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〈祝福の中に生きる〉 -TTC通訳日記-


通訳は瞑想でした。

無事TTCが始まりまして、最初の二日間が終わり数日が経ちました。(受講者の皆さんとってもお疲れ様です✨これは僕の個人的な吐露日記です🦛)
通訳をしてみてまず最初に言いたいのは、僕の脳がこんなに疲れる事はあったかな、というくらいヘトヘトになりました笑
(マドゥはやっぱすごい)


で、次に出てくるのは、
通訳は瞑想だなあ、ってこと。
ほんの少し別の事に意識がいくと、もうダメですね。言っている事は理解できていても、それを覚えておく事ができなくなったり。
とにかく、余計な思考が入るとあかんのです。
なので、ひたすら「今、今、いま」に集中。
こうなってみて分かるのは、人は思っている以上に、好きなタイミングで気を抜いたりしながら、自分のペースで話を聞いているんだな、という事。
(ここはわかるからいいや、とか、ちょっと寒くなってきたなあ、と別のことを思ったりとか)


でも、人の取捨選択を僕が勝手にするわけにはいかないと思うと、僕は全部聴く必要がもちろんあるので、意識を「ここ」に置き続ける事が必要で、それは瞑想そのもので、それはとても味わい深い経験でした。
(まあ、でもヘトヘトになってるんだからその点は瞑想じゃないでしょうけど。言語変換にはだいぶエネルギーを使っているのか、それとも集中する事にエネルギーを使っているのか。慣れていくことを期待したい。)

さらに感じた事を書き続けますと、とても「言い切る」練習になってます。
普段ならもう少し相手の理解のペースに配慮して自然と伝え方(出力)をコントロールするような内容も、
僕のそういったものを(必要以上には)介在させないわけですから、結果的に僕にとっては何かを「言い切る」事になります。


で、その言い切っている内容は、僕の内側にあるものと基本的にズレがないので、このような「出力」になんだか癒されている気がします。
この恩恵に気が付いた時、とても有難い気持ちになりました。
僕の中にあるものが、ナヴィン(や他の先生)の迷いのない(と僕が感じている)出力の力を借りて、出て行っているような。

そういう意味では、
普段僕が自然としている
一人一人への理解への配慮や
その人の状態に意識を向ける事など、を
「通訳」という行為を全うするために「キャンセル」する必要があって、
普段してる事と真逆をする、
みたいな、そういう側面があり、参加者さんに混じって僕もまた1人、個人的に特別な時間を過ごしている感覚です。贅沢なTTCを一人やってるような。

最後に、あるタイミングで気が付いたのは、言葉だけで受け取ってるわけじゃないよねって事で。言葉で聴いている以上にエネルギーで理解している、
ということを、エネルギーを受け取れるようにしてみて分かった瞬間がありました。(例えば、目を合わせるとかで)
それは、まあやっぱりそうよね、って事なのですが、
そうすると、僕の耳から、そしてそれ以外の感覚からも入ってくる、美しい真実を語るエネルギーが、僕の脳や口を通過して行くたびに、
自分の内側が浄化されていたり、もしくは真実で満たされていく感覚があって、それはとても心地の良い、有難いことで、そしてその感覚は間違いなく僕の日常にも恩恵を与えています。
日常の愛おしさが増しています。
そんな事を感じたってメモをここに記させてもらいます。
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という
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