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コートのポッケにある、小さな穴。

お気に入りのコートがある。絵本に出てくる画家さんが着ているような、Aラインのシルエットがなんとも可愛いコート。

ブランドのサイトで確認したら「画家コート」と表記してあった。ああ、なんだか画家さんが着ていそうだな〜という思い込みで買ったから、作り手との思いがドンピシャりでうれしい。

真っ黒で、ボタンがちょうどいい感覚で並んでいて、裾がふわっと広がっている画家さんコートが大のお気に入りなのだが、ここ数日の柔らかな日差しの中では、少し浮いている気がしてきた。

春の、青空の下で着るにはすこし、場違いかもしれない。
そろそろクリーニングに出す頃合いかしら?


今年の冬はいろんなことがあったけれど、どんなに風が強い日も、肩に雪が降り積もる日も、それを手で払ってくれる人が隣に居なくても、画家さんコートはいつもそばで見守ってくれた。

左のポッケを確認する。何も入っていない。
右も同様に、手を突っ込んで確認する。

指先に小さな違和感を覚える。


いつの間にか右ポッケの内側に、穴が空いていた。

幸い、ポッケに穴が空いていても裏地に通じているので、物が落ちても心配はなさそう。何かが落ちた形跡もない。

小指の先が少しだけ覗くような、小さな、小さな穴だった。


穴が大きくなる前に、繕ってしまおうか。
そう考えて、裁縫箱に手をかけ、思いとどまる。そうだ、これは私だけの秘密にしてしまおう。


道端で着ている人がいたら「すみません、どこで買ったんですか」と尋ねたくなるほど、愛らしくて、かっこよくて、美しい画家さんコート。

そんな完璧な画家さんコートに、私しか知らない秘密があるということが、素晴らしく尊いことに思えた。

欠点も含め、愛してあげたい。ただし、他の人には知られてはいけないよ。


そもそも。SNSによってどこにいても、知らない人の(会ったこともないような人の)私生活まで目に入ってくる世の中だ。

私は物書きをしていて、しかもそれが日記のようなグダグダエッセイを書いている身だから、プライバシーというものが他の人に比べて極端に薄いような気がする。

自身の生活が原稿となり、それが財産となるわけだから文句は言ってられないのだけれど、もう少し、秘密を持っていてもいいだろう。私だけが知っている秘密を。

そう思って、画家さんコートの右ポッケの穴は、小指の第一関節しか通らないほどの小さな穴は、そのままにしておくことにした。




春が到来するのかと思いきや、急に不機嫌になった3月はどんよりと雲を低く立ち込め、底冷えするような日が続いた。

クリーニングに出そうとしていた画家さんコートを引っ張り出し、出かける時は再び袖を通してお世話になった。

寒い。指先がかじかむ。
ポッケに両手を突っ込んで「あ」と気づく。

右の、ポッケの内側に、忘れていた小さな穴。

私しか知らない穴に、小指の先を少し入れて遊んでみる。ふふふ。私だけの秘密。世界中の誰も知らない、どこまでも孤独で、素敵な秘密。


ここのところ、誰に相談していいか分からない悩みを抱えている。

相談窓口が見つからないため、仕方なく、引きつる笑顔を貼り付けて日々をなんとなく過ごしている。

そうやって笑顔を作っている時、画家さんコートのポッケの穴に触れると、心が少しズキンとする。

私しか知らない秘密の穴に触れると、私しか知らない秘密の悩みにもまた、触れてしまうのだった。


何度も触れる度、ポッケの穴は少し広がったような気がする。

まだしばらく、寒さは残りそうだ。上着なんか要らないほど暖かくなったら、画家さんコートをクリーニングに出そう。今年の冬は本当に、私を守ってくれた。何度も、何度も。

また次の冬が来て、画家さんコートを引っ張り出す時(クリーニングのタグが付いたままだったって、ちょっと笑ったりする)、ポッケの穴は今と同じ大きさのまま、そこに存在するのだろうか。

それとも今よりほつれて、いろんなものが落ちてゆく大きさに広がっているのだろうか。あるいは、いつの間にか塞がって、何事もなく元通りの姿になっているのだろうか。


来年の冬。
コートのポッケに手を突っ込んでも、心がズキンとしないことを願って。

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