国語に特化した 小さな寺子屋

HPを3/14にUPしております。是非、ご覧ください。 指導歴35年になります。 国語…

国語に特化した 小さな寺子屋

HPを3/14にUPしております。是非、ご覧ください。 指導歴35年になります。 国語に特化した小さな寺子屋を、 南武線武蔵新城駅サンモール商店街の一画に 2024.4.1に開校いたします。 よろしくお願いいたします!

最近の記事

「こころの話」 中村憲剛

個人的生活、人生、集団でのチームプレイにおいて、今までどんな気づきがあったのか、そこから何を学んだのか。読みやすく読者も共感できるところが多々見つかるはずである。重要ポイントには、黄色いマーカーが引いてあるのも嬉しい。スポーツ選手の書いた本では、圧倒的に読みやすい本。

    • 愛されて 勝つ      原田大輔

      地域密着の大変な土台作り。 それが一歩ごと、いかに大変でかつたくさんの人々に支えられているか。 自分の生き方にも影響する一冊。

      • 種田山東頭火 句集

        芭蕉にも一茶にもならなかった極めて人間的な俳人。様々なものを失う過程において、彼自身はブレることなく句作を続け、病み、傷つき、絶望し、今という瞬間の狭間にいた。そして、全ての負の感情を横に忘れ、聖なる感性の赴くままに言葉を紡いだ。孤独な作業の中に、山頭火は何を掴みえたであろうか。重いはずなのに重くない。感性を芸術的領域に昇華させた価値ある句集である。

        • 相田みつをさんの書

          雨が降っているので、何となく出してみました。 雨の日には 雨の中を 風の日には 風の中を 対句が使われており、耳に残る音ですね。 本日も1日頑張りましょう!

        「こころの話」 中村憲剛

          頭の良さは国語力で決まる 齋藤 孝

          勉強という狭い範囲ではなく、人生という広い範囲で国語を語っている。学校でも社会でも上手くやっていくには、脱個性ではなく、逆に語彙力、読解力、表現力が大切であると述べている。 大人になって振り返り、学生の時にしっかりとやっておけば良かったと考える教科第二位は国語らしい。 整った環境とプロの徹底指導を受けて、 読解力の伸長 自学自習力の定着 小論文の上達 しっかり伸ばしてみませんか? 授業報告の毎回のメール送信、添削課題のタブレットを使ったやり取り、普通の塾ではやり切れないことも

          頭の良さは国語力で決まる 齋藤 孝

          100万回生きたねこ    佐野洋子

          誰からも愛され大切にされる猫。 しかし、彼は自分だけを愛している。 不運な事故で繰り返される死、そして生まれ変わり。 ある時、自分に全く興味を示さない美しい白猫と出会い、恋に落ち、家族を持つ。 先に逝く白猫の死に直面した時、猫はこれ以上泣けないくらいの涙を流す。以後、猫は生まれ変わることはなかった。 誰かを愛することの尊さや唯一無二の存在に出会うことの貴重さを、実存的なタッチで描いていく。誰しもに一度は読んでもらいたい一冊。

          100万回生きたねこ    佐野洋子

          蜘蛛の糸・地獄変     芥川龍之介

          中国の故事を日本語に翻訳したもの。 人によっては実に訳すだけの簡単な仕事と考えるかもしれないが、実は逆に非常に難しいものである。 自分の考えや文体を持っていないと、活字に翻弄されるからだ。文にならないのだ。そこに皆苦労する。 原千代海先生の、『人形の家』の後書きを読んでみるとよい。訳文の文体と全く異なる。硬質でしまった文だ。その使い分けが自然とできるのが、天才所以なのであるだろう。

          蜘蛛の糸・地獄変     芥川龍之介

          ライ麦畑でつかまえて   J.D.サリンジャー

          思春期の複雑な心理を、万華鏡のような文体の中に詰め込んだ珠玉の名作。 ぼくの役目は、ライ麦畑で遊んでいる子供たちが落ちそうになったときに、つかまえてあげることだと思っている。 大人の世界をアイロニーをこめて描きながら、それでいて自分を含む世界を肯定するわけでもない。何かを求めながらも、その実そういう自分を否定している。 主人公のラストシーンでの幸福感は、そう言った青少年の非論理的心理の捩れの証である。もちろん回転木馬は人生そのものに他ならない、と感じた。

          ライ麦畑でつかまえて   J.D.サリンジャー

          限りなく透明に近いブルー 村上龍

          ローリングストーンズ、米軍基地、ドラッグ、性に溺れる色彩のない日々。腐ったパイナップルの異臭、戦闘機のジェット噴射。その中にいて、主人公は自分を持っているようでいて、実はその輪郭さえなぞらえてはいない。周りの全てが抽象で実感のない幻覚のループ。 リリー、あれは鳥なんかじゃない! 今という時代への懐疑、未来への軽い失望。 そんな中にいて、刹那時に反射的に正常さを 打ち消してなお、とけるはずのない自分を とかしこもうともがいているように感じた作品 である。 大人向けの📕です

          限りなく透明に近いブルー 村上龍

          壬生義士伝 浅田次郎

          家族のため、生きるために新選組に入隊した吉村。 斎藤の目には守銭奴と映り、田舎を、家族を大切に思う気持ちがわからなかった。 誰も切ってくれる奴がいないから他人を斬るという齋藤。一方、吉村は生きるために他人を切るという。 対照的に描かれる二人の姿を通して、古いものと新しいものが交錯する幕末という時代が描かれている。 多くは語るまい。 中盤から後半にかけてのストーリーの中で、吉村の考え方、生き方の根底にあるものを活字から想像してほしい。 誰しもが忘れていた何か、秘めていた何か、を

          火垂るの墓 野坂明如

          大学1年生の春。深夜に読みながら号泣した小説。 太平洋戦争で家族を失なった兄妹が、親戚に身を寄せるも肩身の狭い思いをし、やがて捨て去られた防空壕で暮らすことを決める。献身的に妹を世話し、生きるために必死な兄。無邪気で幼い妹。 14歳と4歳で生きようと思った。 やがて栄養失調から妹は亡くなり、失意の兄も生きる希望を無くし、駅で死に絶えていく。 ジブリの描いたアニメでは、サクマのドロップの缶に入れられた妹のお骨を、駅員が主人公の手元から奪い野原に投げ捨てるシーンから始まる。缶が落

          螢川   宮本 輝

          思春期の男女の周りに大量の蛍が飛び交う光景は、今ある生とやがて迎える死の二つの匂いをはらんでおり、美しく艶やかに、しかし静かに生臭く流れていく。 私も小学校の低学年の夏、蜻蛉の大群と蛍の大群を体験している。手を広げて回せば蛍が衣服に静かに止まり緑色に音なく点滅を繰り返した。あるものは網の中に収まり、緑の花火のように風に舞い上がった。 その時、私はぞっとしたのだった。子供の直感である。偶然かもしれないが、その年の夏から秋にかけては、水難事故が相次いだ。本編のストーリー設定、あら

          エルマーのぼうけん

          私が小さな頃、母親が様々な本を読み聞かせてくれました。 本の世界は日常と全く異なる異世界空間。 想像をめぐらし、活字や挿絵から、物語の世界を空想することに夢中になり始めました。 そんな中で出会い、おそらく1番繰り返し読んだ本。 それが、『エルマーのぼうけん』でした。 本日、久しぶりに懐かしく思い出しました。 自分にとっての一冊、お子さんにとっての一冊。 非常に貴重な出会いです。 本屋や図書館へ足を向けてみませんか? 普段とは違う休日になるかもしれません。

          ドストエフスキーの生活  小林秀雄

          「僕にはねぇ、結果ドストエフスキーという人がわからなかったんだよ。キリスト教というものがだね、どうしてもわからなかった。」 近代批評を確立した巨匠は、アイロニーのこもった一言を文中に散りばめる。分析⇨理解⇨再統合のシステムは、人間の文化的範疇を超えるものであり、生半可な理解では、物事の本質はわからないよ、というテーゼある。 わかったふりをすることはない。 また、どうしても正解に把握できるものでもない。 そこに、万人なりの万人の解釈と、考え抜くことの必要性が述べられているように

          ドストエフスキーの生活  小林秀雄

          吾輩は猫である 夏目漱石

          名前のない猫(吾輩)は、ひょんなことから珍野家に 住み着くようになる。神経質で胃の弱い主人(漱石がモデルと言われている)の側で、様々な人間模様を見、やがて哲学するようになる。憧れの雌猫の死によって死生感に変化をきたした吾輩は、、、。 続きは読んで見てください。 私は犬と猫を飼っています。もしかしたら、我が家の愛猫も哲学をしているかもしれません。 哲学は物事を事象的に分析し、生き方や考え方を学んでいく学問です。何かに悩み、苦しみ、驚き、発見する。それも哲学ですね!

          吾輩は猫である 夏目漱石

          構造と力 浅田 彰

          文学部2年の夏。親友のN君から、「読み解けない」と紹介してきたのが、この本である。 僕は1日かけて読破し、フランス現代思想の解説書であり、解体書であること。随所に見られるメタファーは、言語的迷路の右折点、ないしは左折点であると感じた。結論はない。自分で見出すものだからだろう。 シラケつつノリ、ノリつつシラケる。 勉強や仕事に没頭するだけでは駄目であると同時に、勉強や仕事に意味を見出さない姿勢も駄目である。では、いかに生きるのか。答えは自分が見出すものであり、自ら考え、自ら創造