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おとうさんのみつあめ

イヤイヤ期というのはイヤイヤ言うだけがイヤイヤ期ではない。

ひとの嫌がることをあえてするのもイヤイヤ期の大きな特徴である。例えばトイレ。トイレの付添いにだれを指名するかというとき、どちらが嫌そうかで選んでいるフシがある。もちろん嫌がりそうなほうを指名するのである。なかなかにイジワルである。だからと言って、嬉しそうに満面の笑みを浮かべて見つめてはいけない。それはそれでダイレクトにご指名いただいてしまうからである。ではどうするか。気配を消すのである。子どもというのは案外単純で、視界に入っているもので判断する向きがある。だからすっと姿を消すのが指名を免れる最も効果的な方法となる。

トイレ以外にも着替えに歯磨き、本読みおままごとのお相手などありとあらゆる局面において気配を消す術は有効であるが、あんまりやりすぎると妻の反感を買ったり娘に強制指名を連発されたりするからほどほどにしておくのがちょうどよい。過ぎたるは及ばざるが如しである。強制指名とは、そこにいなくてもご指名が成立するまで泣き続けることである。歯磨きはお父さんと決めたら最後実現するまで不退転の決意をしてしまうから手に負えない。というか従うよりほかはない。

ところで、子ども相手のとき言葉遣いになにかと「お」がつくことが多いと気がついた。お時間、お支度、お遊び、お庭、お靴、お給食。なぜ子ども相手になると急に丁寧になるのかよくわからないが、なんでも丁寧にすればいいってもんでもない。未だに馴染めくて違和感ありありなのが「お迎え」である。お迎えと聞くと反射的にあの世が脳裏に浮かんでしまう。もう何年も保育園に「お迎え」に行っているが全然慣れない。それで一度保育園の先生にお迎えというとなんかあの世からお迎えに来たみたいですねと言ったことがある。そうしたら先生はこのひと馬鹿じゃないのという光を目の奥に宿して愛想笑いをしながら、そんなことないですよと返事をした。しかしかの養老先生も「お迎え」と聞くとあの世からと連想するみたいであるからぼくだけではないのである。

そしてこっからが本題。娘のご指名でもっとも面倒くさいのが三編みである。娘はみつあめと呼んでいてかわいい。「お父さんがみつあめ」と語気を強めて命令する。大体生まれてこの方三編みなんて編んだことがない。当たり前である。美容師ならいざしらず、ミュージシャンならいざしらず、坊主はあってもロンゲの経験などないのだからあるはずがない。なのに娘はぼくに三編みをしろと無茶振りをする。

それで初めてやったときは悲惨だった。まず、第一に、髪を引っ張るのが怖いのである。大体プロレスラーでもなければ髪の毛を引っ張られることなど普通はないではないか。なのに髪を編むという行為は想像を超える力での引張りを要求する。もう無理無理無理。手がビビっちゃってこれ以上無理、な塩梅で編んだ結果ぐずぐずの三編みができた。それはまたたく間に崩壊してだらしない二つのぶらんぶらん。もっとも娘はぼくにやらせた満足感で気にもとめなかったが。ちなみに言っておくと、三編みの形状をつくるための編み方で迷ったことはない。それこそ長年の経験の為せる技である。どうやったらあの形状を生み出せるのかは想像と経験により指が勝手に動いた。すごいだろ。

第二に、髪の三等分である。片側三等分であるから正確には全体で六等分になるが、編むときは片側は無視できるので当面は三等分に集中すればよろし。大体(三回目)細くてバラバラで無数の髪の毛を三等分するという行為が難儀極める。最初もこの仕分けが下手でアンバランスだった。仕分けが下手になる原因を考えてみると、きっちり三等分しようと思いすぎるのが良くないという結論に至った。髪の毛みたいにバラバラなものをきっちり分けようと考えるからダメなのである。なんとなく、適当に、指に掴んだ感覚で、3つに分ける。それで十分だったのだ。

第三に、ゴムである。最後に留めるゴムの強度が最初は緩すぎた。キューティクルが効いてつるつるの娘の髪の毛だから、緩いとするりと抜けてしまうのだ。しかし最初はこんなにキチキチに巻いていいのかという恐怖心のほうが大きかった。たとえ髪に神経がないとは言え、こんなに強く縛ったら髪に悪いんじゃないかと思うのが普通であろう。ところがこれも繰り返していくうちに慣れるのだ。今ではゴムの限界まで引っ張って縛っている自分がいる。

娘の「みつあめ」も繰り返していくうちにだんだん上手くなってきた。上手くなってくると面白くなってきて、今度はいつ娘がご指名くれるだろうかと期待するようになってきた。人間とは誠に勝手である。お父さんがみつあめしてあげようかなんて言っていたりする。ところがイヤイヤ期の娘はやってあげようかと挙手すると嫌がって結ばせてくれない。それではイヤイヤを成就できないからであろう。妻が編み込みもできるようになるといいんだけどなんて煽るものだから、ぼくの指は編み込みに挑戦してみたくてたまらなくなっているが、今の所娘がそれを許さない。ちぇ。ちぇっちぇっちぇーだ。

子どもというのは本能的に真偽を見抜く力を持っていて、お父さんみつあめやってあげなーい、やりたくなーいとか言っても全然通用しない。バレバレすぎて相手にもしてくれない。そっけないほど冷たい。その編み込み素敵ね、お母さんがやってくれたの?ううんお父さん。まあ!なんて妄想をぐひひひと描いているがどうもこれは実現しなそうである。


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