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専属ポートレイトモデル

ときどき子どもたちにモデルをお願いすることがある。
たいていはいいよと言って撮らせてくれるのだけど、いざ撮影しようとなると変顔したりおかしなポーズをとったりしていうことを聞いてくれないのはいつものことである。
だからぼくはそんなポーズとポーズの間隙を縫ってシャッターをきるのであった。
 
それでもまあ息子のほうはまだマシである。
一通りマイポーズが終わるとこちらのリクエストを聞いてくれるようになる。
ぼくも好き勝手な指示を出してあれやこれやと写真を撮る。いい実験台なのだ。
 

SONY A7III + FE55ZA f8


しかし娘は徹頭徹尾いうことを聞いてくれない。お願いしても聞いてくれない。
たぶん照れ屋さんなのだろうと思う。じゃあもうやめたというとなぜか泣く。もっと撮ってと泣く。こういう乙女心はまるで理解ができないものである。
 

SONY A7III + FE55ZA f5.6


子どもたちの肌はツルンツルンにきれいだからレタッチのし甲斐がまったくない。ぼくはレタッチ作業がけっこう好きなので面白くない。よくカメラ撮って出しにこだわるひとがあるが、ぼくは手を入れることにまったく抵抗がないタイプである。そのプロセスも含めて写真だと思っている。
 
子どもを年に一度か二度ポートレイト撮影していると成長ぶりが見えて面白い。どんな写真でも成長ぶりは見えるものであるが、あえて肖像写真という形に残すことでその面白みが増すように感じる。ポートレイト撮影は、写真に写るひとがこう写りたいと思って撮影するというよりも、フォトグラファーがこう撮りたいという思いで撮影する比重のほうが高いものである。つまり、ある種の強制のもとで撮られる特殊な写真と言える。
 
ポートレイトを依頼するひとというのは、このフォトグラファーならどう自分を表現してくれるのかというところに期待して依頼をするのだろう。そんな期待されるフォトグラファーを目指して日々勉強である。

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