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ふと浮かぶ疑問


久しぶりの仕事に行ってみて
やっぱり無理なものは無理だし
大丈夫なことは大丈夫だなと
当たり前のことを実感した。


大丈夫なひとの顔みたり
話せたりすると少し落ち着く。

仕事が休みになる前より
働く際の条件が増えてたり
他にもいろいろあったりで
働きにくいことこの上ない。


別にきちんと意味あることとか
改善となるような変化は歓迎なのだけど
そんなことはほぼありえないので
離れられる予定という状況じゃなかったら
また精神状態を悪化させていたと思う。


目的に対して継続的に可能で必要な方法を
自分たちの状況にあったかたちで実現する。

たぶんこれが理想だと思う。

そううまくはいかないけれど
それを目指して検討し実行するものだと思う。


目的に対して達成できる要素が薄いし
継続できないうえに業務に支障があるとか
すでに目的を見失ってるなと思ってしまうものも。


仕事に限らずテレビやSNS、街中でも
そういう感じよく目にするようになったけれど。


外出自粛もそういうののひとつなのかなと。


人が大人数や密接に接することによる
感染リスクを下げるため
集まったりするのを減らす
外出自粛だと思うんだけど
自粛が目的になってるひとがいるように思う。


というかそういうふうな表現で
発信されてるのも多い気がする。


外に出かけてすぐに誰でも感染するわけでもなし
家にいて家族内で感染してるひともいるわけで
大事なのはどっちにしろそれぞれが対策すること。


それでもダメなときはある。そういうもの。


そう思う。


用事があって出かけているひともいるし
お仕事してるひとがいるから
長いことお家にいたりも出来るし
困った時にも対処してもらえるのにね。
それぞれに対策しながらやってる。


自粛も対策も目的見失って
やり過ぎるとしんどいと思う。



仕事再開にあたって増えたことのひとつに
毎日の検温の結果報告というのがあって
体温計出してみたら電池が切れていた。


用事があって出かけた先に
電池の種類たくさんあるお店あるし
そこで買えると思って寄ろうとした。


けれど、検温と消毒を入口で
ものものしい格好の店員が
全員に対して行う方式だったので
電池1個にそこまでするのかと思って
入るのやめて帰り道の別の店で買った。


業種や業態によって必要だったり
方法によってはありかもしれないけど
数分のちょっとした買い物で毎度それだと
少なくとも自分はしんどいので
店そのものを避けてしまう。


消毒も検温も方法が違えば
気にならなかったかもしれない。

なんとなくやる側やられる側も
しんどくならないかなって思ってしまった。

それじゃないと安心できないひとは
きっとそういうお店に行くのだろうけど。


お店の対応としてそこまで必要なのだろうか?



仕事だったり用事で外に出て
その時に開いてるお店も
開いてないお店もあるんだけど
前を通ったとき貼り紙などで状況を確認する。


そうすると短縮営業をするお店の営業時間は
そのほとんどすべてが11時から18時だった。


まるでみんな足並み揃えてるように。


前にもスーパーに行ったときに
そもそも人数が多い地域で
休業または時間短縮していると
必要だとしても同じ時間に同じ場所に
たくさんのひとか集まってしまうのでは?
と書いたことはあるけれど
その時は行くお店も目に入るお店も
限られてたからそこまで考えなかった。

けど、開いてるお店が減っているといっても
同じ時間に開いて同じ時間に閉まると
そこで働くひとの移動も同じ時間になるのでは?


あとそこで働くひとたちは
必要な買い物があっても
よそのお店に行けないのではと
歩きながらぼんやり思う。


時間短縮するにしても
あるお店は10時から17時、
別のお店は11時から18時、
また別のお店は午前中は休業で 19時とか20まで。
そんな感じで少しずつ時間をずらす。


そういうのって難しいのかな。


そうすれば働くひとの移動も
分散される気がするんだけど。


オフィス仕事のひとたちは
テレワークや出社制限しているというが
それが出来ないお店のひとはそういうかたちでなら
電車などの移動は分散することは可能なのでは?


歩きながら思う。


歩くだけで思う。



思うけどそれは思うだけで
すぐに自分に変えられることはなにひとつなくて
自分のやることをやり続ける。



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