表情をしている。
「ここって俺の建てたい家、建てられるかな」
「うん」
教室の戸が開き、男子生徒と母親らしき女性が出てきた。
私は女性に頭を下げた。が、彼女は私を見ずに去っていった。
息子は両手で顔を覆い、天を仰いだ。
先生に呼ばれ、机を挟んで向かい合う。
窓の向こうの電波塔が陽炎みたいに揺れていた。
先生が息子を見た。
「強気に出たな」
息子はうつむいた。
少しの沈黙の後、先生は微笑んだ。
「結論から言います」
私は身をのりだし、先生は続けた。
「この会社を受けてもらいます」
息子は机に両手をつき、腰を上げた。
校舎を出て2人並んで歩く。
私は息子に、「良かったな」と声をかけた。
息子は頷き、自動販売機の前で立ち止まった。
「何がええ?」
息子はズボンのポケットをまさぐっている。
私は息子の背中に、「緑茶」と答えた。
息子の手にはブラックコーヒーが握られていた。
(コーラしか飲んだことないのに・・・)

夕暮れの道の向こうに電波塔が見えた。


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