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ナンシー・ラインズさんの臨死体験のお話。

今回はナンシーさんの臨死体験の適当訳をお届けします。。間違い等ありましたらご指摘お願いします。不安なところは原文を載せておきます。

ざっくりとご説明すると、ナンシーさんは臨死体験をする前は無神論者であり、また物質主義者でもありました。大学で考古学と地質学を学んで、ご職業はサイエンスライターだったそうです(臨死体験後、そのお仕事は辞めたそうですが)。

サイクリング中に大きめのSUV(運転手はLINE的なものに夢中で周りを見ていなかった)に轢かれ、背骨等を複雑骨折する酷い怪我を負い、手術中に臨死体験をされました。この動画では語られていませんが、轢かれていた時も回復時にも殆ど痛みを感じなかったということです(向こうで会ったスピリチュアルガイドが、彼女の骨折した部分の特に痛みを感じやすい箇所、鎖骨/肋骨/骨盤などを、あらかじめ癒してからこちらの世界に送り戻してくれたとか)。

最初にナンシーさんが行っているワークショップに関するお話があり、そのあと彼女の臨死体験のお話があります。臨死体験のことだけ読みたい方は飛ばして読んでください。あと、若干インタビュアーさんの質問がはてな?というときありますが、それでもナンシーさんのお話がとても素晴らしいので、読んでいただけたら嬉しいです。


ナンシーさんがワークショップで行っていることについて

ー ナンシー、今日はベイエリアからあなたの臨死体験に関するお話をみなさんにお届けしていますが、霊界との対話に関するワークショップをされていると伺っているので、それに関して教えていただけますか?

はい。私が臨死体験をしたとき、私自身のスピリチュアルガイドやその他の霊とのとても深遠なコミュニケーションがあったわけですけれども、あちらの世界から身体に戻ったとき、最初に寂しく思ったのが彼らとの繋がりを失ってしまったことでした。なぜならそのコミュニケーションは即時的で深遠で、心と心を通じて行われるものだったからです。それは言葉を使わないんです。今こうしてあなたと私がお話しているように喋るわけではなくて。

私がこちらに戻ったとき、そのコミュニケーションを失ってしまって、突然家族から引き離されてしまったかのように感じました。なので、もし可能であれば再び取り戻したいと最初に思ったのが、臨死体験時に出会った私のスピリチュアルガイドや、その他の高いレベルの存在とのコミュニケーションでした。

それで自分自身で試したり何人かの先生に教わったりしながら、瞑想状態や普段の状態のどちらでも(原文:both in a meditative state and in real time)、再びあちらの世界とのやりとりが出来るよう3年ぐらい取り組んできて、彼らからのスピリチュアルガイダンスを得られるようになりました。私がそう望めばですが、もっと上位のスピリットからも、即時的に、または時間を置いてからガイダンスを得ることが出来ます。

ー あなたはご自身の臨死体験があるので、そういう非物質世界とのコミュニケーションをとることがそこまで難しくないかも知れませんが、臨死体験をしたことがない人たちにどうやってそれを教えているのですか?

ええ、それは最初に私が他の人に教えたいと思った時からずっと解決すべき課題でした。まずみなさんにお教えするのが、どのようにマインドを静かにするか、そのための方法です。なぜなら(ガイダンスを得るには)頭の中のお喋りをちょっと静かにさせる必要があるからです。完璧である必要はないんです。でも少しだけマインドのお喋りを減らすと、よりガイダンスを聞いたり、それに気づいたりしやすくなるのです。

ですのでみなさんには、私のお気に入りのやり方ですが 「瞑想的祈り」という、一種の瞑想ですけれども、その方法をお教えしています。初心者の方にはわりと試しやすいと思います。そうやってマインドを鎮める方法を習得された方には、次にご自身の直感に耳を傾けるやり方をお教えします。どんなふうにそれが聞こえるか、或いは感じるか…感じ方はそれぞれです。なのでその聞こえ方や感じ方のこと、そしてどのようにそれを日々の生活に生かしていくかについてたくさん話し合います。

そして次に、どうやって瞑想的祈りと愛を送る方法を結びつけるかということについてお教えします。なぜなら私たちと霊界とのコミュニケーションは、神聖な愛のフィールドに基づいて行われるからです。

愛を送るというのはビーコンのようなものです。霧の中で点滅する灯台の光のような。愛を送ることがあちらの世界へのビーコンまたは呼びかける声となるのです。実はそのように彼らに言われたのです。「あなたの愛が、私たちにとってのビーコンなのですよ」と。

なのでみなさんに、愛を送ることによってスピリチュアルな領域へと呼びかけ、それから自分のマインドを鎮め、何がやってくるか、それに耳を傾け、そして注意を払う方法をお教えしています。まとめると、まずマインドを鎮め、愛を送り、再び心を静かにして、霊界からの声を求め、そして待つのです。簡単に言えばそんな感じです。

大体初めての方だと全体の半数くらい、二度目になると多分70%くらいの方がそのコミュニケーションに成功します。この能力は上達するので、みなさんには練習を重ねていただくのです。最終的には殆どの方が1ヶ月か2ヶ月のコースの期間中になんらかのかたちでスピリチュアルコミュニケーションが出来るようになります。

ー 質問です。スピリチュアルコミュニケーションではどのような存在と対話しているのでしょうか?霊的な存在、それとも違う形式の意識(訳注:ハイヤーセルフのことを言っているのかも)ですか?

私は「高次元の意識」と呼びますが….。「神聖な意識」或いは「神聖な存在」ーー 私にとってそれは究極の存在、全ての根源である存在です ーー と対話できたこともあります。とても稀ですが。

私が主に対話するのは高次の存在です。最近亡くなった方々ではなく。そういった方々とコミュニケーションをとることによってどのような影響があるのか詳しくないので…多分、それは少しリスクを伴う(原文:it can be a little dicey)と思います。なので私が意識的に対話しようと試みるのは、精神的に非常に進化した存在、彼らは自らをそう呼ぶことはありませんが、私たちがいわゆる天使などと呼ぶ存在、或いは仏陀やジーザス、マグダラのマリアなど…ある一定の悟りの状態まで到達した存在と交流を図るようにしています。そのほうが私にとってクリアで、より心地よい(原文:it's easier for me to work with those beings)からです。

ナンシーさんご自身の臨死体験のお話

ー わかりました。その領域のことを直接お伺いしましょう。あなたの臨死体験のことをお聞かせください。

はい。手短にお話ししますね。私がコロラドに住んでいたとき、2〜3年前になるでしょうか、2014年の1月のことです。ボールダーの郊外の小さな町でサイクリングをしていると、とても大きなSUVを運転していた女性に側面から衝突されたのです。彼女はテキストメッセージを入力するのに夢中で運転に注意を払っていませんでした。

とにかく、要はその事故で私は非常に酷い怪我を負ったのです。主に背骨と首ですが、24箇所の骨折をしました。そして外傷センターの救急処置室に運ばれ、背骨の手術が必要ということになりました。一部の骨は本当にめちゃくちゃに、粉々になっていたので当然ですが。それで事故の2日後に手術をすることになったのです。背骨を安定させ治癒させるために、チタンの棒を背中に埋め込む手術でした。

その手術で麻酔をかけられたとき、なぜこれが起きたのか私たちにもわからないのですが ーー 十分に手術に耐えうる状態だったにも拘らず ーー 私は死亡しました。心拍数も血圧もゼロになったんです。少なくとも2〜3分の間ですが。医師が麻酔をかけたとき、気づいたら私は美しいところにいました。

天国という言葉はしっくりこないんですけれど、とにかくそのスピリチュアルな領域にいたんです。私は美しい丘の上に立ち、周囲には見渡す限り木々に覆われた山々が幾重にも連なっていました。すべての存在が淡い銀色のエネルギーのような光を放っていたんです。空でさえパールのような光沢のブルーで ーー メタリックな空がどんなものかをご説明するのは難しいんですけれども ーー そういう風に感じました。

でも私が心を打たれたのはその景色ではなく、その領域から発せられ私を包み込んでいる愛と、受け入れられているという感覚でした。これは私にとってとても重要なことなんです。なぜならこの臨死体験が起きるまで、私は20年もの間、不可知論者であったりまたときに無神論者であったからです。こういう形而上学的なことや、スピリチュアルな領域、高次の、或いは神聖な存在などは信じていませんでした。物質主義者で、死んだら終わりと思っていたんです。

なので、その美しい場所で愛と受容の感覚に包まれて目覚めたとき「あらら…どうやら死んだみたいだわ」と思いました笑。もしかしたらこれが天国というものなのかしらと思いつつ「でもこういうのは信じないわ。なんでここにいるのかしら?」と心の中で呟いたんです。そう呟いた瞬間 ーー これは耳から聞こえたのではなく私の内側に響いた声だったのですが ーー 「あなたは私の子どもです。おかえりなさい。あなたは無条件で愛されていますよ」そう言われました。

それで…私は取り乱してしまって、泣き始めたんです。その声があまりにも友好的だったので。「あなたなんか信じない、なんで私がここに?」そう私が言ったのにも拘らず。その声は再び言いました「あなたはこの世界に属しているんですよ。ここがあなたのホームなんです」と。

私はその場所に立ち尽くしていました。数日間くらいいたように感じましたが、最終的に、ある存在が私に近寄ってきたのです。女性のように見えたものの、そのほうが私が安心感を持って接することができるからこの姿で現れたのだと、彼女は説明してくれました。彼女は人間の女性っぽい姿でした。はっきりとはわからないんですけれども、ぼんやりと、長い髪で、人間の女性のようなかたちで。

彼女も私を愛情を持って迎え入れてくれました。その愛というのが、ちょっと変なんですけど、私の中に浸透するエネルギーのように感じたんです。友好的で、平和的な感覚でした。

そして彼女は「これからしばらくの間、あなたのガイドになります。この場所のことと、元の世界に戻る前にあなたが知る必要性がある事柄についてお教えします。そうすればあなたの人生がもっとより良いものになるでしょうから」と言いました。

彼女が「元の世界に戻る」と口にした瞬間、「嫌です、元の世界には戻りたくありません、あなたと一緒にいたい!」と抗議しました。(訳注:この動画ではナンシーさんが穏やかに文句を言ったように話していますが、他の動画では "Nooooooooooo!!!!! I'm not going baaaaaaaaaaaaack!!!!!" と叫んだと言っていました笑。レイモンドさんが言ってた "spiritual temper tantrum" スピリチュアルな癇癪というやつですね笑)

すると彼女が「いいえ、あなたには戻って果たすべき使命が、人生の目的があるのです」と言いました。それでしばらく彼女と議論しました。最終的に彼女は、私が過去に、再び元の世界に戻ると合意していたことを説明してくれました。ここに留まらない運命になっていること、私自身が生まれる前にそれを承諾していたことを。

ー どんなふうにして、それがわかったんですか?

彼女が見せてくれたんです。彼女自身の視点から。ぼんやりした霊的な実体?の姿の私が、他の存在とともに小さな会議に参加していて、そこで今後経験することに自ら合意している様子を。彼女はそこで私を取り囲んでいた霊的存在のうちの一人だったんです。その会議のすべてのシーンを彼女自身の視点から見せてくれました。私の頭と心に直接そのときの映像を送ってくれた感じで。でも私自身からの視点も同時に見えて、徐々に思い出したんです。

すごく奇妙でした。自分と彼女の視点の両方からその会議を眺めて…彼女からの視点の方がよりはっきりしていましたが。それを見せられてすぐ ーー こちらの世界だと書面にサインして契約しますが、あちらではどちらかというと口頭というか心で契約するのです ーー 自ら合意したことを思い出し「そうね、戻らなきゃ」と思ったんです。

ー いつそれに合意したんですか?

この身体の中に生まれてくる前です。

ー いつそれを知ったんですか?

臨死体験中です。臨死体験の途中まで忘れていて、それを思い出し、送り返されることに納得がいったんです。

ー どのくらいそこにいたと思いますか?

明確な時間に当てはめるのは難しいんですが…私には2〜3ヶ月に感じました。なぜなら彼女が教えてくれたすべてのこと…

ー 日にちという感覚はあるのですか?

いいえ。

ー 太陽はありましたか?

全体に広がる光はありましたが、太陽を連想するような一点の光源というものはありませんでした。空全体がパールのような美しい明かりに照らされていて、昼とか夜とかの感覚もありません。ずっと昼のように明るいんです。

ー そこは「場所」と呼べるものですか?

場所ではなく、私は領域(realm)と呼びますが…。ガイドの女性は、私の周囲に見える植物や山々や木々や風景は実在しない(リアルではない)と教えてくれました。私はそのとき完全に霊界に行ったわけでもなく、そして明らかに物理的な肉体からも離れていましたが、そこは、いつか私が本当に死んだ時に完全にスピリチュアルな存在へとなるために準備をするための階層なのです。

その領域もしくは階層にいるのは私にとって心地よいものでした。木々や山々など、私が慣れ親しんでいるものに囲まれていたので。でも同時にこちらの世界で見るものとは少し違っていました。木の青い葉からは内側のエネルギーのパルスが見えたり(原文:A tree might have blue leaves with pulses of energy underneath)。なので、こちらの世界に似ているけれども、その内側にエネルギーの層が見える感じです。

ー 完全に向こうの世界に行くためには何を準備しなければいけないのですか?

私たちはそれに関して話し合いはしなかったんです。私も彼女も、今はそちらに行かないとわかっていたので。

ー 笑。笑ってすみません。でもおかしくて…。

わかります笑。でも彼女はこう言っていました。人々が完全に亡くなったときにこの階層にやってきて、自分自身の肉体とのつながりや、生きているあいだに起きた出来事への愛着を断ち、ライフレビューをするのだと。そしてすべての繋がりを断ったとき、向こうへ進めるのです。でもそれらがどのように行われるかは私にはわかりません。

ー あなたはこの体験の前は無神論者でしたが、或いは不可知論と無神論の中間でしたね、そのあなたが信じないという「神」に対する特定のイメージのようなものはあったのでしょうか?

ええ。私はローマンカトリックを信仰する家庭で育ちましたが…笑。そうです(インタビュアーが十字を切ったので、一緒に十字を切る)。そこで一般的に信じられていた神というのは、極めて白人的男性で、大きな白い顎髭を生やし、雲に座っているようなイメージでした。でも自分が幼い子どもだったときでさえ、それに納得できなかったんです。そういう聖なる存在が大きな白い顎髭を生やした白人男性である必要性はないじゃないか、と。単純に奇妙だと思ったんです。

ー この体験で、あなたの神に対するイメージはどのように変わりましたか?もし「神」という言葉を使って差し支えなければ。

そうですね、私は不可知論と無神論を行ったり来たりしていましたが… 多くの方は「神」という言葉に対して満足していらっしゃるようですけれど。私がその存在について語るときは、聖なる意識とか聖なる存在と呼んでいます。特にジェンダーはありません。すべてのジェンダーで、同時にそのどれでもない。すべての存在であって、且つ特定の何かではない。どちらかというと普遍的意識なんです(原文:It's more of a universal consciousness, if you will) 

ー  あなたがこの体験をする前は、そのような存在について全く想像もつかなかったですか?

全くその通りです。

ー 今ははっきり認識しているんですね?

そうですね笑。直接体験したので。

ー 臨死体験をされた方々が、あちらでの出来事は(体験前には)想像にも及ばなかったとお話されるんですが、もし神が想像も及ばないのだとしたら、どうしてそれを信じられるのですか?うまく質問できませんが…もし臨死体験をしていなかったら、どうやって神を信じることが出来るのでしょうか?

そうですね。それは、私にとっては今は「知っていること」なのです。でも同時にそんなにたくさん知っているわけではないと認めます。なんでも知っているわけじゃないんです笑。私がわかっているのは、あちらの世界で自分よりも崇高で深遠な ーー そしてそれを自分の心の奥で知っている ーー そういう意識(存在)に触れたということです。

でもあなたの仰るように、もしこれを体験していなかったらどうやってそれを信じることが出来るのか…。だからこそ私はティーンエイジャーのときに宗教から距離を置いたんです。なぜなら物質世界と比べたら不確かだったので。全宇宙に広がる意識なんて思いもよらなかったですし。今でさえこれを頭で理解するのは難しいんですが(原文:It's still really tough for me to wrap my brain around it)、でも同時に頭では考えないようにしています。なぜならそれは頭で理解するものというより(胸に手を当てながら)私にとって内なる知識とでもいうべきものだからです。

これはお答えするのが難しい質問です。この体験をしたことない人が、どうしたら神の存在を信じられるというのか…

私は最近ルパート・シェルドレイク氏の著書をいくつか読んだのですが、全部理解したわけではないです、数ヶ月前まで彼のことを聞いたことすらなかったですし、でも私が思うに彼は、宇宙そのものが意識であると気づき始めている気がします(原文:I think he start to kind of get at with this what this might be, not necessarily one being but really the universe itself is consciousness in and of itself)。

宇宙が本当は意識なのだという他に、説明のしようがないのです。でも私たちが人間として存在するこの物質世界のレベルでは、完全に理解するのは恐らく難しいのだろうと思います。

これは人智を超えたものなんです。多くの人々は答えを求めます。それでも謎は残されたままなのです。私にもお答えできません。

ー 妄想かもしれないと思ったことはありますか?

もちろんあります笑。こちらに戻って最初に思ったことです。精神病院に入院させられるに違いないわと思いました。あれは本当に起こったのかしら、と。

でもあちらで起きたことは、こちらの世界の何よりずっとリアルだったんです。むしろこちらの世界のほうが夢のように思えます ーー ちょっと信じ難いとは思いますが ーー こちらが夢であちらが現実であることを「(心の奥で)知っていた」と言うべきかもしれません。

私がこの身体に戻ったとき、正気じゃないのかしらと考えたりもしたのですが「いいえ、狂ってなんかいないわ。あれが事実だったと知っているし、これまでに知らなかった情報も得たし、非常に深遠で、私に変化をもたらしたんだから」そう思いました。

数週間のあいだ、私はこの上なく幸せで、感謝の気持ちに溢れ、始終泣いていました。なんて美しいところだったんだろう、と。そして私と外の世界との関係が、全体的に以前よりもより良いものへと変化したんです。

ですので幻覚ではないんです。実は前に、不運にも薬のアレルギー反応で幻覚を見たことがあったのですが、それは全く意味不明で、不合理で非論理的で、目が覚めたときにはもっと具合が悪くなっていたんです。特に大きな変化もありませんでした。だからそれとは違うと知っているんです。

そして幸運なことに、医師が私の話を信じてくれたんです。彼が担当した他の患者にも同じことが起きたと話してくれました。本当にこれ(医師が信じいてくれたこと)は神の賜物としか思えません。病院のルーテル派の牧師も「それは事実ですよ、他の方も同じ体験をされていました。だからあなたはおかしくなんかありませんよ」と言ってくれました。驚くべきことに私の友達、家族などの身近な人たちが、この話を広く受け入れてくれたんです。臨死体験した方々の多くが、そういう機会に恵まれないにも拘らず(訳注:大体皆さん周囲の人に否定されます)。

なので、私は幸運だったんです。「あなたを信じますよ」と言ってくれる人たちがいてくれたので。専門家でさえ「それは事実です」と言ってくれました。それらに大いに助けらたのです。

ー こちらの領域に戻ってきて、この領域が夢のようだと仰いましたが、夢の中を生きるのはどんな感じですか?

最初はとっても大変でした。どうやってこの物質的世界に適応するか、人間の存在がもたらす沢山の狂気とどう向き合うか…ご存知のように人間にはエゴがありますし、人間の文化は必ずしも幸せに満ちて、スピリチュアルで、愛すべきものとは限らないからです。

ですので、この世界に属しつつ、どうしたらそういった狂気に取り込まれずにいられるか…それを学習するのが最初は大変でした。でも最終的に、世界ともっと関わっていく必要があるのだと気づいたんです。臨死体験中に私のガイドが教えてくれたことは、私がこの夢の中で健全に生きるために与えられたのに。もしそれを実践しなかったら惨めじゃないか、と。

つまりこの物質的世界にいるあいだは、どうやって他の人たちを愛するか、愛を与えて、そしてその時々で自分が持っているものに感謝することを学ぶんです。今持っているものにフォーカスするんです。将来への希望とかあるでしょうけど、今のあなたの人生をよりよくすること、今の状態に感謝すること…

(なので今は)基本的に、この夢の世界を出来る限りよりよく生きるために、彼女が私に実行するように言ったことを実行しているんです。

ー ナンシー、あなたが向こうの世界でご自身について学んだことで、最も予想外だったのは何ですか?

自分が愛するに値する存在だと知ったことです。

ー Oh…笑

笑。よくある話かと思いますが、臨死体験の前は、私は自分自身のことがあまり好きではありませんでした。人生のある時点では大嫌いだったこともあります。自己愛をあまり持ち合わせていなかったのです。明かに私は無神論者でしたから、私自身の内なる神聖さ ーー それは聖なる存在との繋がりなのですが ーー それを信じられなかったんです。

なので、神聖な存在に関連して本来私は何であるのか、そして自分が愛するに値すること、それらについて学んだことは非常にショッキングな出来事でした。「本当に私があの聖なる存在の一部なの?分離していないの?別々の存在ではなくて、この全ての源と繋がっているの?素晴らしいわね!あれは私の一部なんだわ!」本当に驚きだったんです。

ー この体験の前のあなたは独立心が強いタイプでしたか?

極めて独立心の強い人間でした。滑稽なくらいに。

ー どんなふうに?

他人に私の援助をさせなかったんです。自分の独立心を、他の人を遠ざけるための壁として利用していました。誰かが援助を申し出ると、常に丁寧にお断りしていました。自分のことは自分でやりたかったんです。

その頃は気づかなかったのですが、それは他の人と自分の間に壁を作るのに非常に手っ取り早い方法だったんです。この社会の良い人たちは、他の人を助けたいと思っています。でも私はそれを拒絶して、他の人と自分とのあいだに一種の穏やかなバリアのようなものを張り巡らせていたんです。

ー 既に夢であるこの世界をもっと夢のようにしてしまっていたんですね。

(ウンウンとうなずく)

ー この体験をする前のあなた自身に、何かひとこと(原文:one word)伝えるとしたら、それは何でしょう?

二語(原文:two words)でも良いですか?笑

ー もちろん、好きなだけ!小論文でも構いません。

笑。もっと愛して(原文:love more)です。それと、愛を受け入れて(accept love)。つまり人に愛を与えて、自分も受け取る。そして出来る限り感謝の気持ちで日々を生きること。これは別に、自分より崇高な神聖なる意識の存在などを信じていなくても出来ることなんです。単に人を愛し、思いやりを持つこと、そして今この瞬間にあなたの持てるものに感謝すること…。

ー それはあなたがご自身の著書「Awakenings from the Light: 12 Life Lessons from a Near Death Experience」に書かれていることですね。なぜこの本を書かれたのですか?

そうですね、最初はこれは自分のために書いたのです。それと家族のためにも。この身体に戻ったとき、向こうで体験したことを忘れないように書き留めておきたいと思ったんです。情報量がとても多かったので。はじめはメモ書きだったものがノートになり、そしてびっしり書き込まれたノート二冊になりました。

友達にもこの体験について話し始め、そのうちの何人かがブログを書いたらどうかと勧めてくれたんです。そうすれば他の人たちが、私の経験から得るものがあるだろうからと。

大変興味深いことに、臨死体験中に私のガイドが「この情報は、あなたとあなたの家族の人生をより良くするために与えられていますが、将来、他の人々のためにも役立てられるでしょう」と言っていたのです。

なので友人がブログのことを提案してくれたとき「う〜ん…みんな私のことを頭がおかしいと思うでしょうね」と考えたのですが笑、ガイドに頼まれたことでもあったし「まぁ、ブログならシェアするのに割と差し障りないんじゃないかしら。やってみるわ」と、始めてみたのです。

そしてかなりの量の基本的な情報をブログに書き始めたのですが ーー 今でもインターネットのどこかにあると思います ーー でも量が多すぎて詳細を記述するのは難しいと感じたんです。私自身、ちょっとした情報の記事でもない限り長文のブログを読むのに苦労するので。

私のガイドからも ーー 例のガイダンスを聞くやり方を取り戻してからですが ーー 彼女が書籍として書いてみてはどうかと提案してくれたんです。私の友達も。

ー あちらの世界のガイドがですか?

ええ。

ー どうやって?

ある日チャットしたんです笑。彼女は「本を書くべき〜」のような言い方ではなくて「本として書いてみるのはどうでしょう?そのほうが他の人たちにも読み易いかも知れません」と言いました。でも私の最初の反応は「いいえ!本を書く気はありません」といった感じでした。そして壁を築き上げて引きこもったんです。本を書くなんて、あまりにも自分のことを世間に晒しすぎだと思ったので。ちょっと怖かったんです。

ー なるほど。では最後の質問なのですが、あなたは宇宙に意識があると思いますか?(訳注:The universe は宇宙というより神羅万象かも知れません)

ええ。意識はあまねく広がって、全てに行き渡っています。

ー 以前はそれをご存知でしたか?

(首を振る)

ー もう少しそれについて教えていただけますか?

私が見て、感じ、体験したのは、あちらの世界でもこちらの世界でも、この神聖なる意識、或いは神聖なる愛が、全てのものの一部となっているということです。私には、それがエネルギーの巻ひげ(原文:tendril)のように見えるのです。ご説明するのが難しいんですが、それは全てに行き渡るエネルギーの多次元的格子細工のようなものです(原文:multi-dimensional latticework of energy)

まさにこの話題を昨日のワークショップでも議論したのですが、植物ですら、あるレベルの意識を持っています。岩も、宇宙の意識を彼らの中に行き渡らせているんです。

ー あちらの世界の岩ですか?

こちらの世界です。私が言われたのは、神聖なる愛、神聖なる意識はどこにでもあって、それが存在しない場所はないということです。あまり上手くない表現ですけれども。でもそうなんです。宇宙の意識は全てのものの一部なのです。我々のように脳がある必要性はなく、ある一定のレベルのエネルギー的意識が全てのものに行き渡っているのです。

(↓下の一節の訳が微妙です。すみません。レッドウッドのどこか特定の公園なのかわからない。シアトルから云々のところも)

昨日のワークショップでもある方がそれに関する質問をされたんです。他にどうご説明すれば良いかわからないのですが…例えばレッドウッドの森に行ったとして、巨大な古い木の横に立つか或いは彼らのそばに座り、霊的なコミュニケーションをする精神状態になると、彼らが木として経験したことを感じたり、聞いたり、知ることが出来るのです。完全に頭がおかしいと思われるでしょうけど笑。科学者だった昔の私も狂ってると思うでしょう笑。

でも確かに神聖なる意識を、その木から感じることが出来るのです。言葉でのコミュニケーションというより感情でのコミュニケーションですが。なので、意識は何にでも宿っているんです。ルパート・シェルドレイク氏のことはそんなに知っている訳ではないのですが、彼は自身の多くの著作の中でそれについて語っていて、彼の言うことが最近私にもわかり始めています。意識は全てのものの一部であり、その中に意識の層を秘めているのです。

ー この動画を終わる前にみなさんにお伝えしたいことは?

もし私が学んだことでみなさんの人生にお役に立つことがあるとすれば…あなたは一人で世界を救うことは出来ないけれど、ご自身の人生をより良いものにして、出来る限り思いやりや親切の源泉となるよう、そこから始めるようお勧めしたいです。あなた自身と他の人のために。

ー ありがとうございます。


なんかすごく長くなりましたすみません。お読みいただいた方いらっしゃったら、ありがとうございますと言いたいです笑。